あの丘越えて(1920)

解説

ウィル・カールトンの詩「あの丘越えて養老院へ」Over the Hill to the Poor Houseおよび「あの丘越えて養老院から」Over the Hill forom the Poor Houseの2篇に基づき、ポール・H・スローンが脚色し、「ホワイト・モール」などを監督したハリー・ミラードが監督した人情劇で、映画界に初めて入ったメアリー・カー夫人が実に洗練された演技を見せる。壮年時代から老年に至るまでの母親を、少しの不自然さもなく確実に表現し、母性の温い愛と絶ゆるなき献身とを極めて自然に演出している。ユ社の「スタンレー阿弗利加探険」でスタンレーに扮したウィリアム・ウェルシュが「父」に、「ファントマ」出演のジョニー・ウォーカーが孝行息子ジョンにそれぞれ扮している。家庭道徳の根本義を宣明し、母愛の深さと孝道の大精神を讚美した人道的の映画で、全米の監獄が囚人教化の目的に使用したとか、あるいはニューヨークで1年以上も大入り満員を取ったとか、2万5千本のプリントを製作したなどという事実に徴しても、いかに人々に多大の感動を与えたかが分かろう。母の愛を取り扱った映画がこの作品の後から雨後の筍のように製作されたことを見ても分かる。原作者は言う―世の中に母の愛ほど、自己を忘れた崇高な精神の発露はない。喜びも悲しみも、母は我が子のために常に涙を流している。母が子供を育てる苦労を知ったらば、成長した子供達が母のことを忘れ去ることの多いのは、何という不思議であろう。ここに述べんとする物語も、世界中のどこへ行っても見い出すことのできる「母」の身の上なのである―と。

1920年製作/アメリカ
原題:Over the Hill

ストーリー

劇のプロローグはエウ・イングランドの小さな村に起こる。ベントン夫人は、怠け者の夫と、6人の子供の世話に、朝は暗いうちから夜は遅くまで、何の楽しみもなく、身を粉に砕いて働き通していた。6人の子供達のうち4人は男で2人は女であった。3男のジョンは決断力や犠牲的の精神には兄弟の誰よりも富んでいたが、元気に任せて思い切った悪戯もするので、家中の誰からも除け者にされていた。時代は過ぎて20年の後。父も母も老いた。6人の子供は健かに成人し、長男のアイザックは牧師に、そのほかそれぞれに職を得て皆家を出てしまい、3男のジョンばかりが父母の元に暮らしていた。怠け者の父は生活難から悪心を起こして近くの富豪ストロング家の馬を盗み出していた。一夜ジョンは父のこの情ない悪事を発見したが、極力諌めて父を逃し、彼は父の身代わりに馬盗人の汚名の下に投獄された。さすがの父もこれには苦しんだ。良心の呵責に絶えず父は獄中の息子を訪ねて事実を発表させてくれと頼むが、ジョンは「お父さんが罪人と分かれば家全体の不名誉です。私が恥ずかしい目に会うのは私だけの恥なのだから、お母さんのために、黙っていて下さい」と言って帰す。父は遂に苦しさのため病を得てたおれた。3年の後ジョンは出獄して来た時、母はこの不幸の子を心から喜び迎えた。ジョンは西部で身を立てようと母のことを長男のアイザックに頼んで生まれ故郷を去り、一意専心母のために西部で働いていた。ジョンから母のためにと送って来る毎月の送金は、心良からぬアイザックが着服し、あまつさへ彼は母に出て行けがしの冷い仕打ちをするので、老の身を我が子の無情を怒りも得ず、母は次男の元へ身を寄せるが、ここも温い住家ではなかった。手塩にかけて育てあげた我が子は多くありながら、遂に母は養老院へと住む家を求めて去らねば成らなかった。これが20有余年慈愛の限りをつくした母の得たる報酬であろうとは!しかしやがてジョンが成功して帰って来た時、アイザックより母が養老院にいることを聞いて激怒し、「あの丘越えて養老院へ、俺は貴様を引き摺って行き、お母さんの前に跪かせて謝罪させてやるのだ」と彼を往来に引き摺リ出し、村人の前に散々懲した上、母を養老院から迎えるべく馬車を急がせた。母は夢に夢見る心地して、ただ嬉し涙に咽ぶのみ。不幸な子らも己が非を悟り、母の膝下に集まり来て衷心より謝罪する。それら不孝な子らをも母はジョンに対したと同様喜びの涙で迎えるのであった。

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