黄色の部屋のレビュー・感想・評価

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2.5『黄色い部屋の秘密』の映画化作。正直雑な作りだが最初期の本格ミステリ映画としての価値は不変。

2021年9月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

名探偵が逆立ちするのって、古谷金田一の40年前からルールタビーユがやってたんだな(笑)。

密室殺人ものの古典として名高いガストン・ルルーの本格ミステリ長篇『黄色い部屋の秘密』の映画化。
正直、個人的には、原作の密室トリックについてはあまり高く評価していないのだが(●●が●●しても、●●みたいな音は絶対しないし、●●に●●を●●けましたって、アンタ多田かおるじゃないんだから……)、「非協力的な被害者」パターンの一類型としては、なかなか面白い試みに取り組んでいるとは思う。何より、「不可能興味」と「意外な犯人」で読者の興味を最後まで引くことができることに「気づいた」純正本格ミステリ長篇の最初期作として、その価値は不滅である。

本映画が公開された1930年といえば、トーキーの最初期にあたる。
実はこの原作、サイレント時代の13年(仏、マルセル・シモン主演)と19年(米、ロリン・レイカー主演)にも、30分強のショートフィルムとしてすでに映画化されているらしい(もちろん未見。後者は、前者をフランスで共同監督したエミール・ショータールがアメリカに渡って現地の俳優を使って改めて撮り直したリメイクである)。
だが、本格ミステリというジャンルは、本質的に「過剰に説明的」だし「情報量が膨大」だから、サイレントにはおよそ不向きな題材だといってよいだろう。おそらくならサイレント版も、尺から考えれば、メイントリックだけをなんとか図解してみせた程度の内容なのではないか。
その意味で、トーキーの黎明期に長尺の推理映画として製作された本作は、「満を持して」登場した正真正銘の本格ミステリ映画、という言い方もできるかもしれない。

とはいえ、本格ミステリ映画としてクオリティが高いかというと、残念ながら今の目から見ていろいろ物足りない点は多い。

内容は概ね原作をなぞって展開するが、かなりの改変が加えてある。
一部の登場人物が割愛・追加され、人物関係にも変更があるだけでなく、
事件の細部にあちこち手が入れてあって、たいがいそれがあまり良い方向に機能していない。
あと、語り口がうまくない。中盤までの描写がとにかく単調で、似たようなアングルのショットが多いうえに、ナラティヴが下手で冗長。第二の事件が起こるまでは、とにかく退屈だった。

一番気になるのは、せっかくの本格ミステリ映画なのに、トリックの構成や不可能興味の喚起、解明過程の知的興奮や真相が暴露される瞬間の慄き、といった「本格ミステリの醍醐味」にことさら関心を示すことなく、大筋の話をさくさく進めていってしまう点で、実にもったいない。
密室の構成にしても、肝心の部分の描写があいまいなうえに、最後に法廷でルールタビーユが口で簡単に説明して、はいおしまいなので、あまり謎解きが盛り上がらない。せめて今の2サスみたいに再現映像くらいは挿入してほしいところなのだが(ただ、原作で半日くらいある「タイムラグ」を、「15分」に改変したのは、意外と悪くない試みかもしれない)。

第二の事件での有名なトリックについても、見取り図があってロジカルに人員が配置されている原作と違って、映画内では廊下の構造がまったくわからないうえ、お城のなかをなんだかよくわからないままにみんな一群で走り回っているだけで(ルールタビーユなど、いったん外に出て壁をよじ登ったりする)、まるきり「不可能興味」としては成立していない(そもそも、フィルムの一部かトーキーの音源に欠落があるのか、無音のなかでつながりの悪いドタバタが延々続いて、このあたりは正直観ていてちょっと変な感じがした)。
とはいえ、お屋敷のなかに東洋のお面とか奇怪な仮面がかけてあって、犯人がそれをつかってファントムみたいに変装するというアイディアは素晴らしい。てか、それ、このトリックをもろにパクったことで著名な『金田一少年の事件簿』のワンエピソードと演出がまさに一緒だよね。
なお、第三の事件(撃って倒れたと思ったら刺殺だったってやつ)は、第二の事件の延長で同じ夜に起きた事件として作り替えてあるが、そのせいでいろいろ辻褄の合わないことが出てきているのは辛いところ。

その他、『黄色い部屋の謎』の小ネタのなかでは特に魅力的な「ステッキ」の謎がまるまる割愛されていたり、マフラーの伏線とか法廷での消去法論法とかがカットされていたり、「本格ミステリらしい」くすぐりに作り手の関心があまり向いていないのは、じつに残念なことだ。
謎解き自体、ぜんぜん勿体つけずに、全部ルールタビーユがさくっとしゃべっちゃうからなあ。
もう少し、ためたり、ほのめかしたり、持って回った「名探偵節」で話させてやればいいのに。

一番びっくりする改変は、ラストで●●が死ぬこと。
しかもそうしながら、思い切り続編の『黒衣夫人の香り』に話が続くこと。
どうすりゃそんなことできるんだ? ●●は続編の超重要キャラなんだが……。
あまりにびっくりしたので、家に帰ってからフランスのWikiを見たら、実際に1931年(本作の翌年)同じ監督による続編『黒衣夫人の香り』が公開されていて、キャストも変わらず、●●役の俳優もふつうにメインで出演しているようだ。これ、次作の出だしでどんな説明してるんだろう??

といった感じで、「本格ミステリ映画」としては、肝心のミステリマインドに欠けるうえ、ナラティブにも大いに難があるのだが、一方で「名探偵映画」としては、ルールタビーユのキャラが結構しっかり立っていて、そこはそれなりに面白かった。

すでに読んだのが大昔過ぎて、どう原作で描写されていたかあまりよく覚えていないのだが、ルールタビーユには、「お鉢の開いたでこっぱちの童顔青年」といったイメージが個人的にある(安吾の『不連続殺人事件』に出てくる巨勢博士のイメージと被ってるのかも)。
少なくともこの映画版のように、がんがんトンボ切ったり側転したりしたあげく、スタントなしで2階の踊り場から1階までひょいっと飛び降りてみせるような、スポーツ万能ののっぽさんではなかったはずだ。
このあたりの超人的な身のこなしは、キートンやチャップリンが驚異的な身体能力を誇示していたサイレント時代のスラップスティックの名残といえるものなのかもしれない。

本作のルールタビーユは、とにかく陽気で、明るくて、人好きがして、誰からも愛される好青年として徹底して描かれている。原作における、才走った小生意気な小僧といった印象よりは、ずっと好感がもてるキャラ設定だ。
だから、終盤の法廷シーンも、謎解きとしては物足りないが、映画としては実に盛り上がる。
大観衆の傍聴席。
味のある老裁判官。
無実の容疑者の危機に、「待ったあああ」とばかり、
文字通り、聴衆の「肩の上を歩きながら」
ぎりぎり飛び込んでくる長身のルールタビーユ。
とぼけた裁判官との丁々発止の楽しい掛け合い。
ルールタビーユの一挙手一投足に、満員の傍聴席が大いに沸く。

おお、なんかこれ、「逆転裁判」みたいじゃないか!!

裁判というよりは、「フランス市民」を相手にしてのルールタビーユの独擅場だ。
ここでのルールタビーユは、成歩堂くん同様、本当に輝いている!
このシーンを観られただけでも、足を運んだ甲斐はあったかな?

こうなったらせっかくなので、K’sシネマさんには、続編『黒衣夫人の香り』についても、鑑賞する機会をぜひつくっていただきたいものだ。

あと蛇足だが、ガストン・ルルーの小説であれば、東京創元社から出ていた『ガストン・ルルーの恐怖夜話』のほうが、『黄色い部屋の謎』の数等倍面白いので、ぜひ暇なときに古本ででも買って読んでみてください。

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じゃい