劇場公開日 1966年5月21日

雁(1966)のレビュー・感想・評価

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4.0囚われた女のあきらめ

2022年8月6日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1966年。池広一夫監督。森鴎外原作の名作を二度目の映画化。一度目の豊田四郎監督作品と同じ脚本。父と二人貧しい生活をしている娘は金持ちの男から求められて結婚することに。ところが仲介したオバサンの話とは違って、男には妻があり、しかも呉服屋ではなく高利貸しだった。高利貸しの妾となった自分に嫌気がさす娘は、妾宅の前を通りかかる大学生を意識し始め、蛇を退治してもらったことをきっかけに近づきになるが、、、という話。低音が魅力の若尾文子が淡々と演じている。
原作の最終場面には、岡田たちが不忍池の雁に向かって石を投げたら当たってしまった雁が死ぬ、という印象的な場面があり、雁=お玉(宿命から逃れられない女)という読解が成り立つのだが、この映画にその場面はなく、雁は自発的に飛び立っていく。豊田監督作でもそうだったが、あちらでは雁=お玉が自由に羽ばたく可能性を暗示しているという見方も可能だった。こちらの作品では雁は大群で飛び立つのではなく一羽だけが飛び立つ。直前にお玉は未造に平手打ちされて打ちのめされているし(原作にも豊田監督作品にもない場面)、「出口はあるのに抜けだそうとしない」という岡田の解説もあるので、ここでの雁は自由を求めるお玉を表しているという解釈は成り立たず、日本を離れてドイツに留学してしまう岡田だけを表しているようだ。
原作にあったのにない場面と原作になかったのにある場面、さらに豊田監督作品との差異を考慮すると、この映画では主体としてのお玉が最終的にあきらめていくことに焦点があたっているといえるだろう。もちろん、原作ではお玉と岡田の物語の外に語り手が実存してるのだから、お玉が主体であることすらかなわなかったのだが。そして、あきらめる女を演じる若尾文子を、静謐さが漂う構図で淡々と撮り続ける監督をはじめとするクルーたちもまた、明治日本を引き合いに出しながら、昭和日本の現実社会についてある種の諦めを抱いているに違ないと思わせられる。

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