夜霧の空港

劇場公開日:

解説

秋元隆太・中山淳太朗の原作を、秋元隆太と鈴樹三千夫が脚色し「だから云ったじゃないの」の堀池清が監督した歌謡映画。「俺は淋しいんだ」の中尾利太郎が撮影した。

1959年製作/62分/日本
配給:日活
劇場公開日:1959年9月30日

ストーリー

東京検察庁で、慎吾は井口検事に取調べを受けた。彼は城北大学大学院の学生だ。作曲家志望で、フランス留学をめざしていた。“授業料値上げ反対”のデモで、公務執行妨害、傷害の疑いをかけられたのだ。見知らぬ女子学生を警官隊の暴力から救ったからだ。女子学生の名前も身許もわからなかったので、井口検事は慎吾の言葉を信じなかった。身柄不拘束の裁判を受けることに決った。慎吾は数日後、学校でその女子学生に出会った。二人は語り合う。慎吾は孤児だった。女は秋子といい、仏文専攻の学生だった。子供の頃から病弱だといった。それから、二人は度度逢った。留学生試験の前日、慎吾とあった後、秋子は一人の刑事から、彼の関係をいろいろきかれた。彼女の父は城南大学の校長だった。秋子は父と継母の富枝から彼とつきあうなといわれる。翌日、留学生試験が終り、約束の場所へついた時、秋子の姿はなかった。検察庁からは喚問状が来ていた。井口検事は秋子との関係を追求してきた。慎吾は沈黙を守った。数日後彼は秋子の家を訪ねた。富枝は秋子が交際を断るといったと伝えた。慎吾の起訴処分が決り、彼は停学になった。が、留学生試験には合格した。友達の藤村は彼を励した。秋子は高原のサナトリュームにいた。また発病したのだ。慎吾あての手紙は、富枝が届けさせなかった。それを知ると、秋子は慎吾のもとへ行き、彼を元気づけた。翌日から、彼は判事や、井口検事を歴訪し、留学許可を願った。秋子も父の友人の井口検事に頼むが、効果はなかった。慎吾は絶望し、自殺を計る。秋子は彼に輸血し、はげます。慎吾は立直り、裁判にのぞんだ。初めて秋子の名を明しまた自分の行動を恥じぬといった。裁判が終った時、条件つきで出国許可が下りた。井口検事が保証人になっていた。--慎吾は病床の秋子に励まされて出立した。しかし、その日、秋子は死んだ。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

映画レビュー

映画レビュー募集中!

この作品にレビューはまだ投稿されていません。
皆さまのレビューをお待ちしています。
みんなに感想を伝えましょう!

レビューを書く
関連DVD・ブルーレイ情報をもっと見る