雁(1966)

劇場公開日:

解説

森鶴外の原作を「四畳半物語 娼婦しの」の成澤昌茂が脚色、「泥棒番付」の池広一夫が監督した文芸もの。撮影は「ザ・ガードマン 東京忍者部隊」の宗川信夫。

1966年製作/87分/日本
配給:大映
劇場公開日:1966年5月21日

ストーリー

口入屋おさんはお玉に妾になれとしきりに勧めていた。お玉には嫌なことだったが一度男に騙されて傷物になった身だし、貧乏暮しの父親善吉に対する孝行かもしれないと思って承知した。旦那の末造は大きな呉服屋の主人で女房に死なれたから、お玉は本妻同様ということだった。末造は優しくしてくれたし、善吉の面倒もよくみてくれた。無緑坂に住むようになったお玉は幸せだと思うようになった。だが長くは続かなかった。商店では妾呼ばわりされて売ってもらえないし、末造の本妻は死んではいなかったのだ。善吉は、今の良い生活を捨てたくないので騙されたのに黙っていた。お玉は自分が暗い、惨めな日陰者だということをしみじみ感じるのだった。ぼんやりと外を眺めて暮す日が多くなった。ある日、毎日同じ時刻に無緑坂を通る学生が蛇に襲われたお玉の紅雀を助けてくれた。お玉は紅雀が自分のような気がした。岡田というその学生に明るく広い世界へ紅雀のように救い出してもらいたかった。そんな期待と共に、お玉は岡田にほのかな想いをいだきはじめた。そして何とか小鳥のお礼をいい、自分の境遇を話したかったが機会はなかった。毎日無縁坂を通る岡田を見ているばかりだった。ある日、末造が商用で家に来ないとわかった。お玉は女中を帰し、いそいそと食事の仕事をして、岡田が通るのを門の前で待っていた。だがその日の岡田は友だちを連れていた。二人の話しではドイツ留学が決まったらしい。お玉は声をかけることもできないほどがっかりしてしまった。岡田はお玉の切ない気持ちがわかったがどうしようもなかった。静かな夕暮れの無線坂を岡田は去っていった。その時、不忍池から一羽の雁が飛び立った。お玉はじっと立ちつくしていた。無縁坂で会った二人は、しょせん縁の無い人間だったのだ。

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映画レビュー

4.0囚われた女のあきらめ

2022年8月6日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1966年。池広一夫監督。森鴎外原作の名作を二度目の映画化。一度目の豊田四郎監督作品と同じ脚本。父と二人貧しい生活をしている娘は金持ちの男から求められて結婚することに。ところが仲介したオバサンの話とは違って、男には妻があり、しかも呉服屋ではなく高利貸しだった。高利貸しの妾となった自分に嫌気がさす娘は、妾宅の前を通りかかる大学生を意識し始め、蛇を退治してもらったことをきっかけに近づきになるが、、、という話。低音が魅力の若尾文子が淡々と演じている。
原作の最終場面には、岡田たちが不忍池の雁に向かって石を投げたら当たってしまった雁が死ぬ、という印象的な場面があり、雁=お玉(宿命から逃れられない女)という読解が成り立つのだが、この映画にその場面はなく、雁は自発的に飛び立っていく。豊田監督作でもそうだったが、あちらでは雁=お玉が自由に羽ばたく可能性を暗示しているという見方も可能だった。こちらの作品では雁は大群で飛び立つのではなく一羽だけが飛び立つ。直前にお玉は未造に平手打ちされて打ちのめされているし(原作にも豊田監督作品にもない場面)、「出口はあるのに抜けだそうとしない」という岡田の解説もあるので、ここでの雁は自由を求めるお玉を表しているという解釈は成り立たず、日本を離れてドイツに留学してしまう岡田だけを表しているようだ。
原作にあったのにない場面と原作になかったのにある場面、さらに豊田監督作品との差異を考慮すると、この映画では主体としてのお玉が最終的にあきらめていくことに焦点があたっているといえるだろう。もちろん、原作ではお玉と岡田の物語の外に語り手が実存してるのだから、お玉が主体であることすらかなわなかったのだが。そして、あきらめる女を演じる若尾文子を、静謐さが漂う構図で淡々と撮り続ける監督をはじめとするクルーたちもまた、明治日本を引き合いに出しながら、昭和日本の現実社会についてある種の諦めを抱いているに違ないと思わせられる。

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