オペラハット
劇場公開日 1936年
解説
遺産相続を巡る騒動に巻き込まれる善良な男の姿を、コメディタッチで描いた社会派ドラマ。田舎町で幸せな毎日を送っていたディーズの元に、大富豪である叔父の遺産が転がり込む。しかし、ニューヨークへやって来た彼を待ち受けていたのは金目当ての汚い連中ばかり。彼は正体を隠して接近してきた女性記者ベイブと恋に落ちるが……。監督のフランク・キャプラは本作で、「或る夜の出来事」に続き2度目のアカデミー監督賞を受賞。
1936年製作/115分/アメリカ
原題:Mr. Deeds Goes to Town
スタッフ・キャスト
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ディーズに人々が群がったのはかれが大金持ちになったからだが、つけこんだのは、無欲で正直だったからだ。ひとは、無欲すぎるひと、正直すぎるひとをばかだと思う。億万長者になってさえ、富者らしい驕慢がみえないなら、ばかに見えてしまう。ばかと見なされたら、財産を狙って審問にさえかけられる。風刺だが、現実もそのとおりだと思う。
しかし、ディーズは無欲で正直だが、ばかではなかった。無欲で正直なのに、とてもかしこいキャラクターだった。そこに超凡の価値がある。
いっぱんにキャラクターは無欲で正直(どちらか一方でも)ときたら、かならずばかに描かれる。ばかはかわいそうにつながり、かわいそうは同情につながり、同情は簡便な客寄せとなる。
人は欠けた者にシンパシーを寄せる。だからキャラクターにエクスキューズを設ける。弱者。貧乏人。圧政下の臣民。暗い過去を持つ者。戦争被害者。DV被害者。障がい者。迫害された人。虐げられた人。・・・。──エクスキューズを設けると、物語に複雑な奇想をほどこす必要がなく、たやすく同情がかせげる。からだ。
だけどアメリカ映画はすでに1936年に無欲で正直なのに、ばかではないキャラクターをつくっていた。ばかではない──ばかりか、ディーズは、理不尽なことを言ってくる奴をブン殴るほどの強者だった。
金持ちで賢くて強者。ディーズには同情する余地がなかった。エクスキューズを用いていなかった。だけどオペラハットは楽しかった。
わたしは人類にひつようなことは、頭を使って危機を回避することだと思う。だから(たとえば)Aneesh Chagantyの映画に感銘をおぼえる。ChagantyのSearchやRunの登場人物は、頭がいい。頭をフル回転させて危機を克服する。登場人物が賢いなら、とうぜんつくったひとも賢い。つくった人が賢いと感じられる映画は、わたしを感動させる。
したがって(たとえば)日本映画で、紋切り型/類型的キャラクターのちんぴらが出てきてばかなことをやって破滅すると、ばかだなあと感じると同時に、つくった人もたいがいにばかなんだろうなあ──とも思う。
(無軌道や破滅をえがくこと自体に罪はないがそれをやるならマイクリーのネイキッドのようにうまくなきゃいけない。ばかがばかを描いてはすくいがない。)
ましてや現代。現実世界にはばかなことや、ばかなやつがあふれている。あふれかえっている。なんで映画でまでばかを見なきゃならないのですか?
日本の「伝統的勘違い」は、だれもばかを見たくないのにばかばっかり描いていることだと思っている。
いまだに(たとえば)哀川翔的ちんぴらな人物像が母性本能をくすぐる──とか思っている時代錯誤のひとびとが映画をつくっている。(たとえであり、哀川翔に罪はありません。)
けっきょく日本映画界はばかがばかをえがいてばかにみせる興行集団に零落して久しいが、なかにはあなたのようにばかに拮抗しうる鑑賞眼を持ったひとがいるにちがいない。ばかなわたしはそんなことを思った。(ばかばか言ってすいません。)
金持ちで長身で強くてハンサムで賢い。安易にエクスキューズしないヒーロー像をアメリカでは既に80年以上むかしに創っていた。──という話。
現実ではあまり無いことかもしれないが、正直や不器用や素朴や無骨や田舎といったエレメントを持った男が、きらびやかな都会女の女心を溶かす。それは魅力的な景趣であり──時代を超える普遍性があった。
クラシックではヒッチとワイルダー君の二人は、どの作品も安心しておすすめできますが、キャプラ君の安定感も抜群です。やや理想論過ぎのきらいはあるものの、正義と良心を嫌味なく楽しく表現する腕は水際立ってます。この作品でいつもニヒルで冷たい印象のクーパー君が良心の好演技です。
2021年6月16日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
前半は軽快に、中盤からはイライラが募り、最後はスカッとする終わり方。二枚目のゲイリー・クーパーが真っ直ぐな青年を好演し、裏切られた時のやるせない表情がなんとも上手い。ユーモアを交えながらもしっかりとしたメッセージが見えてくる見応えある映画だった。
2021年6月1日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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2002年には『Mr.ディーズ』がリメイクされた。新しい方は視覚効果やアクションで見せていたが、こちらは軽快な会話を楽しむ映画。チューバを吹く姿と何でも詩にしてしまう有名な絵葉書詩人ところがユニークだ。長身でひょうひょうとした態度は当時のスターを予感させる雰囲気。ハリソン・フォードに喩えたら失礼だろうか。
「スワニー河」と「ユーモレスク」が意外とピッタリきていることも驚き。彼のことを記事にしたメアリーはピューリッツァ賞を取っちゃうし・・・求婚されるのとどっちが得なんだろ。それにしても、大恐慌時代を象徴するかのように農民のために1800万ドルを放出ってのも、すごいんだかなんなんだか・・・無精ひげが渋かった。でも裁判は痛快ではあるけれど冗長気味。
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