ゼロ・ダーク・サーティのレビュー・感想・評価
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長いのに最後まで緊迫感
気の遠くなるような長い期間をかけて、何度もハズレを引きながら反撃されながら、オサマの居場所を掴んでいく。
この監督さんはアメリカのプロパガンダ映画を作るという批判が多いからか、本作ではそう思われないように気を遣っている様子がうかがえる。
真実と演出の堺目はわからないけど、映画としては楽しめた。
プロパガンダ??
プロパガンダ映画と言われているが、CIAの拷問を描いていたりと見ている側にちゃんと余地を残している客観性はあるように見えた。
というか、シンプルに面白かった。迫りくる臨場感とリアリティーは一見の価値有りかと。
まるでドキュメンタリー
観ていてとても辛かったです。
最後のビンラディン射殺のときに子が目の前で人が死ぬのを目の当たりにしたのは大変ショックでした。そして最後の涙は何だったのか今でも気になります。
緊張感溢れる映画でした。
緊迫感・焦燥感がひしひしと
「苦い幕切れ」と言いたげな撤収・結末がなんだかなぁという感はあるし,ビグロー監督とは微妙に肌が合わないのも確認できたが,緊迫感・焦燥感がひしひしと伝わってくるのは間違いない.観て損はしない
出た!アメリカ特有の映画。
出ましたね~。偽善映画が。アメリカは好きだよね~。負け戦をあたかもかっこ良く終わらせる映画。もうベトナム戦争映画でもう飽きたよ。この映画あたかもドキュメンタリー風って唄ってたけどバリバリ、フィクションですし設定もお粗末。そもそも戦場も知らない高卒12年目のCIA女子職員に国の情勢を脅かす計画を任すだろうか?有能って設定だけど映画を観てると有能って場面は全く無かった。ただ自分の意見をだだっ子的に押し付けてるにしか観れなかった。挙げ句の果てにヴィンラディンの顔の承認も彼女だし(笑)
で自分で押し付けといて最後泣くし。これには爆笑です。非人道的なプロジェクトを達成しておいてお涙頂戴は無いよな~。軍事や世界情勢に詳しい人から見るとこの映画はとりあえずヴィンラディン風の人を殺しちゃったけどアメリカ軍事は凄いでしょ映画でした。
もうアメリカ視点の戦争映画はベトナムだけにして欲しいものだ。唯一良かったのが今亡き名優ジェームスガンドルフィーニが出てる事かな。
怪物と戦う者は自分も怪物にならないよう注意せよ。 深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗き込む。
良かった。
ビン・ラディンの情報を得るため行われる捕虜への虐待。
虐待を繰り返すことによる加虐者側の心の疲弊。
誰のため、何のためにこんな事を続けなくてはいけないのか。
関係する人々は皆、暗黒面に引き込まれていく。
また本作で良かったのは終盤にある一連の突入~鎮圧のシーン。
CIA局員である主人公が場所を突き止めて…という話の場合、往々にしてあるのが連絡でミッション成功を知るパターン。
そこで雄大な音楽が流れ皆が手を握り肩を組む。
本作はそんな安っぽい展開にはなっていません。
特殊部隊の突入~鎮圧を丁寧に描いています。
その映像を見て思うこと。
訓練された組織の凄まじさ。
そして憎しみの連鎖は結局止まらないということ。
最後、主人公に対して投げられる或る質問も感慨深かったです。
主人公であるサラと米国という国全体が被る瞬間でした。
157分と比較的長時間の分類に位置付けられる本作。
中盤で中弛みが無いと言うと嘘にはなりますが、
終盤の戦闘シーンを観るだけでも元は取れると思います。
オススメです。
パキスタンは
いきなり外国の軍が舞い降りてきてドンパチ。
主権侵害されまくりのパキスタンは
この作戦のあと慰謝料、迷惑料もらえたのでしょうか。
それ思うと夜も寝られなくなっちゃう。
生け捕りも可能かと思われた状況ですが
(足を撃ってとか)
でも殺してすぐ海に捨てるより生け捕りにして
裁判にかけるとより神扱いされてしまうだろうなあ。
冗長という意見もありましたが前に見たテレビ局作成の
ドキュメンタリーをBSで見てましてそれに比較しながら
半分ドキュメンタリーのつもりで退屈しませんでした。
終わりなき戦い
ビンラディン殺害という、まだ十分な冷却期間があったとは言えない事件を映像化するにあたっては、相当の批判も覚悟しただろうし、脚本執筆も神経を擦り減らす仕事だったであろうことは容易に想像がつく。
CIAをはじめとする各国の諜報機関が総出でその行方を追っていたビンラディン。
その映像化作品ということで、派手な活劇を期待した人も多かっただろうが、残念ながらそれを期待した人は肩透かしを食らっただろう。
捕虜への尋問、情報収集、情報分析、懐柔、買収、根回し、説得…。
ビンラディンとアルカイダナンバー3との連絡員“アブ・アフメド”を特定するまでの過程は忍耐に次ぐ忍耐。
正に、忍耐が執念を醸成したと言っても過言ではない。
二時間半超という尺は確かに短くはないが、この長尺やジリジリするような展開が、マヤをはじめとするCIA局員の焦燥感を観る側が共有すること容易にしている。
もしも、これをテンポのいい活劇に仕立てていたら、この焦燥感は到底共有出来なかったに違いない。
製作側の意図は、この事件を題材にしてエンターテイメント作品を作ることではなく、この作戦がどういうものだったかを伝える、ドキュメンタリーに近いものを作ることではなかっただろうか?
当時、ビンラディン殺害のニュースに沸くアメリカ国内の様子には、何とも言えない複雑な違和感を感じたが、すべてが終わった後にマヤが流す涙にもまた複雑な思いが感じられた。
アメリカにはビンラディンを野放しにするという選択肢はなかった。
しかし、ビンラディンがいなくなってもテロリストは存在し続け、テロ事件も起きる。
戦いは終わらないのだ。
あくまでもフィクション
マヤが置かれている状況や、彼女がすごくのめり込んでいく流れはわかる。もっと注文をつけると、もっと人格が壊れてしまいそうな感じで行き過ぎになっても良かったのでは。実際にいる人を描くのではなくて、あくまでもフィクションとしてみたい。というのも、戦争で一方の立場の視点から描く場合、フィクションの枠を出られないから。視点が偏るのをわかっていて、どうして映画にする必要がのか、それが伝わってこなかった。まかりとおっている拷問。上のものの許可が下りないなど、事情はわかってくるけど、マヤという女性の視点が中途半端に客観的にしようとして、マヤ個人が見えなかった。
常にそこには人間がいる
最初の拷問場面で、ちょっと気分悪くなりました。
でも、CIAの人も仕事だからやっている。
あの拷問部屋を離れれば、普通の人になる。
どちらの側にも憎しみがある。
同胞を殺される痛み、そこから生まれる憎しみ、
復讐のループができてしまう。
でも、そこから逃れる方法がみつからない。
テロを止めるには。悪いやつを殺さなければならない。
主人公はその信念だけを頼りに執拗にビンラディンを
追いつめていった。
拷問は倫理的に間違っている、
何も殺すことはないじゃないか
と非難することは簡単かもしれないけれど、
あそこで人を殺してでも目的を完遂しようとする人々は
そんなことわかった上でやっている。
その救いようのなさ、悲しさが画面から滲む。
目的を達した後も、結局は何も得られないのだと
最後のマヤの涙が語っている気がします。
これは、反戦だし、反暴力映画だと私は思いました。
秀逸です。
答えはないけれど
見て、自分が何を感じるか
噛みしめたい映画だな。
気を抜けない危うさがリアル
こんな殺伐とした国が実際にあると思うと恐ろしいですね。
いつ自分、もしくは同僚が殺されるか、人質になるかわからない。こういう仕事をよく続けられるものです。作中にもありましたが、もう精神はボロボロでたまらないんじゃないでしょうか。
突入の映像は息が詰まるほどリアルでまさに記録映像のようでした。
街の誰が敵かわからない、いつ誰が裏切るかわからない、自分の命を犠牲にしてまで目的を果たそうとする組織。
恐ろしいことばかりですが、一番恐ろしいのはまだ問題は片付いていないということだと思います。
非映画的な映画
東日本大震災から二ヶ月後に決行され、日本でも報じられたビンラディン殺害。
今の10代は9.11がどういったものだったのかわからないのが普通で、この映画を観て“理解しろ”というのは無理難題に近い。
だから知らない人は観る前に少し知識として入れておくといい。
映画としての出来は率直に言えば悪い。
なぜなら、全編通して映画的な時間配分を無視して作られてるからだ。
冒頭の拷問シーンしかりアブアフメド追跡過程も、カットして短くすることは出来たはずだ。なぜそれをやらなかったのか。
それは監督自らが記録として残し伝えたいからと語っている。
事実かどうか明確ではないものを伝えるというのも甚だおかしな話ではあるが、彼等の緻密なリサーチによって作られたこの映画には、本来必要なものが全く描かれておらず、ただひたすらに起こった出来事を描いている。
この映画には感情が無い。
主人公のマヤは紆余曲折ありつつも、アメリカの敵とされるビンラディン追跡にひた進む、悪く言えばマシーンだ。
そんなマヤに観ている人は感情移入出来るはずがない。この映画は本当に歴史を辿っているだけだ。
戦争は、いち意見で語ることは不可能であり、今後の歴史においても、社会に生きている以上解決出来る問題ではない。
必ず意見のバックグラウンドが邪魔をする。現実問題としてこれは仕方がないことだ。
それらの意見を全て飲み込む作品を作るとして、1番なのは結果だけを描くことだ。
起きた事以外を描かない。
この映画に関しては、この無感情なストーリーが「記録」として相応しいものになっているということ。
実際に抗議などが出た問題作ではあるが、描くことを禁止するというのは「記録」として残す意図とは真逆の存在になってしまう。
そういった意味で、この映画の非映画的な部分が存在している。
しかし映画としてラストシーンは必要である。
言わずもがな、最後はビンラディンが殺害される。ここで終わったら観ている人は何を思うか。
納得や理不尽感といった気持ちで終わってしまうだろう。果たしてそれでいいのだろうか。
「記録」として残す以上、今現在、現状も伝えるべきではないのか。
劇中のマヤは、言うなれば当時のアメリカ国民の代弁者だ。
同朋を殺された国民は怒り、ビンラディン殺害が行われた日には喜び笑い、そのことに疑念を抱いた者は叩かれた。
だが、事が終わり、何が始まったのか。
テロは消えたのか。
戦争はなくなったのか。
10年という長い年月を経て成し遂げ、得たのはなんだったのか。
この映画のラストシーンは、そのことについて問い掛けた秀逸なものだった。
ただひたすらにビンラディンを追い求めたマヤと国民。
成し遂げた先のマヤ(国民)は、一体どこへ向かうのか。
映画を観て、考える。それが出来る映画。
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