劇場公開日 2013年1月26日

「シェイクスピアの普遍性」塀の中のジュリアス・シーザー arakazuさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0シェイクスピアの普遍性

2014年2月25日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

知的

刑務所内に立派な劇場があることを考えても、イタリア国内において、囚人の演劇プログラムはしっかり根付いているものらしい。まず、この事実に驚く。
だから、この刑務所内での出し物を観たであろうタヴィアーニ兄弟が、
「これは映画になる!」
と考えたとしても何ら不思議はない。
しかし、これを本物の服役囚を使って撮影するとは、かなり大胆な試みだ。

演じる役者達は、皆刑期十年以上の重罪犯。中には終身刑の者もいる。
改修中の劇場は使えず、稽古はもっぱら刑務所内のあらゆる場所で行われる。
無論、衣装もなし、小道具も必要最低限。
しかし、役者達の稽古が熱を帯びるにつれ、彼等は役と同化していき、塀に囲まれた狭い運動場はローマの広場に見えてくる不思議。
そして、役者達の“熱”は出演者以外の服役囚をまでも巻き込んで行く。

これは、役者や演出家の情熱と努力の賜物と言えるだろうが、やはり痛感するのは執筆から何百年と経ても尚、世界中で上演されているシェイクスピア劇の普遍性だ。

出所後のために、職業訓練はもちろん必要だろうが、更生という観点でいえば、演劇プログラムはかなり有効ではないだろうか?
ひとつの作品を作り上げる過程での他者との関係、協調、そして何と言っても、無事にやり遂げた時の達成感、喝采を浴びる高揚感。
これらは、職業訓練では得られないものだ。

arakazu