我が心の歌(1930)

解説

テノール歌手として世界的に最も有名なジョン・マッコーマック氏が主演する映画で、J・J・マッカーシー氏とトム・バリー氏が書き下ろし、「幸運の星」「熱沙果つるところ」のソニア・レヴィーン女史が撮影台本を作り、「幸運の星」「河(1928)」のフランク・ボーゼージ氏が監督し、「幸運の星」「地の極みまで」のチェスター・ライオンズ氏が撮影したものである。助演者はアイルランド生まれのモーリン・オサリヴァン嬢とトミー・クリフォード君とが初お目見えし、舞台劇俳優として名のあるJ・M・ケリガン氏、「ツェペリン倫敦襲撃」「ホリウッド結婚」のジョン・ギャリック氏、「ソレルとその子」「獄中日記」のアリス・ジョイス嬢で、J・ファーレル・マクドナルド氏、エフィー・エルスラー嬢、エミリー・フィッツローイ嬢、エドウィン・シュナイダー氏等も出演している。

1930年製作/アメリカ
原題:Song O' My Heart

ストーリー

シァアン・オキャラハンはテノール歌手として優れた天才で、全欧州の楽壇にも並ぶものなしと評されていたが、その高名にも拘らず彼は世に出ようとはせず故郷なるアイルランドの草深い寒村に悠々自適していた。彼の親友ヴィンセントは、ピアノとオルガンの名手で好んでシァアンの伴奏者の役を勤めた。幼くして孤児となったシァアンはヴィンセントの母モーナに引き取られ、ヴィンセントとは乳兄弟の仲であった。シァアンと恋しあっていながら、村の分限者に嫁いだメエリイは相思わぬ夫に棄てられて年頃の娘のアイリーンと年少の息子タッドとを抱えて貧しく暮らしていたが、かてて加えて病弱の身となり心かたくなな伯母のエリザベスの許に身を寄せることとなった。アイリーンとタッドとを我が子のように可愛がっていたシァアンはフラートンという米国の興行師と相談がまとまってニューヨークの楽壇にデビューすることとなった。シァアンは得た金でメエリイ母子を後見してやる心算であった。アイリーンにはファーガスという相思の仲の青年があったが、ファーガスは建築家として世に立つ希望で、青雲の志しを抱いてアイルランドの都ダブリンへ赴いた。シァアンのニューヨークでの独唱会は大盛況で、彼は満都の好楽家の絶賛を浴びた。しかし彼の永遠の恋人たるメエリイはシァアンがステージに立っている頃世を去った。その訃報に接したシァアンは米国各地に独唱会に赴く予定を無期延期して故郷へ急ぎ帰った。ファーガスは事志しと違って帰郷したが母を失ったアイリーンは恋人との仲を割かれてエリザベス伯母さんのために他郷の親類の許へ遣られようとしていた。そこへ帰ったシァアンはアイリーンとファーガスとを結婚させて後顧の憂いなからしめ、自らはタッドとモーナとを伴って改めて米国へ演奏旅行に出かけたのである。

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