世界の母(1946)

劇場公開日:

解説

「城砦」のロザリンド・ラッセルと舞台俳優であり作家であるアレグサンダー・ノックスが主演するエリザベス・ケニーの自伝「かくて彼らは歩かむ」の映画化である。「駅馬車(1939)」「男の敵」の脚色者ダドリー・ニコルズが製作、監督したもので、脚本もニコルズが主演のアレグザンダー・ノックスおよびメアリー・マッカーシーと協力執筆し、撮影は「追憶(1941)」のジョージ・バーンズが指揮し、音楽はアレグサンドル・タンスンマンが書いた。助演は「嘆きの白薔薇」のディーン・ジャガー、舞台から映画入りし最近物故したフィリップ・メリヴェール、「南部の人」のビューラ・ボンディ、「ベニーの勲章」のチャールズ・ディングル等。

1946年製作/アメリカ
原題:Sister Kenny
劇場公開日:1947年7月1日

ストーリー

1909年、豪州クイーンスランドのツウオムバの公立病院の看護婦学校を、エリザベス・ケニーが卒業したのは、22の年であった。彼女に校医をもつマクドネル医師の期待に反し、ケニーは病院に勤務せず、田舎の保健婦として父母の言えに起居することにした。6ケ月働いたとき幼ななじみの豪州軍の大尉ケヴィン・コナーズが訪れてきた。彼はインドへ2年の軍務にいくのであったが、エリザベスは彼の求婚に承諾を与えた。彼女は知り合いの百姓の娘ドリーが不思議な病気にかかったのを看た。マクドネル医師に問合わせると、その症状は小児マヒで、療法はないという返事だった。やむなく彼女は温布で包み、患部をさすってやった。その療法が奏を功してドリーは立って歩けるようになった。同じような患者を六人彼女は全快させたので、それをマクドネルに報告すると、彼は小児マヒ専門のブラック医師に彼女を紹介した。ブラックはケニーの療法を否定し、ドリーを診察して、これは最初から小児マヒではないと断定した。ケニーは療院を開いたが次々と閉鎖を命じられた。第一次大戦に従軍した彼女は、戦線で傷ついたケヴィンを看護し、婦長に昇進した。大戦後、二人は結婚しようとしたが、豪州に小児マヒ者が多く、彼女はその治療に寝食を忘れるくらいであった。医師でない彼女は英本国でも認められず、療院は閉鎖を命じられた。第二次大戦の折、ロンドンのクロイド飛行場で彼女はケヴィンと合って、すぐ別れた。アメリカが彼女を迎えてくれた。ミネソタ大学が、ケニー研究所を設けた。彼女に小児マヒの療養に当たらせたのである。59歳の誕生日に全快した子供たちにとりまかれて彼女は幸福であった。

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