眠れる美女 : 映画評論・批評
2013年10月9日更新
2013年10月19日よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー
政治、宗教、倫理を問う、3つの物語から噴出するエモーション
今世紀に入って、現代史の闇をえぐる挑発的な傑作を放ってきたマルコ・ベロッキオの新作「眠れる美女」は、2009年にイタリア全土を震撼させたエルアーナ・ユングラーロの尊厳死事件に触発された3つの物語からなる。
1つ目はかつて妻の延命治療を停止させた過去をもち、ベルルスコーニ首相の延命措置を続行させる法案に賛成票を投じるか悩む国会議員とその父に不信感を抱く娘の話。2つ目はキャリアを捨てて植物人間状態の娘のために介護に専心する元大女優とその家族の物語。3つ目は麻薬中毒で自殺願望に憑りつかれた女と医師の話だ。
だが、ベロッキオは、尊厳死の賛否をめぐる単純な二元論的な問題提起を主題にするのを周到に避けている。映画は、通常のオムニバスとは違い、3話が同時並行で語られる。そのため、一見、混乱をきたすかにみえるが、政治的な視点、宗教性を帯びたカソリック的な視点、そして人間的な倫理を問う視点が強調された、それぞれ独立した挿話がシャッフルされる中で、画面の奥底から熱く煮えたぎる狂気にも似たエモーションが噴出してくるのだ。これこそが、ベロッキオの映画のかけがえのない魅惑である。とりわけ、自殺常習犯の女が窓から飛び降りようとするのを、必死で抱きとめて阻止する医師、この2人が病室で朝をむかえるシークエンスは素晴らしい。
薄明の中、癒しがたい孤独と絶望を宿したヒロインの瞳に、一条の光が宿る瞬間を、映画は決して見逃さない。ベロッキオの秘蔵っ子であるマヤ・サンサの悲哀と希望がないまぜとなった表情が、観る者のうちに深く刻み込まれるのである。
(高崎俊夫)