劇場公開日 2013年5月18日

中学生円山 : インタビュー

2013年5月16日更新

宮藤官九郎監督と遠藤賢司が行き着いた作品づくりの境地

みんな“宮藤官九郎ワールド”の秘密と魅力の解明に躍起である。もちろん、放送中のNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の影響だ。わき起こる称賛の嵐に、脚本を手がけた宮藤官九郎は「知らない親戚が増えました」と笑みを浮かべるが、この喧騒の中に投下しようとしているさらなる爆弾が、監督最新作「中学生円山」だ。主演の草なぎ剛(SMAP)をはじめ、韓国の名優ヤン・イクチュンら錚々たる顔ぶれの中でひときわ異彩を放つのが、“純音楽家”エンケンこと遠藤賢司。実はこのキャスティングこそが、宮藤が表現しようとする世界を解き明かす“鍵”と言えるのかもしれない。(取材・文・写真/黒豆直樹)

「物語の筋もまだ考えていないときにエンケンさんが歌っているシーンを思いついたので、まさに歌ありき、エンケンさんありきの映画。超当て書きです(笑)。お芝居に関しては分からないけど、でも絶対に大丈夫だろうって根拠のない自信があった。いや、というかエンケンさんのやることが正解なんですよね」。遠藤が演じる元ミュージシャンの老人・井上のおじいは、決して映画の中心にいる人物ではない。物語の軸となるのは、妄想にふける中学2年生の少年・円山と、彼が暮らす団地に引っ越してきた謎のシングルファーザー・下井(草なぎ)の交流にある。

原作のないオリジナル脚本での映画製作が容易ではない現況において、少年の妄想をテーマにした企画にOKが出たことに感心してしまうが、そのきっかけが遠藤の熱唱シーンだったとは驚きを禁じ得ない。宮藤監督は、「映画の中でエンケンさんの『ド・素人はスッコンデロォ!』が急に入ってくる――時間を自分勝手に好きなもので埋め尽くす。それが自分の中ですごく大きな意味があると感じたんです。エンケンさんの存在すら知らない人たちが見てびっくりしつつ、大音量とエンケンさんの説得力に衝撃を受けるだろうと。何にも似てない、どの映画にも、どんな瞬間にもない時間を作りたかったんです」

遠藤は「最初は歌だけだと思っていたら、意外と本格的な演技のシーンもあったんで『大丈夫かな?』と思った」と明かすが、宮藤監督を信頼して出演を決めた。そして「まあ、俺の音楽を好きってことは、俺の演技やら何やら理解してくれているんだろうって。だから監督に甘えればいいやってことで決めました。周りを見ると、草なぎくんから一番年下の(鍋本)凪々美ちゃんまで、みんな俳優さんで、本番が始まってコチコチになっちゃうこともあったけど(笑)。でも俺は俺でやろう、遠藤賢司遠藤賢司でやるしかないんだって思って最後までやったよ」

主人公たちと同じ団地で暮らす、認知症を患っていると思われる徘徊老人。「俺の勝手な解釈だけど…」そう前置きし、遠藤は自らの役柄を語る。「疲れて誰かの問いに答えるのも嫌になったじいさんなのかなって。昔は激しいこともやっていたんだけど、奥さんにも先に死なれて『もういいよ』と。そこには震災も横たわっているのかなと思うよ、心の中にね。何もかもが嫌になって徘徊していたんじゃないかな」

そんな老人がある瞬間、街角で歌うミュージシャンのギターを引ったくり、「火がつく一瞬を切り取りたかった」という宮藤監督の期待通りの激情と共に「ド・素人はスッコンデロォ!」と雄叫びをあげる。その瞬間を目撃した小学生の少女・あかね(鍋本)は、老人にほのかな恋心さえ抱いてしまう。

「あのシーンで共演した凪々美ちゃんがね、その後で手紙をくれたんです。そこには『あのとき、音が全部私にぶつかってきて、体中がお祭りになった』って書いてあった。僕は音楽に年齢は関係ないと思っているし、しち面倒くさいことはこっちが考えるから、ダーンッと受け取ってくれたらいいと思っている。だからその手紙を読んだときは嬉しかったし、『これで大丈夫なんだ』って自信を持てた」。

本作の遠藤や草なぎ然り。過去の監督作や脚本作品を見ても、どの俳優も宮藤作品では生き生きとスクリーンの中で躍動する。それは、コメディだからという理由だけではないだろう。俳優たちに何を求めるのか。そんな問いに対し、宮藤監督からはこんな答えが返ってきた。「僕は映画監督として立て続けに何本も撮れるわけではないから、1本ずつを大切にしたい。だから、俳優さんが他の作品でどんな役でどんな顔をしているかっていうのは、あまり気にしない。僕の作品に出て、よく分からないけど乗せられてなんか楽しかった、と感じてもらうのが一番の基本です。それでスクリーンに映る表情は全然違ってくると思うので。僕自身も俳優をやっていますが、『この役の、このセリフの意味は?』って考えることはほとんどありません。知らないけど現場行って、言われた通りにやったら楽しかったというのが理想です」

ちなみに、冒頭で触れた「あまちゃん」現象とも言うべき周囲の喧騒については「何だよ、いままでも手を抜いてきたわけじゃなくずっと頑張ってきたのに、何でこんな急に? と思わなくもないです(笑)」とボヤキつつも、「ほめられるのも悪くないと思っています」とニヤリ。さらに「全て通り過ぎた後に、自分なりに考えるところはあるかもしれないけど、いまの時点で自分の作品についてあれこれ分析することはないです。『あまちゃん』も奇をてらったりしているわけでは全然なくて、僕自身が見てきた朝ドラを自分なりに再現しているだけ。あくまでも、ちゃんと朝ドラなんです」と話した。

隣で聞いていた遠藤は、「言葉が生きているんだよ」とポツリ。それは自らが求める音楽と宮藤作品の共通点でもあるという。「宮藤くんの脚本の中の言葉って、セリフとして口に出したときにものすごく生きてくるんだよね。平易な『こんにちは』って言葉ひとつでも、脚本の力でそこにいろんな意味や思いが込められているんだ。音楽もそうで、俺は書き言葉と音楽の言葉は違うと思っているけど、難しい言葉や御託を並べて『どうだ!』ってやるやつは分かっていないんだよ。全ての詞にはメロディがあって、それで相手を納得させられるかどうか。宮藤くんの書く言葉は口に出したときに納得させられるんだよ」

「エンケンさんが言ってくださったことの答えというか核と言えるかもしれないけど……」。宮藤監督が明かしたのは、めぐりめぐって行き着いたという作品づくりの境地。「シンプルですけど、いま実感として思うのは、ちゃんと面白い脚本を書けば面白く撮ってもらえるということ。そんな簡単なところに戻ってきた気がします。朝ドラは週ごとに監督が変わるし、初めての監督ばかりだから『何も説明していないし、現場にも行っていないけど大丈夫かな?』と思っていたんですが、自分が面白いと思いながら書いたところは面白く撮ってもらえているんです。そうか、俺は面白い本を書けばいいんだってしみじみ思っています」

それは他でもない、遠藤が本作への出演を決める際に宮藤監督に出した唯一の注文――「自分が一番見たい映画を、本気で勧めたくなる映画を作ってくれ」という言葉と全く同じもの。宮藤よりも23歳年長の遠藤は言う。「一番正しいから一番大変だけど、これからもずっと自分が見たい映画だけを作ってほしい。音楽もそうだよ。そう、自分がつまらなかったら、他人はもっとつまらない。ただの時間泥棒だよ。僕はそれを胸に、自分が一番聞きたい音楽だけを、自分と激闘しながら、ずっとつくってきたよ。これからもね。でも、宮藤くんはそんなこと百も承知。毎日毎日、自分と激闘している天性からのすごいやつだよ」。

最後にもうひとつだけ。質問するには時期尚早かもしれないが、同時期に同じ年代の少年と少女を主役にした「中学生円山」と「あまちゃん」は、宮藤監督にとって互いに影響し合う“双子”のような存在なのだろうか。「どうなんでしょうね。『円山』はずっと前からやりたくて温めていた企画で、切り捨てた部分も含めて僕の中でひとつの作品であり、すごく難産でした。『あまちゃん』は意外と考え始めてからスムーズに出てきた気がします。ただ、『円山』を書いて『あまちゃん』を書いて、『円山』を撮って、また『あまちゃん』を書いてという流れなので、意図せずして混じりあっている部分はあるかもしれませんね」。

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