シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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中学の時から見ていたエヴァ
序を見たのが中学の時
破を見たのが高校の時
Qを見たのが大学の時
公開日かその翌日には全て劇場に足を運びました。
特に中学の時、田舎で映画館が周りに無くて友人で集まって慣れない電車とバスで乗り継ぎをして見に行ったのはいい思い出です。あの時はシンジ達と変わらない年齢でした。
狙ってかどうかは分かりませんが今は、28歳になった彼らの年齢になりました。
色々引っかかる部分が無かったかと言われれば嘘になります。戦闘のカッコ良さなら旧劇場版の方がカッコ良かったし、締め方に関しては漫画版の方が好きな終わり方です。(それでも映画の満足度は☆5です 評価となると話は別ですが)
ただ、ラストシーンからエンディングが流れた時、エヴァが終わったという気持ちと「時が動き出した」という感動で胸がいっぱいになりました。
シンジ達と近い年齢で始まり、同じような年齢で終わった新劇場版のエヴァは特別な作品になりました。
27年の集大成
序破急の予告に伏線がありすぎて鳥肌立った。
シンちゃんとマリがくっつくのは漫画で既定路線。アスカはケンスケと。つまり、アスカはシンジの事が好きだったが、14年の間の分だけ遅れてるシンジよりも、ケンスケに惹かれたのだろう。
あの終わり方だとミサトさんは死亡、リツコさん以下は生存不明、アスカは取り込まれた13号機から救出はされたのか不明。庵野監督らしくあとはユーザー考察に任せると言った感じでしょうか。
それが知りたかった
*初回*
とにかくいっぱい泣いてしまった。
色々謎は残るけど、
ゲンドウさんのことが知れて良かった。
ずっと知りたかったような気がする。
みんな大人になっちゃったんだね…
*2回目*
旧劇を映画館で見られた人たちはこんな気持ちだったんだね…
自分には『:破』の頃から何となくマリの存在にずっと違和感しかなくて、今でもまだヴィレクルーたちよりも作品内で浮いている。だから、そんな二次創作のキャラみたいなのとシンジくんは外へ行ってしまうのか…そんなふうにお別れしちゃうのか…って思えて寂しい。
でも監督、本当に良い奥さんと会えて良かったねえ…
いつもそうだけど、今回本当に台詞の声が素晴らしい。ミサトさんからリツコさんへの「ありがとう」とか、最期の台詞だけ聞きに何度でも行こうと思えてしまう。
全てが花びらの様にひらひらと散り、止まっていた時が動き出す。
冒頭のシークエンスは既に色々と露出していて、二度見ながらも映画館のスクリーンと音響でより没入感に浸りながら鑑賞。
映画館はやはり良い。
破で既存のエヴァンゲリオンをメッタメタに切り裂いてそこから突き進んでの前作はもう8年前。
4部作中3部作使い物にならないゴミクズの様な主人公の落とし所はテレビ版よりもそう高くなることは無かろう。
そう思い続けていた。
相変わらずシンジは動かないし、周りが何をやっても動かない。
しかし、時が止まる彼らと違い周りは過去を受け入れて前に進んでいく。
2時間半と言う尺はこの広げ過ぎた風呂敷を回収するのは無理じゃないか?
そう言う疑問を裏腹に、一人一人の魂が浄化されていく。
とても丁寧に描かれて、さながら散りゆく花びらの様。
生命の種子達もタンポポの綿毛の様に宇宙を舞う。
20年前にテレビ版を観ていた頃は、世界を拒絶していく作風が肌に合わず、その後も拒絶反応しかなかったのに、今作が先に進むにつれ、シンジは立ち上がり、全てをあるべき場所に戻していく。
もう涙が止まらないわけですよ。
はるか昔の遠い宇宙で繰り広げられた親子喧嘩同様に、父との対立、そして和解。
今作はポジティブな言葉に溢れていて、ふんわりと温かい。
壮絶な筈の決死のダイヴも、あの人の救出も、あの人との砂浜での再会も全てが温かく、そして優しい。
最後、ようやく止まっていた時が動き出し、監督の生まれ故郷、山口県宇部市の駅の風景で終わる。
時は動き出した。
僕らも前へ進もう。
2020年と21年と言う、歴史の狭間から抜け出すのに優しく肩を押してくれる映画でした。
P.S.
エヴァシリーズを毛嫌いしていたのが、シンジの親子関係にあった事も大きいです。
僕もずっと厳格な父親と対立していたのですが、それはまさにゲンドウと瓜二つだったから。
久々に手紙でも書いてみようと思います。
13年ぶりに。
史上最高級の映像表現と怒涛の伏線回収
テレビ版、旧劇を観た上でですが、これほど明快なストーリーになるとは思いもよらなかった。そして、エヴァシリーズに対するたくさんの愛が伝わってきます。スタッフとキャストには最大の敬意と感謝を表します。
本当に待ちに待ったけど、シンゴジラで進化してシンエヴァの映像表現に昇華させて、さらに怒涛の伏線回収と旧劇も含めた総括をやってのけて、やっぱ庵野えらいわ。本当に、この時代に生まれてきて良かったと思う。生で観れたのは一生ものの価値。
色々あるけど、式波への変更とカオルくんループ説の伏線回収の頑張りが伝わってきたところが良かった。エンディングの加持さんの渚司令って言うのは謎すぎて笑ったけど、こういうのはご愛嬌というか、観客の想像の余白にあえて委ねる戦略のように感じた。ループに加持少年と加持さんの名前が同じことを引っ掛けてきてるのがまた巧妙。こうした余白に触発されてガンダムのように新たな展開が創造されることを期待。
エヴァンゲリオンの本当のテーマは、「人」。そして、「今」。
最高でした。
全てがスッキリしました。
2度目見る予定は、ありません。
この言葉に、エヴァンゲリオンの全てが、詰め込められていると思います。
僕は、Qまで4.5回ほど見返しては、様々な、考察などを見漁ったりしていましたが、
この「ドラマ」において、そんなこと、
本当は、どうでも良かったんです。
でも、どの自分も紛れなく自分でした。
否定しなくていい。
「全てが自分」
この教訓は、一生忘れません。
「エヴァンゲリオン」という「ドラマ」の全てが、この映画には、詰め込められていました。
何も悔いは、ありません。
そう思わせてくれる映画です。
最高でした。
さよなら、全てのエヴァンゲリオン。
ありがとう、庵野秀明監督、
エヴァンゲリオン制作者の皆さん。
そして、よろしく。現実。
28歳がやり直す旧劇のようなもの
序盤の第三村は黒波さんが微笑ましい反面、シンジくんは引きこもりが外に出たら同級生は仕事や結婚をしていて自分の悩みと似たようなことはとうの昔に折り合いつけて生きている。
年下もどんどん自分を追い抜いていく。
それでも周囲は引きこもり大変だったねと気を遣ってくれるって描写にしか見えない。
そんなシンジくんは劇的なことが起こるわけでもなく時間をかけて他者のやさしさに気付き、受け入れ、他の人と同じようにゆっくりと折り合いをつけて前に進めるようになる。なんと現実的な展開。
ゲンドウはたまたま経験できた数少ない恋愛経験にいつまでも縋り付いているが、
シンジは昔は好きだったと過去のこととして割切り初恋でも母でもなく新たな出会いを選ぶ。これも現実では普通の選択。
他にもわからないから話し合いたいと意思表示したり他者の気持ちを理解したりと終始漫画アニメ的な決断や展開ではなく他者と関わり現実的な落とし所を選択するシンジくん。
14歳だったシンジくんは気が付けばトウジやケンスケと同じ目線で話す28歳のメンタルを手に入れる。
結果、旧劇ではまわりを拒絶して一人だった14歳のシンジくんだけど現実的で普通な行動が取れるようになった28歳のシンジくんはコミュニケーションをとり、他者を理解し、助けて助けられてみんな幸せになるハッピーエンド。
シンジくんに限らず悩みながら落とし所を見つけているキャラばかり。
周りに支えられて鬱を乗り越えた庵野監督だからこその話なのかなと思いつつ、
みんな同じような悩みを経験していて他者と関わっていれば落としどころをみつけるしかないってわかるでしょそれがベターな結果に辿り着くのよ感が終始前面に押し出されている。
人並みの恋愛や色々苦労を経験した妻帯者のおっさんには細かい設定はよくわからんがキャクターの心情や展開に共感できる映画だろうし
一方で旧劇のシンジくんのメンタルと同じような位置で20年間留まってQをこれこそがエヴァだと大歓迎したオタクさんからしたら共感していたシンジくんが大人になって取り残される地獄のような映画。
再構築と再出発の物語だった。
思い起こし。
パリの都市の屹立に涙。
あのメッセージが良かった。
次を頼む!
イージーリベンジ!姫野先輩か!
無重力空間の移動中の方向転換に感動。
マキの腹筋と下半身の動きに震えた。
同級生たちとの再会!!!!
生きてた!!!
トウジ!!!
委員長!!!
ケンスケ!!!
良かった!
ペンペンも入れていい!
そっくりさん、のあの感じって長門有希を思い出した。
あの三回アップって違うのか?
あのおばちゃんたちも良かった。
あの人たち、ジブリアニメからのヘルプ要員なんじゃないか?
着替えを手伝ってくれてありがとうございました。
涙。
泣いて泣いて泣いて泣き切ることが大事。
エシディシか!
目覚めで繋がる構成、よかった。。。
アスカの過去。アスカの首輪の秘密。
見守りアスカのやさしさに胸を打たれた。
おまえも嫁さんだよ!
アスカの寝たふりの動き、最高でした。
すしおさんも使徒アスカさん最高でした。
冬月とマリの関係、良かった。。。
マリも孤独じゃなかったんだ。。。
お見事でした、冬月先生。
父と子の喧嘩。
めんどくさいけどやらなければならないもの、けじめと呼ばれる儀式。
バキ親子か!
頭、空っぽお父さん、銃夢かよ!
ミサトさん!髪を解く姿に涙。
エヴァには乗らないで、の意味!
カオル君も孤独じゃなかったんだというところに涙。
ATフィールドの突破方法の提示。
渡すべきもの。
ユイゲリオン、母の神々しさ、子を送り出す強さ、お母さんありがとう。
庵野監督のウツ抜けを祝したい。
ウツが晴れて、ウツの宮なのか?
宇多田ヒカル、素晴らしかった。。。
としまえんIMAX最高。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
みんな、大人になったんだなぁ
こんな四半世紀にも渡る壮大な作品のラストをどうするのかドキドキして見届けましたが、
画面で起こっているとんでもない映像体験とは裏腹に
すごく人間味のある物語で、最後は暖かい気持ちになりました。
最高の終わり方だと思います。
スタッフの皆様、素晴らしい作品をありがとうございます。
でも、なんでしょう。
映画を見終わって、すごく懐かしい気持ちになって悲しくなりました。
登場人物の性格や発言が、
昔はこんな人もいっぱい居たなぁと思うんですが、
最近はみんな情報を瞬時に手に入れる手段を持っているので、いろいろ賢くなってしまい、こういう人間味のある人たちを全然見かけなくなりました。
他人に深入りする人もいないので、
シンジのように悩む人もいないですし。
ゲンドウのような不器用な人もほとんど見かけませんよね。最近は。
ネットや会社の人たちの発言聞いてても常に実利を求めていて、
新メンバーのVELLEクルーのようです(笑)
TwitterやSNSを利用せざる終えない世の中になって、
そんな中で、
「個人のエゴ」を通そうとすると、潰される仕組みが現実には出来てしまっているので、
望むと望まざるは関係なく、発言や思想の統一がなされる世の中になってしまったんだなぁと感じました。
ある意味、思想においては、人類補完計画が現実では起こっているんじゃないでしょうか(笑)
ゲンドウの発言や、やっている事も今の価値観に照らし合わせると子ども以外の何者でもないので、
すごく幼稚に見えますね。なんか可愛いというか…
でも、これは作品のテーマが悪いとかではなく時代が変わったんだなぁと思わせてくれる良いきっかけなんだと思います。
制作者も「これじゃあ、バカじゃなくガキね。」とアスカに言わせたくなる気持ちがスッゴく分かりました。
このままエヴァを作り続けても作品内の登場人物と現実の人々の価値観がどんどんズレて来ているので、
今回がちゃんと完結できる最後のチャンスだったんでしょうね。
何にしても、
素晴らしい作品の最後を見届けられたのは、
感無量です。
庵野監督を始め、スタッフの皆様お疲れ様でした。
素晴らしい作品をありがとうございます!
0に限りなく近づく=∞(無限大!)
結論から言うと大傑作でした!
もちろん、期待していたのは初号機の大活躍と、レイとアスカのヒロイン対決ですが、そんな期待がある意味見透かされたかのようなプロレス展開とヒロインのチョイスに、やられたと思いました。
「運命を仕組まれた子供達」って「決められた役割を演じるキャラクター」にそのまま置き換えられて、アスカ、レイ、カヲルが、アスカ、レイ、カヲルというキャラクターから、そして舞台装置としてのエヴァの世界から解放されていくシーンを観て、これはTVシリーズでも出来なかったことをしていると思いました。シンエヴァは予想のはるか先を行っていました。
ヒロインにマリが選ばれたのも、アスカでもレイでもない別の女の子ということでしょう。「だ〜れだ?」と目隠しして聞いてくるのもそういったことを意識させられる。
ラストはもはやみんなの希望を集めた元気玉!ならぬ元気の槍で、シンジママが美味しいところを全部持っていくというすごい展開になっていました。
TVシリーズ、旧劇場版は当時小学生だった私にはかなりの衝撃でした。
グロテスクな描写ももちろんそうですが、夕方の不気味さや、1人残される孤独感など、そっちの方が怖かった。
エヴァは他人に対する恐怖としてATフィールドがありますが、本当の恐怖とは"孤独"なんだと思います。人を孤独にさせてはいけない。それは本作の前半の廃人シンジを救う場面でしっかり描かれていましたし、孤独に対する恐怖がゲンドウを生み出したと言っても良いと思います。この二人の対立構造が映画の中で徹底して演出されていて完成度の高い作品でした。
私は本作を観るまでは新劇場版「序」、「破」、「Q」は暖かく見守りつつも、「やっぱりTVシリーズがよかったなぁ・・・」なんて愚痴を溢していましたが、本作を観て、成長したキャラクターを観て、寂しいけど、エヴァという時代は終わり、今を生きる!これからが本当の新世紀!というアツいメッセージとして私は受け取りました。
素晴らしい作品で時代を作ってくれてありがとうございました!
追記:私はアスカが好きでしたが、シンジの口から(恐らくゲーム版を除いたエヴァ作品で初めて?)好意があったと告げられたことだけで大満足です
追記2:オープニングクレジットの壮大なオーケストラの曲はIMAXではものすごい迫力で鳥肌が立ちました。鷺巣詩郎の楽曲でライナーノーツがHPで公開されていますが、ワルシャワ国立フィルの総勢104人の巨大編成で録音を行ったとのこと!!めっちゃ気合い入ってる!(笑)旋律はゴッド・ファーザー2のThe Immigrant を彷彿とさせる感じでしたが、やはりニーノ・ロータにオマージュを捧げた曲だとライナーノーツに書いてありました。ヨーロッパに始まり、ヨーロッパの名画を彩った巨匠を彷彿とさせる壮大な曲で幕を開けるシン・エヴァンゲリオン劇場版。
ゴッド・ファーザー2は父と子がそろぞれの時代で、一方は家族を築き上げ、もう一方は家族を失っていくという父子の対比話でした。不思議とシンエヴァの話にもリンクしていて面白いと思いました。意図的か偶然か私の思い込みか。いずれにせよ、素晴らしい映画に素晴らしい音楽ありです。
追記3:公開から1週間が経ち、色んな人の考察や感想を読みました。やはり色んな人にそれぞれのエヴァがある。エヴァ・インフィニティとは私達のことだったんだと思います。そして、本作で全てのエヴァに碇シンジの口から「さようなら」と告げたんです。
さて、本作における「さようなら」とはどう言った意味だったでしょうか。
終わってしまった
ここまで綺麗に風呂敷を畳めれるとは思いもしなかった。
エヴァは本当に終わってしまったんだなとしみじみ思う。スッキリしすぎて恐ろしいぐらい、今までのエヴァではあり得ない開放感。
やはり、アニメ版と新劇場版の違いは庵野監督の心の成長だったんだなと、安野モヨコさんとの出会いで変わったんでしょう。良いヒトと出会うとヒトはここまで変わるものかと。ヒトとのふれあいによる暖かみというものが改めて実感できる作品。
私はまだ20代、この終わりを観るにはまだ早過ぎた、そんな風に思える。エヴァは終わらないでほしいと心の何処かで思ってるのがその証拠なのだろう。
オンエア当時に10代だった人がとても羨ましい。その時代に生きた人が一番この作品を楽しめたのでないかな。
表現方法について。エヴァQであの津波シーンやりたかったんだろうな。ちょうど震災あったから延期になったのと予想。後、予告の初号機と第13号機が戦うシーンのCGが変に作り物臭かったのは、特撮の表現をしたかったのね。凄いニヤッとしてしまった。
話は変えますが、マジで庵野さんはもうアニメ作んないんですかね?見終わったら、そう思えてしまって、不安で不安でしょうがないんですけど!俺もっと庵野作品見たいよ。シン・ウルトラマンも楽しみだけど、もっとアニメも見たいよ!!!!
追記 2号機のあのビーストモードってやっぱもののけ姫リスペクトなんですかね?もしかして鈴木Pとのタッグもあり得るのか....??
追追記 2回目を見てきました。
やっと卒業できたかも、赤い海でのシンジのアスカへの告白シーンからずーっと泣いてしまいました。
みんな大人になっちゃったんだな。アスカ幸せになって。
卒業おめでとう。
アスカの相手がケンスケでよかった。シンジの相手がマリでよかった。過去を精算し、母からも自立して、マリと結ばれた。みんなリアルで幸せに暮らしている事だろう。よかった。
家に帰っても涙が溢れてくる。理由が明確にはわからない。
良くも悪くもエヴァ卒業。25年間楽しめました。
リリンの王、庵野秀明
20世紀末から始まり、常にアニメ、エンタメのトップを走り続けてきたエヴァが、ついにその長い物語に幕を引いた。「四半世紀ありがとう」この「シン・」を観てまず抱いた感想がそれだ。大作のラストに相応しい大団円、このとてつもなく巨大な作品のラストを、ここまで出来ればほぼ満点ではなかろうか。
長い間待たされたと感じた新劇も、振り返れば「エヴァが続いていた」と同義であり、私たちは終わらないエヴァと共に25年間、歩んで来れたのだ。
しかしいよいよ私たちは本作をもって、エヴァを捨て、エヴァから脱却しなければならなくなった。これは作中のシンジと同じであり庵野監督の回答である。
賛否両論だったQが、いかに計算され尽くした超大作であったか、本作を観てどれほどの人が気付けたであろうか。時間も金も掛けた序破Qが迷走する訳が無く、新劇版のみならず、TV版、旧劇、コミックス、全てを包括して決着をつけた庵野監督こそ天才であり、彼こそリリンの王であると言える。
自分はQを劇場、円盤合わせて30回以上は観たのだが、このシン・が公開される迄の長い間、Qをスルメイカの様に咀嚼して楽しむ事が出来た。Qはこのシン・に繋げるために必要かつ大変良くできた作品である。
今回のシン・も、同様に掘り下げ甲斐のある濃密な作りである事は、観た方ならご存知の通りである。
いったい何度観たら理解出来るのか?ノーランの大作「TENET」は、理解出来ない部分が脚本や物語の運びであった為、観客はストレスが溜まる一方であった。
一方で、起こった事象が理解できなくても見ていて十分面白いのがエヴァである。観客はシンジの目線で何も分からない所から始まるので、正にシンジとシンクロする。あとは、分れば分かる程面白さが加速する作りなのだ。
序破Q同様、日本の、いや世界のアニメのトップクラス映像と音楽を味わう事が出来るのは、今のところエヴァを置いて他にない。先般公開の某人気アニメ映画も物語として泣けたのは事実だが、そもそも立ち位置が、次元が違う。
線の一本、ドット一粒に至るまで、渾身の迫力が、庵野監督を始めとするスタッフ達の拘りと25年の魂が、宿っている。緻密な計算、妥協を許さないそのスタンスが、この極上アニメーションの完成度に現れている。エヴァが好きかどうかは別にして、時代の立会人として劇場は勿論、是非IMAXで鑑賞したいところ。
具体的な物語の内容は、ここに書いても何ら語れないので割愛するが、この物語の凄いところは、25年という歳月を経て我々の人生にも影響を与えてしまった問題作であるという所だ。既に我々の心の中にエヴァがあり、綾波が居て、我々の一部を形成し、我々の心を鏡写しにしてきた。そんな僕らに庵野監督は言う。「もうエヴァから旅立て」と。
終盤、レイやアスカとの会話によって決着をつけるシンジ。彼らの心の拠り所にエヴァは不要なのだ。エヴァのない世界…我々観客の生きるこの現実世界。
過去とも現在とも判断のつかない実写風景を走る、成人したシンジとマリで物語は終わる。まるで一般人の様にチルドレン達が会話している。このラストは、エヴァの存在しなかった我々の世界かも知れない。
すごくよかった
ずっと見てきてよかった
ネタバレってほどではないかもですが
察しがいい人は気づいてしまうので、、、
東京ラブストーリーを観た後の感じと似てる後味
大人になるお話
私見でしかないですが
一見、複雑な仕掛けや舞台装置、
伏線めいたものや暗喩的表現は
映画やアニメ、特撮が好きな人を喜ばせるものですが
そこに大きな意味はなく(演出的な意味はあるものの)
あくまで娯楽作品であり
ごくごく簡単なことを核に
素晴らしいスタッフが制作した
素敵な作品でした
現実であり、夢
夢であり、現実
ビューティフルドリーマー
マイナス宇宙やゴルゴダオブジェクト云々は
ウルトラマンAでしたね
松任谷由実さんのVoyager、
宮崎駿監督のひこうきぐもと同じように
心に沁みました
さよならジュピターの主題歌だったから使われたのかもですが、実にぴったりな選曲だと思います
ありがとうございました
追記:
新劇を全て見た後、
旧劇を見直すと色々と気付かされます
世界観設定もそうなのですが
メッセージ部分のところで特に
監督が伝えたいことは変わってない
そう思いました
男はガキ、過去に執着、考えが固定的になりがち、理由を求めがちなのかもですね
鑑賞2回目、、カップリングのところ
どうにでも解釈できるし
あの程度で、できてるできてないってのは
すごく幼い解釈で、そう思った自分が恥ずかしい
庵野秀明の星の王子様
テレビアニメシリーズから26年
エヴァの呪いにかけられた
我々チルドレンたちを現実へと還す作品。
庵野の最後のフィフスインパクトは
劇中劇であることを直接的に暗示する。
順を追ってキャラクターを弔うシンジ
あとは君だけだと告げるカット割は
明らかに我々に向けてのセリフではないか。
Qで観客とシンジを同じ状況に置き
感情移入の対象とさせたことから
今作の導入は非常にスムーズだった。
最初はシンジと同じ目線で感情移入していた我々も
最後は子を持つ親の気持ちでシンジを見ていたのではないだろうか?
自分だけじゃなく、他人の弱さをも受け入れることで
限りなく人を愛するということに気づいたシンジ。
ここで観客の体現としてエヴァの呪いを浄化される役目は
父親のゲンドウにスイッチする。
この辺りのヒッチコックよろしくばりの古典的な
映画手法を使って次第にアニメ的表現を逆手に取った
演出の数々で我々の呪いを浄化していった。
この作品の根底にあるのは庵野秀明自身の成長ではないだろうか
彼自身が心の闇を全て晒したテレビアニメシリーズから
エヴァの呪いを撒き散らし、それに縛られてきた人生の中で
もがき苦しみながらも支えてくれる人々(風立ちぬの宮崎駿や、安モヨコ)の出会いから温かみを知ったように思う。
その温かさを持って自分のケジメ、シンジが言うには落し前をつけたのだろう。
いい意味で今後エヴァが昔よりも語られることは
なくなるのではないだろうか
考察のようなブログも、書籍も時代とともに
なくなっていくだろう
エヴァの呪いの浄化、それが庵野秀明の望みだろう
しかし浄化とともに我々に新たな呪いをかけた
それは「君たちも今を生きよう」と言うこと
いつまでもアニメを見ていないで
現実の世界と言う最も劇的な世界で生きていけと
そして庵野秀明はエヴァから去る
でも大丈夫、これは悲しいことではない
いつまでもエヴァは心の中に残っている
冒頭とエンディングの真っ暗闇の中に光る星星は
星の王子様が最後に旅立つ前に主人公に告げる台詞の
再現ではないだろうか。
長々と書き連ねたが
私が今後エヴァを見返すことは無いだろう
現実をしっかりと生きていかねばならないから
それでも挫けそうな時、きっと日常の中に
シンジとマリの姿を思い浮かべてしまうだろう
それで良いと思っている
そうして時々思い出せるのならそれでいいのだから
(1回目)ちょっとガッカリ感はある。でも、これで良い。(2回目) 宇部新川に全員集合。ヤンキーでも良い。嬉しい。
宇部新川駅ですって。abホテルで宇部新川と確信ですって。映画帰りには、早速話題になってますもん。さすがローカル、あの画で分かるんかw
ネタバレ回避で、今日のところは詳細割愛。
エヴァの戦闘シーンは、物足りなさあり。壮大な物語りの「落とし前」、と言うか、広げ過ぎた感のある風呂敷の畳み方としてはですね。イヤ、劇場版としての幕の引き方としては、「これで良い」って思いました。「見たかったラストをやっと見れた」、と言っても、これまでのエヴァを全否定する訳じゃないと思いますし。
カラーヘアの2人をホームに残して、宇部新川駅から駆け出した2人。そう来るんかい?いや、年齢はどうなっとりますのん?えぇ?ま。良いかw
解釈大会の幕開け、って事で。
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3/10 2回目IMAX
初回の「物足りなさ」を全く感じる事が無く。満足度は無茶高くて自分でも驚いてるでござるw
初回は通常、2回目はIMAXってのもあるかと思いますが。
思えばですよ。期待、と言うより予測とのGAPに戸惑ってしまったのが初回。1時間ほど続いた「村」と「イジケ」が完全に予測外。ここでダレた、気分的に。テザー動画から、アクションに次ぐアクションや、マリ&アスカのダブルエントリーを予測なんか勝手にしてたもんだから。イメージ世界での親子対決も、ちょっぴり肩透かし感ありましたもん。
それがそれがそれが。
2回目は全くダレない不思議。GAPが埋まった挙句だからでしょうね。村も、イメージ世界での1vs13対決も、巨大過ぎる&うじゃうじゃなアレも気にならない。
いずれにしても。初日から売り切れのパンフ、早く入荷して欲しいよー。
宇部新川駅ホームにアスカも居てくれたのが嬉しかったけど、宇部であの髪型&色じゃ、ただのグレたヤンキーやないですか!
ちょっと、違う登場の仕方にして欲しかったよねw
良かった。とっても。
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3/13 追記
ヘーゲルのトリアーデ(Triade)からの考察で遊んでみたいと思いますw
「テーゼ」→「アンチテーゼ」→「ジンテーゼ」はヘーゲルの弁証法。「テーゼ」はアニメ版の主題歌タイトルにもなっていたんで、こっち方面から考察してみたいと思います。
「テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ」「肯定・否定・否定の否定」「正・反・合」などなどなど。トリアーデの第三項は、「対立や矛盾を包括しながら、高い段階の状態にとどまること」を指す「Aufheben」と言う言葉で表されたりします。
トリアーデとは、カントによると「対立的なふたつの範疇のつぎに、第三の範疇をあげる」と言う三分法です。概ねは、第三項に、先行の相関的な二範疇の「総合された統一的全体」をおいています。以下、ヘーゲル自身による三分法の「言葉遊び」と、その解釈をシンエヴァに当てはめてみる試みです。
①まずはラストの解釈から。
綾波を送り出す時のシンジと綾波のやり取り
「時間は元に戻さない。エヴァを必要としない世界を作る」
「Neongenesisね」
Neongenesis=Re-Generation=(組織レベルからの)再創成
つまりは、時系列上の不可逆性は維持したまま、世界(人類)を再創成すると言うのがシンジの意図であり、ラストシーンは、それが具現化した世界。
この工程を「有→無→成」を当てはめて解釈。ここで、成のモメントは、有と無からなり、この有と無からその全体としての第三のもの、成へとすすむという事であり、厳密には「直接的成→有と無→媒介された具体的な成」のトリアーデになると解釈されます。
よって。
「有」=「直接的成」とは、ファーストインパクト前の世界と人類
「無」=「有と無」とは、その後、リリン・使徒・エヴァなどが混在する世界
「成」=「媒介された具体的な成」とは、裏世界の神の力とシンジの意図によって再創成されたリリン(何と呼べば良いか不明)が生きる世界。
②シンジ
「肯定→否定→否定の否定」と言うシンプルなトリアーデ。
「肯定」=誰かのためにエヴェに乗る
「否定」=自己喪失・自己疎外・自己外化
「否定の否定」=自己内化・自己帰還。自己否定・自己疎外において、その「他在化」したものの中にや投影された姿に自己そのものを見出して自己に帰る、もしくは自己を獲得する
序破急シンの各作品の中で、シンジはこれを繰り返してる訳ですね。
③ゲンドウ
「直接性→反省と媒介→自己還帰存在」と言うトリアーデ。「抽象的悟性→弁証法的否定的理性→思弁的肯定的理性」とも。
劇場版とアニメ版しか知らないワタクシ的には、ゲンドウの内面変化が、全然わからないんです。なんで、このシンエヴァの終盤のみを取り出してみると、こうなるんだろうね、って事で。
「直接性≒抽象的悟性」=人類補完計画を淡々と実行するプロセスにおける冷徹
「反省と媒介≒弁証法的否定的理性」=シンジとの対話の中における気づきと変化
「自己還帰存在≒思弁的肯定的理性」=1号機の中にユイを見出しユイの選択を受け容れること
④エヴァンゲリオン
「制約→非制約→被制約とそれの制約との合」
「制約」=リリンの乗るエヴァ
「非制約」=使徒になったアスカ等、解放されたパイロットが乗るエヴェ
「被制約とそれの制約との合」=ユイが同化した1号機
取りあえず、今日はここまで。
さようなら、全てのエヴァンゲリオン
平日の真昼間だというのに映画館には多くの人が集まっていて、しかも年齢層は同年代から中年まで多岐に渡り、改めて同作の歴史を痛感しました。エヴァンゲリオンを初めて観たのは10歳の頃で高々6年しかエヴァに触れてきませんでしたが、そんな自分でさえ上映後は胸にくるもの(?)があったので、25年間同作を追い続けた人々はきっと良い意味でも悪い意味でも文字では表現できないほど多くを感じることができたと思います。
Qでかなり物語を引っ掻き回しての今作だったわけですが、序盤では荒廃した世の中でも強かに生きる人々の暮らしの豊かさを、中盤では個々人の繋がりの中でシンジが見出したものを、成長を描き、終盤では主要な登場人物の物語を、そしてシンジのエヴァとの決別を旧劇のタッチで実にエヴァンゲリオンらしく上手くまとめ上げたなと感じます。それでいて、これまでのエヴァンゲリオンと比べて理解しやすくかなり前向きな作品となっていてシンジがやっと報われたような気がしましたw。また、エンディングには様々な意見があるとは思いますが、シンジとエヴァの決別、ひいては我々エヴァに魅せられた人々とエヴァンゲリオンというアニメ作品の決別であるようにも思います。ですから、最後の駅のシーンは別世界に飛んだとかそういうのではなく、シンジの旅立ちの暗喩ではないでしょうか。
ただ、どの解釈が正解だとか、エヴァンゲリオンはどういう作品であるかだとかは庵野監督から語られない限り結局のところ答えは藪の中ですから、さほど重要ではないでしょう。個人的には本作で25年に及ぶこれまでの物語は伏線も回収して終わったという認識ですが、自分の感想、自分の解釈が有ればそれで良い。視聴者が勝手に考察しまくる作品、それがエヴァンゲリオンだと思います(投げやりですが、、、)。
最後に、長くなりましたが庵野監督に、全てのチルドレンに、ありがとう。そして、さようなら
まあ、"さようなら"はまた会えるおまじないですからもう一度観に行きますがね(^ω^)
泣きました(ネタバレあります)
ネタバレあり
かつてリアルタイムで10代だった私達にシンジ達がようやく追いついてくれました。
まさかエヴァで泣く日が来るとは。
真っ赤に染まったパリから始まるシンエヴァ。いつもの通り空白の何年間から始まると思って居たのにきちんと続編として始まった事に驚き。この辺は普通にエヴァンゲリオンしてます。
そして3人が汚染された街を歩いていくシーンへと移ります。ここで珍しくOPとしてスタッフや監督の名前が出ます。これはエヴァンゲリオンシリーズとしてはかなり珍しい。が、いよいよラストなのだな、と思いました。
ただ歩いてる3人。特にセリフもありませんが仮称アヤナミレイの仕草がテレビシリーズとも序破ともやはり違い、そうだ。このアヤナミは綾波じゃないんだった、と思い出させてくれます。
そしてQで死んだと思わされていたトウジの登場。Qでは分かりづらかった空白の間をここできちんと視聴者側がついてこれるように間を取ってくれている。言葉で説明されるよりも分かりやすく、後の続くアスカのセリフやQでのアスカの態度も説明がつくようになっています。
これまではアスカは私、私、私!と自己主張が激しく表面上は自己中心的に見えるキャラですが、承認欲求が強いというキャラ。それが満たされたのが分かるのがアスカがここから相田ケンスケの家で過ごす数日間、自分の事ではなくケンケンはケンケンはと自分の事よりも彼を優先します。これはアスカの中での優先順位が異なったのでしょう。そして決定的なのが私は守るために居るのだというようなセリフ。
今までのアスカならば守るのではなく勝利もしくはエリートで居るため、つまり自己承認欲を満たすためでした。それが大事な人(存在)、自己を認めてくれる相手が出来た事で大きく成長したという事だと思いました。
そして物語は大きく完結へと進みます。アヤナミレイから綾波を超えて本当により人間に近づいた人造人間としての綾波レイ。そんなレイとユイが似ても似つかない存在になり孤独が増すゲンドウの心の内。
カヲルが何度も何度も同じ演者を繰り返しその内にシンジを自己のストーリーに加えたという事実。司令と呼ばれゲンドウと同じ服を着てあの机に座るカヲル。
親がしでかした事の後始末をしていったミサト。そして同じように後始末をしようとしたシンジ。
かつてミサトは自分とシンジを重ねて見ていたと吐露しますが、知らずの内に重ねていたのはむしろシンジだったのではないでしょうか。
セカンドインパクトではミサトは自身の父が代わりになり守られ、けれど守りきれずにその役目はかつて父の姿を見ていた加持へ。セカンドで父を失い、サードで加持、そしてフォースではミサトが。
劇中で大きく語られる事はありませんが、なぜミサトはミサトと加持の子供で加持リョウジとシンジがツーショット写る写真を見ていたのか。あれはケンスケが送った映像から切り抜いたかケンスケがミサトに送った物です。加持リョウジだけの写真ならばケンスケがシンジを加持リョウジに紹介する前に用意出来たはずです。
ミサトはシンジを自分の子供のように思っていたのでは無いか。かつての恋人であり子供も父である加持へ対する愛とは違う親に近い愛情であったのではないかと思いました。
そしてシンジはユイに守られ、海岸へ。ミサトというもう1人の親が用意した槍を使って世界を再構築するために。
そのシーン線画、絵コンテに変わる段階は文字通り槍で世界を描き直しているのを表しているのだと思います、シンジが。
それを破るように現れるマリ。あの屋上でぶつかって来た時と同じように空から。間に合ってよかったと、マリは言います。恐らくマリはアスカがしたように人を超えた存在なのでしょう。マリはかつて人を超えた使徒の力を見せると言ってビーストモードを使います。ですからマリの存在ならば置いてけぼりになる可能性もあったのかなと思いました。
一人一人が幸せになるその瞬間へ送られ、そして大人になったシンジ。今までの出来事がほんの数分のうたた寝の間に見た浅い夢の中のように感じますが、首にはまっているチョーカーとその後に現れるマリが夢ではなく、現実で、しかし使徒やエヴァの居ない世界を時間を巻き戻すことなく、むしろ、彼らが過ごすべきだった本来時間軸へシンジがきちんと作り直し描き直した事を示しています。
初日に2度観る機会を得ましたが2回目の方が号泣しました。今までのエヴァンゲリオンが遠回しにメッセージを送っていたのだとすれば、これはド直球です。ネタバレされたとしてもエヴァンゲリオンが好きならば観る価値があると思います。全ての謎が解明されるわけでも全てが説明されるわけでもありません。
けれどエヴァンゲリオンが好きならば嗚呼エヴァンゲリオンとしてきちんと終わってくれたと納得出来ると思います。
25年、待って本当によかった。
全てのエヴァンゲリオンに感謝を。
そしてさようなら。
庵野監督をはじめ関係者のみなさま、おめでとう。
綺麗に終わった
7月21日 11回目(最後)の観劇
ついにこの日を迎えてしまいました。
最後は豊洲のユナイテッドシネマで、
感無量の終演鑑賞。最後に拍手が起こり、
これまた胸が熱くなりました。有難う、
最後のエヴァンゲリオン。有難う、庵野監督。
ここまで夢中になれる芸術作品に出会えて
幸せでした。さようならは、また会うための
おまじない。さようなら。
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7月15日 10回目の観劇。
ついに7/21終演の知らせで、最終日にいつもの
劇場で観ようと思っていたら、なんとそこは
本日が最終上映との事。夕方の上映時間だったので
仕事を早めに切り上げ、ついに観劇回数10回目と
なりました。特典も今回はマリをゲットできて
前回のカヲルと両方揃いました。相変わらず
戦闘シーンの迫力とストーリーの奥深さに感動し
最後のOneLastKissのところで涙して、
本当の意味での終わりの近さを噛み締めました。
7/21、都内に出向いて最後を見届けます。
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6月27日 9回目の観劇。
昨日から配布され始めた最後の特典と
薄い本も合わせてゲットできました。
これで上映特典は全てコンプリートしたはず。
結局エヴァの面白さを考察するに、私はやっぱり
戦闘シーンのカッコ良さと綾波レイ(黒波)や
マリ、ミサトさんらのキャラの生き様に共感する
ことなんかなぁと改めて思った。ストーリーの
奥深さももちろんあるんだけど、案外単純な理由
でここまでハマっているのかも。
ラストシーンはいつも、場面の切り替わり方が
2001年宇宙の旅のラストと重なる。少し哲学
っぽさがありますね。
さて目標の10回に、後1回となりました。
次は最終上映日に行こうと思います。
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6月13日 8回目の観劇。
昨日から始まったラストランに向けた、
エヴァ3.0+1.01を観ました。少しカットの編集が
あったという事ですが、過去7回観ていた割には
どこが変わったのか気付けませんでした。
黒波がつばめと居るシーンと、マリがアスカの
髪を切るシーンが少し新しくなった気もしますが
全く自信がありません。ドルビーやAtomos対応の
会場では1.0のままとの事ですが、あまり気にする
事は無いと思います。
それより、Eva Extra Magazine特典が
超サービス・サービスぅです!
Qの2時間前の漫画も良いし、アニメカットが
とても素晴らしい!!これをもらいに行くだけでも
めっちゃ価値があります!
特に私は3歳になったつばめが、レイのぬいぐるみ
を抱いて笑っているカットがとても感動しました。
つばめは実はモデルが実在していて、その子も
レイのぬいぐるみを気に入っているとか。
もっとつばめを抱っこしていたかった、と
黒波が言葉を遺しますが、何だかとても素敵な
カットだと感動しました。
本当に最後の上映日にはもう一度駆け付けますが
もしかすると次がその回になっちゃうかなぁ。
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6月6日 7回目の鑑賞。
ついに禁断の、妻を巻き込んでの鑑賞でした。
せっかくならこの映画を妻に観せたいと
急遽 序・破・QをAmazonPrimeVideoで私の
解説付きで学習させ、やや強引にシン・エヴァを
観に行きました。意外にも良かったようで、
ミサトさんやアスカ、マリのファンになってくれた
みたい。私が推してる綾波レイは、クローンなのに
なぜあなたは好きなの?と理解されず、まぁ仕方
ありません。でもエヴァファンを一人増やせて
シナリオ達成です
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5月3日 6回目の鑑賞。
4機のNHGで槍を完成させるゲンドウの目的のため
ヴンダーがマーク9Aに乗っ取られると理解出来た。
6回目の鑑賞でようやくパンフレットをゲット。
アフレコ時の声優さんの気持ちなども丁寧に
紹介されており、また次回鑑賞時に気持ちが入り
そうです。公開最終日まで、あと何回観られる
かなぁ。
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4月24日 5回目の鑑賞。
今回は若干小さめのスクリーンを結構前方から
鑑賞してみた。やはり前から観ると視野角全体に
映像が広がる、これはこれで迫力あり グー👌
鑑賞の仕方もストーリーを解釈すると言うよりも
映像の、特に真ん中より周囲の絵を楽しむ感じ。
だんだん芸術鑑賞の域になってきました。
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4月10日 4回目の鑑賞。
いよいよ本命のIMAXで鑑賞。もうオマケは無し。
やはり映像と音響の迫力が1割増しに感じました。
さすがに4回目となるとストーリーはかなり理解
できるようになり、やっぱりエンディングの
宇多田ヒカルで涙が出て来ます。噛めば噛むほど
ストーリーの奥深さが身に沁みます。
トトロも見つけました!
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3/29 3回目の鑑賞。
考察動画のおかげでだいぶ内容理解できるように
なって来た。星0.5追加します。
今回のスクリーンは大画面だが音響が物足りない。
次回4回目はIMAXで観ようと決意しました。
入り口で頂く特典が変更されていましたね。
今回のは劇中セリフでかなり嬉しいプレゼントでした。
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3/13 2回目の鑑賞。
ゲンドウが頭を打たれたところで
トイレが我慢できず数分間席を離れてしまって
ちょっとショック。
ビールを注文したのがいけなかったと反省。
印象は変わらず、戦闘シーンの意味付けが前回より
良くわかって楽しめました。
最後の駅のシーンでカヲルくんとレイがいたけど、
彼らは人間になって生活しているという事?
まだ後半の意味付けは充分理解できていないところ
あるので、もう一回、3回目にまたチャレンジ
したいと思います。
宇多田ヒカルのOne Last Kissは、自然と
涙が出ますね🥲
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初日にぜひ観たいと思い、娘と行きました。
壮大なサーガの、一つの綺麗な終わり方でした。
ただし、13号機に到着した以降の展開はパラレル
ワールド的な世界が出てきて解釈が難しかった。
シンジとゲンドーの父子対決も、言っている事が
難解で一回では充分な理解は無理でした。
でも様々な懐かしキャラが惜しげなく投入されて
(この辺はスターウォーズ最終作にも通じる)
ファンには堪らない演出でした。そう言えばエヴァ
を劇場で観たのは初めてですが、迫力がテレビと
全く違ってこれも嬉しかったですね。
これまで序、破、Qをそれぞれ3回ずつは観て来た
ので、この最終話もあと1、2回は劇場で再鑑賞
したいと思います。
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