劇場公開日 2016年5月7日

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「長回しだから、ってことじゃない」ヴィクトリア(2015) 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0長回しだから、ってことじゃない

2020年7月11日
PCから投稿

カットがない。見た限り暗転もない。140分ほぼ一発撮りの長回し。

映画で長回しといえばカット間が長いことを言う。タルコフスキーやアンゲロプロス。たいてい固定か、ゆっくり移動するレールカメラで、台詞も少ない、または無い。
ところがこの映画のばあい、そもそもカットがなく、カメラは手持ち。人物は喋りっぱなし。

一発撮りといえば、三谷幸喜の大空港2013がそうだったが、カットがなくても、カメラが捉えている人物が変わる。
ところがこの映画のばあい、カメラはずっと主役のヴィクトリア、ゾンヌ、ボクサー、ブリンカーを捉えっぱなし。かれらはフレームを外れて息つくことができない。

しかし、この映画が優れているのは、その手法によるのではない。どのみち、見ている最中にはそこに意識は及ばない。見終わって、そういやすげえ長回しだったなと気付く。

実時間と同じ進行だから、ヴィクトリアの置かれている状況を説明できない。説明的な描写もない。にもかかわらず、状況がわかる。

故国スペインを離れてベルリンにいるヴィクトリア。
ピアニストになる夢に破れ、自分のいる世界が嫌になり、傷心をかかえて逃げてきた。とはいえ、異国でひとりぼっち、数ヶ月が経ち、友達がほしい、人が恋しくてならない。

それらのことが、バーテンに話しかけようとする、初対面の男たちについていく、ゾンヌに思い入れる、酒を泥棒して屋上で絶叫する、ピアノを弾いて泣く、わけも判らぬまま犯罪の片棒をかつぐ、強盗がうまくいって束の間の高揚に沸く、などの行動と言動から、わかる。
ヴィクトリアの内面が、自棄と悲しみでいっぱいなのが、わかる。

警官隊にブリンカーとボクサーが撃たれ、ゾンヌもホテルのベットで息絶える。ヴィクトリアは号泣するが、ひとしきり泣いて、我に返ってみると、ほんの数時間前に会った男の死体と、5万ユーロ。お金を手にして、すっかり明けた街を歩き去る。

行き掛けの駄賃とも言えるがクライム映画ではない。そもそも強盗したお金を得とみるのは不合理だ。といって不合理系のピカレスクでもない。色恋もなく、なにも成就せず、解決もしないが、ヴィクトリアの悲しみに寄り添い、濃密な時間を過ごした。マイクリーのNakedに印象が似ている。

赤子を連れ出すシークエンスだけは嫌だったなあ。

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津次郎