白い野獣

劇場公開日:

解説

「わが愛は山の彼方に」の田中友幸製作。脚本は「春の目ざめ」(脚本・演出)につぐ成瀬巳喜男と西亀元貞(第一回)の協同で、成瀬巳喜男が演出した。撮影は「音楽五人男」の玉井正夫担当。主演は「女優須磨子の恋」(松竹)「第二の人生」の山村聡、「戦争と平和」「雲は天才である」(準備中)の飯野公子、「わが愛は山の彼方に」の三浦光子で、ほかに木匠久美子、千石規子、北林谷栄、石黒達也らが出演する。

1950年製作/92分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1950年6月3日

ストーリー

ここ白百合療では多くのヤミの女に強い自覚と生活のよろこびを与えるため青年療長泉と理知的な女医中原が、自分を忘れて尽していた。新しく療へ入って来た啓子は、自分の踏んで来た道を間違ったものと考えていなかった。「きょう楽と共に自分の生活が苦もなく続けられたことがどうして間違ったことであろう、汚れた女だとひとはいう、しかし私が求めた喜びがどうして汚れているというのだ」と彼女は思う。だが泉は「身体の問題じゃない、そのことが間違ったことであるとわかるのは君が本当に何かに愛情を感じたときにはじめてわかることだ、今はただここで真面目に働らけばいい」そういって聞かせるのだ。中原は泉の寛い愛情の中で、同性のために働らくことが幸せであった。そしてそのような正しい生き方をしている泉や中原をみる啓子の心はしだいに自分自身のあゆんで来た道へのキグがうまれてきた。それは泉へのいつか芽生えた女の心であったかもしれぬ。そのころ、療生の一人玉江は脳ばい毒で気が狂って死んでいった。最後まで女の肉体の尊さを知ることなく--。そして同じころまだ少女のあどけなさの残っているマリは新しい生命を宿していた。それらを知った啓子の心は急に何か知らぬ大きな転換をはじめた。だがすでに享楽はけがれでないと信じていた彼女の肉体も病魔に襲われていた。ばい毒性視神経交さ炎がそれであった。眼がいたみ、そして次第に明るさを失っていく彼女の耳に、マリの赤ん坊の産声が聞えた。しらじらと夜が明けた。啓子はすでに心のさく乱がなかった。朝の庭に泉と中原が夜明けの誕生を喜びあい、「すべての女が母というものをいつも感じていたら多くの間違いがなかったのに--」と語りあっている姿が、光を浴びて立っていた。

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映画レビュー

4.0身体を売った結果について

2023年8月9日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1950年。成瀬巳喜男監督。摘発された街娼を社会復帰させるための施設(寮)に、新入りがやってくるが、その新入りは自分の身体を自分で好きなように使って何が悪いと開き直り、規則も無視してやりたい放題。しかし、理知的な寮の女性医師に惹かれていく。一方、寮内での勢力争いの中で、梅毒によって狂気におちいる女性も現れ、恐怖が広がっていく。
戦後社会において身体を売る女性たちと彼女たちへの周囲の視線を踏まて、主体的に生きることを模索する。貧困からだけでなく、戦中に戦争慰安婦だった者もいるし、兵士となった婚約者が帰還しなかった者もいる。そんななか、自分の欲望のままに身体を使えばいいと割り切る主人公。戦争は終わり、兵士は帰還し、売春の結果として梅毒にもなれば、妊娠もする。結果を引き受けるそれぞれの女性たちの姿が悲しい。
女性医師の飯野公子が凛として美しいが、仕事をしながら会話になるときに鉛筆をもてあそんでいる。会話の内容とは関係なさそうで、どこか他人に正直になれない人のような、常に嘘をついている自分を自覚しているような、不思議な印象。
不思議なのは、明らかに同性愛的な傾向から女性医師に惹かれていた主人公が、突然、男性寮長に惹かれ始めること。梅毒の進行によって神経をやられていくことと並行しているように描かれている。これは性的指向の変化なのか、病気の進行なのか。いずれにしても身体のコントロールを失っていく主人公の姿が切ない。

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