劇場公開日 1986年11月8日

「映画的であるのにリアリティをだす それがテーマだったように思います」L.A.大捜査線 狼たちの街 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0映画的であるのにリアリティをだす それがテーマだったように思います

2022年12月4日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

ご存知、北野武監督が監督デビュー作の「その男、凶暴につき」を撮るにあたりスタッフに本作を観ておくようにと言ったそうです

北野武監督が手本に取り上げるのだから傑作には間違いありません

映画的であるのにリアリティをだす
それがテーマだったように思います

設定やお話は手垢にまみれたもの
良くある展開です
それを演出次第でリアリティを持たせられないものか?
それはどうやれば実現できるのか?

フリードキン監督の出した回答は、舞台や、登場人物達の実在感を徹底的に追求するということでした

だからアクションシーンも過剰な演出をしないのです

映画的なド派手なアクションを排除して、本当に目撃したなら暴力シーンはこう見えるはずだという見せ方をしています

いきなり始まっていきなり終わるのは、そういうことです

でもカーアクションは映画的でした
主人公は幹線道路を逆走しても決して正面衝突して事故で死なないのです

女も主人公にすぐになびくのです
決して嫌がりはしないのです

つまりお話の展開は映画的なご都合主義で展開するのです

配役は実在感が優先されて、映画スター的なオーラは二のつぎにされています
というか無名であることを条件に俳優を選んだように思えます

それは衣装、ヘアスタイル、小道具、台詞の言葉づかい、仕草、日常的勤務スタイルを綿密に取材して再現したことと同じ姿勢だったと思います

しかし、それが本作の欠点だったと思います
結局、主人公にも相棒にも観客は感情移入できないのです
誰にも共感できずに、登場人物全員を距離をおいて観てしまうことになるのです

結局、無茶して捜査してたらやっぱりそうなるよなという印象の終わり方になるだけだったのです

良い映画だったと思いますが、残るのはつまらない映画だったという印象だけなのです

フリードキン監督の成功作とはとてもいえません

何度も写る夜明けのLA
太陽は死んでも朝になればまたあたらしい太陽は登る
ラストシーンのヴコヴィッチの台詞「おれの犬になれ」とはそういう意味だったと思います

それを観客の私達は、感慨もなく「勝手にやってろよ」と突き放して観てしまうのです

主演の役者までリアリティを求め過ぎてしまったのです

もしある程度のリアリティで妥協して、名のあるスター俳優を主人公とその相棒を配役していれば?
冒頭に死ぬ先輩の相棒もスター俳優であるべきだったと思います

他人の物語を延々と見せられてしまった
そんな映画になってしまったのです

北野武監督は本作を手本にしました
でも超有名人物である自分自身が主演であることの制約がありました
それゆえに、より演出への実在感にこだわったのだと思います
北野武監督が初監督作品のスタッフ達に本作を観るように指示したのは、そのことを伝えたかったのだと思います

そして、それが手本とした本作への北野武監督の回答であったと思います

あき240