亡命記

劇場公開日:

解説

オール読物新人杯賞を獲得した白藤茂の小説から、「大学は出たけれど」の椎名利夫が脚本を書き、「おとこ大学 新婚教室」の野村芳太郎が監督する。撮影は「この子この母」の井上晴二、音楽は「ママ横をむいてて」の木下忠司の担当。出演者は「あなたと共に」の佐田啓二、「ここに泉あり」の岸恵子、病気恢復の佐分利信、「月は上りぬ」の笠智衆、「女の一生(1955)」の小林トシ子、「女給」の徳大寺伸、「大番頭小番頭(1955)」の伊藤雄之助ほか、募集子役の日印ハーフのシリヤ・ポール、香港国際撮影所の陳又新、紅薇などが出演、香港にロケした。

1955年製作/118分/日本
原題:The Refugee
劇場公開日:1955年5月3日

ストーリー

戦争最中、左千子は日本に留学していた中国人の医学生顔紹昌と結婚し、暫くして夫と共に南京に渡った。紹昌は其処で南京新政府に協力し、林白成や小久保清忠らと共に和平のために努力してきたが、昭和二〇年終戦と共に重慶政府に狙われるところとなった。左千子には一人娘の慧子を育てゝもらいたいと頼み、日本に送り返すために涙を呑んで離婚することにしたが、今に必ず日本に帰り何時の日か神戸駅に六時に待っていると言い置いて別れた。間もなく林白成は銃殺され、捕われの身となった紹昌の命も風前の灯であった。日本へ帰った左千子は、慧子を養うために仕事を求め苦難の生活を送ったが、毎夜六時になると夫の面影を求めて神戸駅に空しく姿を現すのだった。そのためにパンパンと間違えられたりしたが、そういう左千子に暖い心を注ぐのは未亡人でダンサーをしている清美だった。だがその清美も亡夫の親もとに唯一人の子供を取り上げられたのを悲観して自殺した。その頃虎口を脱した紹昌が日本へ亡命し、久し振りで神戸駅で妻子と再会した。しかし身体の無理がたゝって左千子はその夜喀血した。紹昌は命の恩人たる陳に協力して麻薬の密売をやることによって金を儲けていたが左千子は泣いてそれを諌めた。間もなく陳は警察に捕えられ、紹昌も同じ目に会ったが、陳が彼を知らぬと云ってくれたゝめに釈放された。それは再会した小久保清忠の好意によるもので、その後も彼は超昌のためにつくしてくれた。妻の療養する高野山へとケーブルで向かう紹昌の心も今は明るい。

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