雨の日は会えない、晴れた日は君を想うのレビュー・感想・評価
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日常を過ごす中で忘れていたことに気付く物語
なかなか地味な話だったけど
多分誰にでも関係のある物語だと思う。
今まで上手くいっていたと思っていた生活が
出来事をきっかけにそうではなかったと気付く物語。
それまでの生活では出会うことのなかった人たちが関わり合うことで互いによい影響をもたらしていく。
こういうのは見ていて幸福な気持ちになる。
ただ、いかんせん地味すぎた。
邦題は詩ぽい感じ。
原題のDemolition、解体、の方がしっくりくる。
お葬式のシーンが、次々とシーンが切り替わっていって早くてあっという間に終わる。主人公の無気力感とか、
なんにも感じない、ただぼーっと時間が過ぎていくように感じた。
妻が死んだあと、身の回りの今まで気づいていなかったものに気づき始める。
夢、倒木、毎朝電車で会う適当に返してた人に真実を伝える、会社のトイレの軋み、冷蔵庫の水漏れ。
義理の父に言われた、心の修理は車の修理と一緒、解体して隅々まで点検して、また組み立て直す。
解体して何か分かっていくというよりも、解体する時間で気持ちを落ち着かせているように見えた。
ふとした瞬間に思い出す妻の姿、妻の言葉。
考えたくないのに、ふと思い出してしまう。
この居た堪れない気持ち、叫びたい、うわーーー、という気持ちを、解体することで解消していくように。
If it’s rainy, You won’t see me, If it’s sunny, You’ll Think of me
雨の日は会えない、晴れた日は思い出す。
和訳が詩的で、一発では理解できなかった。
「雨の日は見ないだろうけど、晴れてるときは私のことを想ってね」の方が分かりやすかった。
出会った時に流れてたアニメ、
タツノオトシゴ、貝、愛は永遠に、
妻はずっと思い出して欲しかった、最初の頃みたいに。
それに気づいて欲しくて、貝の石鹸とか、冷蔵庫や、サンバイザーにメモしてたのかな。
一緒に観てた相方さんが言ってたのは、
三脚つけずに手持ちで撮ってるカメラカットが多く、それに意味はあるのかな?ということ。
逆に、三脚をつけて撮ってる主人公が街中を歩くカット。あれの意味は?
あと、主人公だけ歩いてて周りの人が後ろ歩きしている、逆再生するカットもあって、あの意味ってなんだったんだろって聞かれて、私も分かんなかった。
小さい頃の大切にしてたことはみんなより早く走ること、それが今みんなは後退してるのに、自分だけ歩いてる?うーん。
これどういう意味だったんだろう?っていうのが多かったって言ってて、
私はただ日常が過ぎ去る感じで見ていたから
特に意味を深く考えてなくて、
改めてそう言われると何かそこに意味があったのか、意味のある演出だったのか、気づけてなかったところが沢山あるのかもしれないと、思った。
ぼうやが、怪我して入院したところも、
ただの出来事のひとつと捉えていて、
人生っていつ何があるか分かんないから、
いつ死ぬかも分かんないし、だから、お母さんが言ってた、あなたはそのままでいい、私はあなたの味方だから、っていうその言葉に、
無くして気づくこと無くなりそうになって気づくものがあるし、人間は普段身近にあるすごく大切なものに気づけてないのかもしれないと思ったし、それは後からその出来事ってなんだったんだろってよく考えて、感じたことでもある。
最後のぼうやが主人公に見せたかった
ビルが爆発してなくなるところ。
あれも何かメッセージがあったんだろうけど、よくわからなかった。
自分たちの手でひとつひとつ壊していく解体もあれば、ああやって一気にドカンと壊すやり方もあるよね、ということ?
この映画は何度観ても楽しめそう。
その時その時で感じることが違ったりするんじゃないかなと思った。
すごい良かった
登場人物全員がその世界で生きてるって感じれた。他の映画だと、重要な役でも脇役だと人間性が描かれてないなって思うことあるけどこの映画は違った。いい映画でした。多分また観るだろうなってくらい良かったです。
ギレンホールとナオミ・ワッツの世界。ギレンホールのキレ方がすごかっ...
ギレンホールとナオミ・ワッツの世界。ギレンホールのキレ方がすごかった。特に家を壊すシーン。少年は美しくクールだった。いまいち物語のツボはわからないが、妻に愛人と子どもができた話はよかった。この物語のツボ。
“やもめ”の話。
“やもめ”の話。
義父とのはなしはなるほどと思う。
子を亡くした親の呼び名が無いっていうのは、あっちゃいけないこと。
そうだなぁ、でもそれってどこかでも聞いた気がする。
常套句なのか?
で、泣けないやもめがどう自己再生をしていくか。
似たような話を他でも見たけれど、主人公の感情にどこまで共感するか、もしくはわかるだけに嫌悪しちゃうか。
感じ方は変わる。
わかっちゃうところもあるだけに、俺はそうではないと思いたい。
きちんと愛情が伝わっているものと。
ストレートに愛していたと言える親の方がまだ幸せなのか。
ハマった。
凄く好きな作品だった。何回も見てしまった。とても美しい作品だと思う。
この作品の解釈は人それぞれになってしまうのかな。
ジェイクギレンホール、凄い役者。強烈。グイグイ引き込んでくれる。
壊れ方もダンスも最高。そして繊細な感じも完璧じゃないか。
あくまでも私の解釈だけど・・・自分は妻を愛していなかったのではないか?いやいや、愛していたと思う。
だからこそ、自分をあんなに追求したんでしょ。確かに愛情を彼女には示さなかったけど。
当たり前にいたから、いないって事に適応できなかったんじゃないかな。
フラッシュバックのように何度も入る妻の映像のシーンが、デイヴィスの心を表していると思う。
妻の死後、どんどん子供化していくけど、それによって、子供の時のような殻のない自分を見つけ出したのでは。
ナオミワッツ演じるカレンとの海辺のシーンも好き。
デイヴィスと心を通わせる15歳?のこの時期の危うい感じや中性的なジュダルイスもジェイクに負けないぐらい見事です。
最後のメリーゴーランド、泣いた。
私は、ジュリアはデイヴィスの子を妊娠していたと思う。
また観たい。音楽にもハマった。
えータイトル、これのこと?
内容とタイトル、、
なんか、、ちがう笑
でもたしかに、タイトルがそのまま
デモンストレーション
だったら、埋もれてるかも?
いい感じのタイトルに惹きつけられました笑
ジュダルイスは
15歳?であの色気出せるのはすごい、、
から見て損はなかったです
なんだからモヤモヤする
これは解釈が分かれるだろうし、これが正解と強要しないエンディングか…
ある意味で心に問題のある主人公が人生の大きな帰路で自分の殻を割り、変わっていくのか?いけるのか?
伏線がありつつも、本質から脱線しまくる脚本が個人的にはしっくりこないかも…
ただ、ギレンホールの演技は名人芸の域に達してるわ。
エモい♡全編エモい
壊してみなくちゃわからない
自分のことさえもなにもかも
なにがどうなっているのか
組み立て直して一からやり直す
それが出来るんだから贅沢だ
この登場人物はみんな嫌いになれないなぁ
それにしてもNetflixのカテゴリー
【コメディ】になってたから見たのに…
あんま笑えなかったぞ?(笑)
ジェイク、ナオミ、クリス・クーパー
最高でしょう?こういう映画ってホント少なくて、何度でも観れる。奥は深い。深いから、この俳優陣なのだ。ジェイクは、いつからこんなに演技が上手くなったのか?クリス・クーパーみたいに歳を重ねる度イケてる男性になりたい。
ナオミの女優魂に是非、いつかオスカーを。💓
タイトルなし
妻を亡くしたが不思議と無感情、次第に心が壊れていく様をジェイク・ギレンホールが巧みに演じ、凄い演技。壊れていく過程で出会うナオミワッツとその子とのふれ合いはひょっとして幻影かと思ったが現実。そのふれ合いを通して、次第に妻の愛に気付かない自分に妻はサインを送っていたんだと気付き、妻の死をようやく悲しむ。説明描写がなく非常に分かりづらい映画。
無理やりオシャレな邦題にしなくても良いのよ?
交通事故により妻を亡くしたことがきっかけで、破壊衝動に駆られるようになった証券会社の社員ディヴィスが、身の回りのものを破壊していくことで心の傷を癒そうとする様子を描いた人間ドラマ。
主人公デイヴィスを演じたのは『デイ・アフター・トゥモロー』『ナイトクローラー』のジェイク・ジレンホール。
デイヴィスと心を通わせる女性カレンを演じたのは『バードマン』『ヴィンセントが教えてくれたこと』のナオミ・ワッツ。
何やらオシャレな邦題がついているが、原題は『Demolition』=破壊。
何の前情報もいれていなかったので、てっきり狂気に駆られた主人公が破壊の限りを尽くすサスペンス映画かと思っていました。
実際、映画の前半では妻を亡くしたことで正気ではなくなった男デイヴィスの奇行が描かれます。
ジェイク・ジレンホールの目つきが最高でしたね。どう見てもイっちゃってる人っていう感じが良く表現されていました。
デイヴィスは家の冷蔵庫をぶっ壊し、通勤電車を緊急停止させ、会社のパソコンやドアをぶっ壊す。
当然周囲は妻を失ったショックで精神のバランスを崩してしまったのだ、と思い込むわけですが、実は問題の根本はもっと深いところにあるということがわかってくる。
彼は周囲の物質や人間関係をぶっ壊すことで問題の根本を探ろうとする。
デイヴィスと同じように問題を抱えているカレンや彼女の息子クリスと交流を深めていくうちに、物語もだんだんと文学的な深さを見せていくようになる。
こういう「愛とは何か」「生きるとはどういうことか」を問いかけるような文学的な作品、個人的に大好き。
ゆったりとした物語進行に加え、BGMの殆どはヘッドホンやカーステレオ等で実際にデイヴィスが聴いている音楽という演出が成されており、デイヴィスがヘッドホンを取るとBGMも止まる。
BGMが流れるシーンは限られているため、全体的にかなり静かな作品。
そのため、100分くらいの上映時間だが、実際にはそれよりも長く感じる。中盤ではちょっと退屈だと感じるところも正直ある。
とはいえ、物語がどのような決着をつけるのか予測できない作品だったので興味の持続力は強く、妻の秘密が明らかになってからエンディングまでは目が離せなかった。
デイヴィスとカレンの距離が近づくまでの展開は、オシャレではあるのだがちょっと無理があるかも、と思ったりもした。
深夜に突然電話してきたり、駐車場にいるのに姿は見えなかったりと、初めの方は「あ、これカレンは実はデイヴィスの作り出した妄想の女性なんだな😏」と思って見てたのは自分だけではないはず。
クリスがボコボコにされるというラストの展開も、脈絡がなくて飲み込みづらい。
デイヴィスが病院で目覚め、親密な存在は…という展開を終わりにも持ってくるという円環構造にしたいというのはわかるがちょっと無理やりだったかな?
いや、しかしクリスを演じたジュダ・ルイス、むっちゃ美少年だったなぁ。
ビジュアルの美しさや物語の静謐さを重視するあまり、映画全体が平坦になってしまっているのは事実。
もっとアクションやサスペンス要素を詰め込んだスリリングな映画にすることも出来た題材だと思うが、結果としてはこの低温な感じで良かったと思う。
デイヴィスほど極端ではないにしろ、誰しも今ある全てを破壊して新たな自己を形成したいと思う時があるのではないか。
そういう感情を少しでも抱いている人には、この映画はオススメ!
夫婦で観るのは…ちょっと気まずいかもね💦
映画の内容とは直接関係ないが、本作の邦題が相応しいかどうかというのは考えるべき問題かも。
個人的に原題を直訳するのではなく、独自の解釈から邦題をつけるという文化は結構好き。
『The Shawshank Redemption』=『ショーシャンクの空に』
『Sister Act』=『天使にラブ・ソングを…』
『The Mummy』=『ハムナプトラ』etc…
とはいえ、「おいおい、そりゃねーだろ…😓」という邦題も勿論ある。
『Guardians of the Galaxy Vol.2』=『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』
『Whiplash』=『セッション』
『The Bucket List』=『最高の人生の見つけ方』etc…
本作の邦題は、作中でデイヴィスが見つける妻のメモに書かれた内容が元になっている。
「If it’s rainy, You won’t see me, If it’s sunny, You’ll Think of me」
このように書かれたメモがデイヴィスの車のサンバイザーに貼ってある。
デイヴィスはこのメモのことにずっと気づかなかったのだが、ある出来事の後でこのメモを発見し、涙することになる。
このメモ、作中の描かれ方がものすごくさりげないので、初見の時は「ん、このメモなんでこんなところに丸まって捨てられてたの?」と思ってしまいました…💦
さらに初見時、このメモの意味がよくわからなかった。
というのも、ここの日本語字幕の訳が最悪だった。
「雨の日は会えない
晴れの日は思い出す」
と字幕が出るのだが、これ妻が茶目っ気でデイヴィスのサンバイザーに貼り付けたものなんだから、こんな堅苦しい訳じゃダメでしょう👎素人でもわかるよ。
「もし今日が雨なら、あなたは私を見てくれない…(>_<)
もし今日が晴れなら、私のことを想ってね(๑>◡<๑)」
くらいの軽い感じで訳してくれないと、このメモの意味がわからん。
タイトルをカッコ良くする為にこのメモの訳をキザったらしくしたんだろうけど、その為に作品の意に沿わない訳をするのはどうかと思う。
よって、本作の邦訳はダメ〜🙅♂️
邦題に違和感
映画も印象的だったが、邦題が雨の日は会えない、晴れた日は君を想う──となっていたせいで、よく憶えている。
よく知らないのだが、外国映画の邦題は誰が付けるのだろうか。
わたしの想像だが、配給会社の社内で「こんどはきみが付けてみろよ」みたいな感じで振られた職員が「え、いいんですかあ」とか言って、えいやと付けるんじゃなかろうか。
わたしは大昔から無粋な邦題に気をもんできたが、何も変わっていない。どうでもいいと言えばどうでもいい──のかもしれない。
しかしわたしだけでなく、大勢の映画ファンが、長年にわたって、付け焼き刃の邦題を問題視してきたはずである。そのまま表記するか、直訳するか、たんにカタカナにすればいいのである。
人様の映画に、なぜ、名付け親がいるのだろうか。
なぜそんなことが許されてしまうのだろうか。
IMDBには、その映画の、各国の公開時期が載っている。そのJapan欄だけが、各国とは異なるタイトルが、日本語のローマ字表記で書かれているのである。
なんか──すごく恥ずかしい。
邦題を付ける機関は、いったいどんな状況で、映画の題名が発声せらるる──と考えているのだろうか?
「なんていう映画?」→「えっと『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』っていうの」
こんな会話が成り立つと考えているんだろうか?
日本で、外国映画の会話が成り立たない理由に、邦題のいい加減さがある──個人的には本気でそう考えている。
タイトルを聞かれたときに「忘れた」とか「なんだっけ」としか言えない。なぜ言えないのかといえば──こっ恥ずかしいからだ。とてもじゃないが、雨の日は会えない、晴れた日は君を想う、なんてタイトルを発声することはできない。
これを名付けた誰かはデイヴィスの悲しみに寄り添ったつもり──なのは明白だ。
しかし、この映画は、叙情をみるのは人それぞれに任せてあるからこそ「解体」と簡潔に命名されたのではないだろうか。叙情が題に露われてしまうのは下世話で、ばあいによっては改ざんともいえる──と思う。
なぜなら、深淵に追い詰められた彼の闇を『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』でポエムに流してしまっているからだ。
このタイトルは主人公の抱えた複雑な心象を──妻を失って悲しみに打ちひしがれた男──に単純化してしまっている。この映画は、そんなポエティックな話じゃない。
こういった話はAn Officer and a Gentlemanが愛と青春の旅立ちと邦題されてしまった時より前から山のように転がっていた。積もり積もって人々は映画の話を避けて通るようになったのである。どう考えても、日常会話のなかに、愛と青春の旅立ちはそぐわない。
ただし、邦題の方法が改悛されるとは、思わない。企業というものは頑迷なものである。
本題とチルダでつながった副題のある邦題をレビューに転載するときの、あの一抹のこっぱずかしさ。
邦題の名付け親にはぜひそれを大声で連呼してもらいたい。
好みではなかった
妻が事故で死んでしまい、涙ひとつ出ず、妻を愛していなかったと気づき、病院の自販機の故障からカスタマーセンターに自分への出来事と共にクレームの手紙を送る。
そこからもはやストーカーかと思う!くらいそこのカスタマーセンターの人の家行っちゃったりとか、え?の時間でした。
分解して治せるみたいな義父の話?から、冷蔵庫を直そうとしたらもう破壊。
そこからどんどんどんどん物を分解、破壊する日々。
そしてカスタマーセンターの息子と仲良くなったり、カスタマーセンターの女が妻と重なったり、最後には妻への愛があったと確認し、あの日は泣かなかったのに、愛に気づいて泣いたり、だけど、なんかなんにも全然感情移入できなく、なんか見なくてよかったなっていう感想でした。
ひとそれぞれですが私には向いてない作品でした。
大人の反抗期。
・他人に興味が持てない主人公
・自分の事だけ中心に考えて生きている主人公
→猿がお互いに毛づくろいしているように人と関わりたいけど、どうしたらいいかわからない
→妻が死んで急に周りが心配してちやほやしてくれたけど、それも居心地悪い
→嫌われたくない願望強い
→誰かに怒りを感じても抑え込む、妻に対してもそうだった
→憎しみすら抑え込んで、無感情になった
・私が死んだあとに好きになってみろという妻の仕返し
→妻は妻で葛藤している人物だった
・自分がなにに怒っているのかを分解して考えた
・妻の父に対しての怒りがあった
・妻に対しても怒りがあった
・それをぶちまけてやっと自分以外のことが見えるようになった
・すると死んだ妻が、だんだん好きになっていく
(徐々に感情が露わになっていく推移が非常によい)
・自分と同じように葛藤している、コールセンター女の親子の存在もあって、主人公は自分で自分を癒していく
・自立、自己治癒の映画
・エンディングテーマが非常に味わい深い(Half Moon Runというフォークバンド)
【”心の修理は車の修理と同じ。分解して組立て直す。” 心情表現が不器用な男の”迷える魂、再生”の物語。】
ー ”雨の日は会えない、晴れた日は君を想う”良い邦題だと思う。 ー
妻、ジュリアを突然の自動車事故で亡くしたデイヴィス(ジェイク・ギレンホール:少し世間常識からずれた人を演じさせたら、天下一品。今作でも見事である。)は妻が運び込まれた病院のICU病棟で、自動販売機でチョコを買おうとしたが、”故障”で買えない。
彼は、自動販売機会社に起こった出来事を手紙にしたため投函する。”妻の義父の縁で務めている金融会社”に通勤する途中の列車の中でも、見知らぬ男との会話で”妻が死んでも悲しくない”と言い、非常レバーを引いて列車を止めてしまう。
ー デイヴィス、相当、参っているのか・・? -
ある日の”夜中2時”に自動販売機のカスタマーサービス嬢カレン・モレノ(ナオミ・ワッツ)から電話が入り、言われた言葉。”4通の手紙を読んで泣きました・・。”
ー この人も、相当参っているのかなあ・・。夜中の2時に電話って・・。 -
(名前は後日、通勤途中で分かるのだが・・。この場面はちょっと無理がある気がした・・。)
この電話を切っ掛けにデイヴィスの”解体作業”が始まる。
ー 映画の原題は”Demolition"である。 -
■デイヴィスが解体したモノ(映像で確認できたモノ)
・妻が”亡くなる直前、運転しながら修理してくれと言っていた”冷蔵庫
・会社のデスクトップパソコン
・見知らぬ家の解体を241ドルも払って遣らせてもらう・・。(呆れる作業者たち、そりゃそうだ・・。)
ー 家の留守電メッセージも相当変わっていて、義父も激怒。そして、義父からは解雇通知にサインしろ!と迫られる。(そりゃそうだ・・) ー
カレン・モレノの悩みの種の一人息子クリスとは馬が合い、”相当危ない遊び”をしたりする。
ー クリスも、色々悩んでいるのだろうなあ。自分に正直すぎるのだよ・・。似た者同士に見えるよ・・。 -
そして、とうとうブルドーザーまで借りて来て、自宅を解体し始めるデイヴィスとクリス・・。
ー 自己治療かなあ、二人とも・・。 -
■が、作業中、妻のクローゼットからデイヴィスが見つけたモノ・・。
デイヴィスは妻ジュリアを偲ぶパーティ&奨学基金設立発表の場に、カレン・モレノと出席。
怒る義父(そりゃそうだ・・)
だが、妻の遺したメモの件で、義理の母がある事実を話し・・。
<人間の心の複雑さと、善性を少しだけ”捻って”表現した作品。
ジェイク・ギレンホールは矢張り、素晴らしい俳優であることを再認識した作品でもある。>
ある意味、バイオレンス映画
奇人や風変わりな人を演じさせたらジェイク・ギレンホールの右に出る人がいないね。妻を突然、交通事故で亡くして、立ち直るまでのシンプルなヒューマンドラマだから、普通の俳優が演じたら平凡な映画になったと思う。
奥さんを亡くして、おかしくなったんだか、元々感情が抜け落ちている男なのか、まったくわからないからどんどん惹き込まれて、先が見たくなる。また、音楽の使い方がいい。カレンの息子が、Freeの『Mr. Big』に合わせてドラミングしたり、デイヴィスがHeartの『Crazy On You』を車中で熱唱したり。音楽を楽しむことによってデイヴィスの気持ちも上向きになっていく。
カレンの息子との交流が一番良かった。ラストにうまくつながってる。ジェイク・ギレンホールはこういうミニシアターで上映されるような映画があってるね。『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』では個性が出てなかった。
物を分解したり解体したりすることで自分の心の中(ジュリアとの思い出...
物を分解したり解体したりすることで自分の心の中(ジュリアとの思い出の日々)を探っていくっていうのはなんだか深い。
ラストのジュリアの遺産でメリーゴーランドを直すのは感動的だし心の修復を表しているのかなぁと思う。
ストーリーも演出もなかなかおしゃれ。
全164件中、21~40件目を表示