雨の日は会えない、晴れた日は君を想うのレビュー・感想・評価
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ジェイク・ジレンホール良し。
「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う 」原文は「If it's rainy, You won't see me, If it's sunny, You'll Think of me. 」意味が少し違うのだろうけど、原題の「Demolition 破壊」ではより分かりづらかったがろうな。
邦題タイトルからするとラブストーリーかなと思ったけど、傷からの破壊、解体、そして再生の映画。いい意味で期待はずれ。良い!
再生の物語です。
原題は「解体」、これでは見る気しませんね(笑)。
心の穴をふさがないまま大人になってしまった主人公が、
妻の事故死によって、露わになった自身と向き合うことに。
暗喩が非常に多く使われている内容で、
一度見ただけでは、??となる箇所も多々。
もし引っ掛かりが持てたら、ぜひウィキって見てください。
問いかけの深さに震えます。
邦題は長すぎて、とても正確に覚えきれませんがw
ラスト近くになって、謎が解けます。
しかもわざと反対の意味に訳しているのは、
今回に限って、邦題としてはよくできています。
主人公の出した答えは、哀しいほど美しい光景となります。
ラストで子供たちに交じって走る姿は、生を肯定できるいい表情になっています。
シャルル・アズナブールの「ラ・ボエーム」の流れる海岸のシーン、
切ないほど美しいシーンです。
伝わらなければ無いのと一緒
何か自己完結してて、死んでからも肯定されない妻って何なんだろう。
堕胎してまで続けたかった夫婦関係って何だったんだろう。
あまりに主人公の自分語りがウザイので、開始30分でイライラが止まらない。
結局、自分で選択してきた人生にウジウジ文句言って、優しくしてくれる存在に依存してまたウジウジやっての押し問答に「キェ〜!」って発狂したくなる。
感情移入できるキャラが皆無なのが苦痛の原因だった。
自分ではおシャンティな映画を借りてきたつもりだったのに、心の通わないドロっとした人間関係を眺めている2時間だった。
本心の会話をしないとここまで拗れていくんだな。
ディストラクション ギレンホール
ジェイク・ギレンホール主演って事とタイトルのみの知識で鑑賞。恋愛映画かと思ったらそうではなかった。
うーん、正直何を描きたいのかよくわからなかったな・・・。失ってからその大切さを発見する話?それとも観客に問いかけて答えはそちらで見つけて、みたいな?
喪失感とも違う説明できない感情や破壊衝動は何となくリアルに描かれているなと思ったが、やはりテーマがよくわからない。ジェイク・ギレンホールが良い、という評は沢山みたけども。
短いショットを繋ぐやや実験的とも言えるシーンや独特の音楽の使い方。映像的な完成度は高かった。でも好みの映画ではなかったです。
rebuild
解体し、建て直す。人の心も同じ。バラバラすることでしか見えなかったり、分からなかったりする、不器用な感情たち。今の自分、過去の自分、全部自分だけど見えなかったもの。一つ一つの描写が過激で思い切り過ぎてたりでハラハラするシーンも。登場する人物たちのストーリーが気になった。
予想に反して良い映画
この映画のことは何も知らず、番組表の短いあらすじだけで何気なく観た映画だったけど、とても良い映画だった。
原題は「破壊」。奥さんが交通事故で亡くなっても泣くことができない。奥さんに修理を頼まれていた冷蔵庫を直していた時に逆に壊してしまう。それをキッカケに思い出のあるものを次から次に壊していく。何日かして偶然奥さんのちょっとしたイタズラのメモを見つけて(それが日本語タイトルの言葉)
初めて号泣する。
日本語のタイトルの決め方、すごく良いと思う。
終盤に出てくるほんの数分なのに、そのメモによって主人公の心がす〜と解けていくとても大事な言葉。そして立ち直っていく。
確かに破壊するシーンがたくさんあるけど、この映画はそれが重要ではないと思う。
最後に前向きに生きて行こうとする主人公の明るい表情もなんか良かった〜。
久しぶりに良い映画を観た👍
男やもめに蛆がわく
男に再生なし。
いろいろ別れはあるけれど、時を経て振り返ってみるうちに寂しさ、恋しさ、愛情、感謝・・を思い起こして美しき思い出にグッとくる
・・ってのは男の典型的なセンチメンタリズム。
「男やもめに蛆がわく」とは洋の東西を問わず真実なのだろう。
「破壊と再生」と好評するレビューが多いけれど、僕は正反対の感想を持ちました、即ち男とは徹頭徹尾再生能力なき存在。過去を引きずる生物、
だということ。
エンディングでさめざめと泣く男と義父の姿。あのあと再生とかあり?
監督は「壊せば壊すほど実は何も壊せていないデイビス」を嘲いながら哀れみを込めて男という性を描いたのではないかなー?
例えば離婚した女性がこの映画を観たら反吐を吐きこそすれ感動はしないでしょうね。
生身の妻はほとんど登場せず、男の独り言のみだし(笑)
そして、
原題は「破壊」ですが、あの破壊行為は、半分は亡き妻への思い出を高揚させる“自己憐憫”の形。そしてあと半分は愛情の冷めた妻に対してと、終わっていた結婚生活そのものへの苛立ちの鉄槌。
あんまり正直に言ってしまうと取り返しがつかなくなるけれど男ってこの半分半分、あるはずですよ。
そこをはっきりとあの破壊行為で暴露してくれたことが、ちょっと痛くてみっともなくて 凄く面白い映画でした。
つまり男どもの破壊は再生ではなくマスターベーション(自慰行為)ってことで。
だんだんまともになっていくデイビスよりも妻の死の前後のアスペルガーなデイビスのほうが魅力的。
リセット
人は誰しも、困難に陥った際に時間を置くや気分転換するなどの対応を行いますが、妻を亡くした彼のリセット方法はかげきでした。
そこが少しついていけなかったかな。
もう少し再生する様を見せて欲しかったです。
そのとき必要なことはそれぞれにある
親しい人を亡くして悲しいときは泣く、皆が皆そうじゃない。感じた気持ちは同じでも。また立ち直るために必要なこともそれぞれ違うのだ。
主人公デイヴィスが何かする度言う度に、この人は妻ジュリアとどんな風に暮らしてたんだろうどんな夫だったんだろうと、どのシーンでも頭の隅で考えてた。
後半までの主人公の常軌を逸した行動に正直共感することはない。再生にはあの破壊が必要だった?でも共感できなくても心が動く、観てよかったと思える、好きになることもあるんだな、と気付かされ不思議な気分になる映画でした。
カレンとの出会い方も変わった形だったけどロマンチック過ぎないのがいい。カレンとデイヴィスの恋愛物語でないところがよかったんだと思う。居座ったことに驚くけどこの親子と一緒にいることも必要なことだった。
息子は雰囲気のある子で印象的だった。
ポストイットに亡き妻の愛をみて泣ける。
子供はデイヴィスの子だったと思う。
あんまりないことだけど、邦題がいい。
1回観ただけでは到底理解できない
表面的なものを見ると、そこまで優れた作品とは言えません。妻を失った男が、自分の心を理解し、取り戻していくというもの。
「ダラス」ほどのドラマはないし、展開としては目立ったところもない。
と思ってたんですが、りゃんひささんのレビューを読んで納得。どこまで意図されたものなのかはわかりませんが、そうであれば話はつながります。
ただ、(僕が見逃しただけかもしれませんが)そのメッセージは伝わってこなかったので、作品としては結局どうなのだろう。
自分の在り処は何処に
一度、全てを壊してから残る物を探してたのか。
自分の心の在り処がわからなくなって彷徨い、ひたすら壊す。壊してたのは自分の心。粉々になった心の破片の中に、本当に自分が大切に思っていたものを見つけた。
ボロボロになって、心の鎧が壊れ、内側にあった言葉や思いが見つかる。でも、みんな、その勇気がない。壊さずに、更に鎧を重ねてしまう。それが義父の基金だった。
主人公は壊して見つけた本当の心がメリーゴーランドだった。思いは心の中の奥底の殻の中に眠っている。
悲しいのかよくわからない
冒頭の事故から始まる物語は、些細なことから何度か大きく方向が変わっていって、最後はどうなるのかと思ったら…。賛否はあろうがきちんと収まっている。非常に難しい役だったと思うが、説得力のある人物像を作り上げたジェイク・ギレンホールはやっぱりいい俳優だ。
痛みが再生につながる。
この物語が喪失と再生の物語であるならば、あらゆる機械を分解するシーンは、明らかに彼自身の心の喪失(破壊)のメタファーなのでしょう。
不調の原因を探ろうと思うなら、まず分解し、もう一度組み立てること。
彼は心の異常にとらわれ、分解と破壊という行為に昇華している。しかしそれらを組み立て直すことができない。というか組み立てることを放棄している。
デイヴィスの人生の中で、カレンとクリスの存在はどのように見ることができるだろう。カレンは恋人との関係に不満はないものの、その生活に幸せを見つけられないでいることをデイヴィスに告白している。だからこそ、カレンは夜中の2時にデイヴィスに最初のコンタクトを取るという暴挙に出たりしています。デイヴィスとカレンの関係はかなり曖昧。互いが強く求める存在でもなく、しかしいつの間にかお互いが自分のテリトリーの中に招き入れてしまう。カレンにとってデイヴィスは、恋人が与えてくれない何をあたえてくれる存在であったのか、また彼にとっては。
デイヴィスの視点で見るならば、カレンを追えば追うほど、破壊衝動は強まっているようです。それがそのまま冷蔵庫の雨漏りが増えたことのように、心の状態が悪くなっていくことの比喩であるならば、表面では安らぎを得られる場所であったとしてもそこに完全な癒しを見つけることができないのは、カレンが女性であり、妻の存在と相いれないものだからではないでしょうか。つまり、デイヴィスが確かに妻を愛していた。
クリスは学校になじめない子供。そして自分のセクシャリティに悩む子供です。その描写は突如として描かれていますが、最後のパーティで暴行されたのも、デイヴィスに送った手紙の内容から察するにそれが原因のようです。クリスは学校の決まりごとや他人と同調することに興味が持てない少年ですが、興味のあることについては驚くほどの表現力を見せます。偏った興味を持つクリスは、デイヴィスが自身で認める無関心という性質において、共通点があるのでしょう。
奨学金設立のパーティの夜が、決定的な破壊と喪失を3人に与えます。
デイヴィスにとっては、妻の妊娠と不貞の発覚。カレンはクリスの怪我と恋人との生活の崩壊、クリスは暴行を受けたことによる、自身への強い否定。
しかしデイヴィスはその後にメリーゴーラウンドを立て直すアイデアを義父に告げています。彼は妻の不貞の事実によって、初めて生の実感を得たのではないでしょうか。映画の中では少なくともその不貞を咎めることばは出てこない。確かにそれまで感情に上がってこなかった妻の死が、その事実を知ったことによって涙になるのです。のらりくらりと生きて来た彼の人生の中で、憎しみという感情によって初めて妻と向き合うことになる。
カレンはそれまでの恋人への不義と、息子クリスの存在と向き合います。
薬物中毒であることも息子に知られていたカレンはやはり後ろめたい気持ちがあった。彼氏への不義も息子に知られているし、決して健全な家庭ではない。そのすべての事実が彼女に突きつけられます。
クリスは自身の体を持って、喪失を経験します。セクシャリティの否定はほとんどが自己の存在の否定につながるものでしょう。
つまり、彼らは事実を突きつけられて痛みを知り、傷つく存在です。
彼が唯一、組み立て直したものが、メリーゴーラウンドです。傷ついた彼ですが、しかしその傷こそが再生への端緒となることを象徴的に表しているのだと思います。最後のシーンでは、対岸のビルが次々に爆破解体されるシーンが登場します。爆破に完成を上げる物見遊山の人々。そこにはこの物語で綴られる破壊という行為のポジティブな明るさが表されているのではないでしょうか。
この中で、カレンとクリスが担う役割とはなんなのでしょう。破壊と再生というテーマを強めること以上に、デイヴィスとの関わりの中に意義を問いたいですが、思いつかないのでこれは他の人の意見を見てみたいと思います。
不思議で癖になる
久しぶりに、三度目の鑑賞。
他人に説明しにくいこの沸き起こる情感…何度観てもいいです。
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愛してたとか愛してなかったとか、実は奥さんも浮気をしてたとか大麻とか銃とか、そういうゴタゴタが不思議と汚くも生々しくも見えない。
それでいて、わざとらしく感傷的な浮遊感もない。
狂気や、虚無や、その他色々な名前すらつかないような複雑な感情の動きと、思いがけない人間との交わりが、静かに騒々しく物語を進める。
無機質に狂っていたデイビスが、ある瞬間突然魂(心臓)を取り戻し、彼の人生が再始動する。この大きな心の変化をジェイクは完璧に演じきっている。
時折挟まれる海のシーンが、本当にいい!メリーゴーランドやクリスとの戯れも。
この感覚をまた味わいたくて、二晩連続で観てしまった。
何度でも観られそう。
ナルシスオーラと小物臭が滲み出る!!
ジェイクのファンですが、投資会社の男性が終始自分語りをして、自分に酔っている感じがキモく、正直どうでも良い映画でした。競争相手をヤるとかはなく、底辺労働者や他人の物に絡みに行くのも不快な感じです。「ダラス・バイヤーズクラブ」の監督ですが、今回はこれ以上失うものは何も無いし、とても狭い世界を描き、何も得るものが無い映画です。これで殺人犯なら動機にはなると思いますが、物に八つ当たりするだけです。お金に対する呪縛を解く為に、壱万円札を破ってみようというものがありますが、他人の物に当たり散らして損壊するのはあまりにも小物過ぎてショボいので、投資会社の人という設定ならジョーカーのように札束の山に火を点けて欲しかったです。多くの人を散々不幸にして儲けた反動というものがストーリー的に、因果応報としてはあまりにも足りません。
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