劇場公開日 2012年7月21日

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灼熱の肌 : 映画評論・批評

2012年7月10日更新

2012年7月21日よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー

情動のスリルよりその残照をかたどって立ち尽くすことのスリル

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「画家でイタリアに住んでいて私の友人だった」フレデリック・パルドを介し「愛の残像」の原作を知ったというフィリップ・ガレル。3年後に撮った「灼熱の肌」で彼が主人公のモデルとしたのも亡き友パルドだった。立て続けに公開される2本の映画はそんなふうに浅からぬ縁で結ばれている。

「男を死へと誘う女」をみつめ、生死の境にたゆたう愛の妖しさ、しぶとさをモノクロの優雅な諧調にからめとった前作。対照的に弾ける色彩が目を射る本作の幕開けにも、夜のドライブの果てに死へといっきにアクセルを踏み込む男の姿をガレルは置く。デスパレートなその一景を誘い出すようにビーナス然と全裸で横たわる豊満なヒロイン(モニカ・ベルッチ)の図が挟み込まれる。まさに死へと手招きするような、あるいは指で作った拳銃の引き金を引くような仕種を女はしてみせる。死に誘う女を男が幻視する。そうやって「愛の残像」の残像のように始まる映画は監督の愛息ルイを共通の主演者として反復しつつ微妙なずれをも差し出していく。

憑かれた恋と異界の肌触りがざわざわと空気に満ちて胸に迫る前作。同様に燻(くすぶ)る愛の顛末をみつめながら、本作の画家と女優のカップルはみごとに抜け殻として存在する。感情よりはその完璧な形骸ばかりを銀幕に降り積もらせる。嫉妬と妄執に駆られた挙句に画家は泣き、その涙を女優は優しくやがて凶暴に拭う。愛と憎しみと絶望がせめぎあう場面はしかしタイトルにある熱さをどこまでも駆逐して、美男美女の所作だけが燃えかすのロマンスの形をなぞる。情動のスリルよりその残照をかたどって立ち尽くすことのスリルが浮上する。同じひとつの極私的愛の物語を前作でまた反復した後で、ガレルの映画は繰り返しの中にこそある形という物語、要はより古典的な様式の映画を興味深くたぐり寄せている。

川口敦子

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