ニイタカヤマノボレ 日本帝国の崩壊

劇場公開日:

解説

日映新社が、昭和三年から東京裁判に至るまでの日本を撮影したニュース・フィルムを中心に編集した長編ドキュメント。

1968年製作/95分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1968年1月27日

ストーリー

昭和二十三年十一月十二日、東京裁判でA級戦犯に対する判決が下つた。絞首刑七名、終身禁固十六名、有期禁固二名という宣告に、大日本帝国軍国主義は完全に崩壊したのである。裁判の過程で明らかにされた日本軍国主義の全貌は次のようなものであった……。昭和三年、張作霖暗殺、済南事件を経て、関東軍は中国大陸で巧妙に軍事作戦を拡大し満州事変が勃発した。戦火が拡大しつつあるさなか、日本では五・一五事件、二・二六事件が起って犬養総理が暗殺され、軍部の発言力は強大になっていた。昭和十二年、軍部の中国大陸に対する野心は蘆溝橋での日中両軍の衝突を機に、日支事変を引き起すに至った。一方、欧州でもナチス・ドイツのポーランド侵攻で英仏は対独宣戦を布告、第二次世界大戦へと拡大していった。昭和十六年、中国での戦争が長期化するにつれて日米関係は悪化の一途を辿り、アメリカは在米日本資産凍結令、対日航空機用ガソリン禁輸などの措置をとり、日本は戦争への決意を固めていった。十二月一日、御前会議で対米開戦が決定、翌二日、山本連合艦隊司令長官から「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電報が機動部隊へ発せられた。日本は中国での戦争を続けながら、太平洋戦争に突入していったのである。しかし、真珠湾奇襲作戦は成功したものの、底の浅い日本の経済では長期戦を支えきれず、やがてガダルカナル島の撤退、アッツ島の玉砕と戦局は日本に不利になっていった。それを打開すべくとられた特攻作戦も戦局を挽回するに至らずサイパン島、硫黄島守備隊の全滅、B29の本土空襲、そして、昭和二十年八月六日、広島への原爆投下、九日の長崎への原爆投下がアメリカ軍によって決行されたのである。軍部はここに米・英・中三国によるポツダム宣言を受諾、無条件降伏をしたのである。

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