シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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純粋にエヴァファンとして最高の結末でした
2回鑑賞した。最高の結末だった。
でも感想としては批判も含んでしまうのでご注意を。
1996年生まれの私は、13歳の頃に序を見てからTV版、旧劇、貞本エヴァ、破、Q、貞本エヴァ完結を経て、シンを迎えた。ファン歴12年だ。
旧劇、Qから、どう頑張ってもシンもカオスになるだろうし、いろいろ匂わせて終わるのだろうと予測し覚悟していた。
案の定、後半はエヴァの世界観の理のもとでSF展開がされていく。都合の良いやつめ。
しかし、これまでと違い、「縁」「けじめ」というワードを軸に、繰り返していた並行世界、エヴァというコンテンツの終わりがしっかり描かれていた。
正確には覚えていないが、トウジの「力不足で救えなかった人の気持ちも受け止める。それが落とし前をつけるということ」というセリフは、今回の各登場人物にとっての「責任を果たす」というテーマを表していたように思う。
ミサトは最後までシンジの保護責任者として、父の計画を終わらせるため、艦長として戦う。
リツコはヴィレのため、旧劇と違いゲンドウに躊躇なく発砲する。
加持は愛する人たちを守るために立ち向かっていた。
アスカはシンジを見守り補完計画が発動しないよう全力を尽くす。
レイはシンジがエヴァに乗らない幸せを作ろうとする。
マリはシンジを連れ戻すことを何度も誓う。
シンジはゲンドウとの関係にけじめをつけるためにエヴァに乗る。
最後にマリが迎えに来て、冗談混じりの会話とともに、声変わりしたシンジと階段を登っていくエンディングは、清々しすぎて別のアニメかと思ってしまった。だが、それが良かった。スッキリした。
脚本としては、シンジがエヴァに乗れば解決するという何でもアリな展開は仕方ないと思ったけど、もっとシンジの覚醒に盛り上がりポイントが欲しかった。アスカの覚醒は面白いけどビーストモードと同じで決着つけられないのはすぐわかったし見てて辛かった。説明も多いし専門用語を並べすぎて相変わらずだった。
初見は驚きすぎて混乱で理解と感情が追いつかなかったが、2度目は落ち着いて鑑賞できたため、より面白かった。
以下は、単純な、感じるままの感想。
作画が綺麗。人物が可愛い。CG技術すごい。
農村パートが非常に好き。
綾波そっくりさんが可愛い。「ツバメ、もっと抱っこしたかった」は、かなり辛くて泣いてしまった。
鈴原と委員長の結婚。幸せを築く人々。
家出後のシンジをつめるアスカに対して「うん」と答えるシンジの受け流しスキルに感動した。逆ギレして首締めないか心配してしまった。
シリアスな笑いを狙っているつもりはなかったと思うけどちょこちょこ笑えるシーンがあった。エヴァの親子喧嘩とかね。冬月のボス感とか。
補完計画発動時のVoyager日付のない墓標は、初めて聞いたけれど歌詞がユイの思いそのままで、とても合っていて素敵。
まとまりがなくなってしまったが、色々ツッコミどころはあるけれど、きれいに終わらせてくれたのがとても良かったので、ファンとして最高の結末。星5。
終わらない夏が終わる
正直、終わらせる気はないと思っていました
何だかんだで続編を作れる余白を残す そう考えていました
なにせ日本最大最強のコンテンツ 終わらせれば仕事も売り上げも消えるのだから
でもビジネス関係なしに終わらせた 続編を作れる余白も消した
あえて言えば空白の14年間をアニメ化してほしいとこだけど結末の後で盛り上げるのは難しいかもしれない
あの世界は劇だったのか ゲームの中だったのか 意図的に考えさせる小道具(プレステコントローラ 背景の書割 使徒型の着ぐるみ)はあったが当事者のシンジやミサトから見れば現実なのだから関係のない話かもしれない
我々が住んでる世界がゲームの中としても知覚できなければ関係ないのと同じ
またマイナス宇宙=現実なのか アディショナルインパクト後の作られた世界があの実写の宇部新川駅なのかはよくわからない ただ神殺しの船の神は視聴者の事なのだろうと
いちばん描写でありがたかったのは前半の日常風景の温かさ プラグスーツで田植えをするアヤナミレイ みんなが笑顔で毎日の幸せな日常を過ごすさまは「覚悟」していたものとは違うやさしさだった もちろんその後の悲しみも予感はさせていたけど
オリジナルの綾波レイに成長がフィードバックされつばめちゃんの人形を抱いているのが救いになった
成長したケンスケとトウジ シンジはそれどころではなかったけど見てる側は同窓会なので結婚や子育てで置いて行かれて複雑な気持ちになったことを思い出しシンジの気持ちにシンクロしたんではなかろうか 短い期間で大きく成長したアヤナミレイ 変わらない意地を通すアスカは対照的だ
駄文連ねたけど終わらせてくれてありがとう これ以上の続編外伝は望みません
最高の作品を最高の終わらせ方で終わるって素晴らしいことだから
今日14歳の僕は死んで、もう2度と会えない
エヴァを25年間追い続けていた僕の中二病の心は、今日卒業の日を迎える。
そして考察というエヴァの呪いから解放され、考察の無い世界が訪れる。
子供だった僕は大人になり、シンジくんの様に、これからは歳を重ねていくのだろう。
センセイ!今日、僕たち私たちは、25年のエヴァの呪いから、卒業します!
ありがとう。さようなら。
エヴァよ、アスカよ、ありがとう
公開2日目に見に行きました。
率直な意見としては「ありがとう」が素直に感情に湧き上がる最後でした。
※アスカが好きなのでアスカメインでの考察です。(長々ですが)
○アスカとの出会い
小学生は10代なるかぐらいに、エヴァと出会い、幼いながらにアスカが好きになり、こんなに夢中になるキャラは初めてでした。
「気持ち悪い」をリアルタイムで劇場で聞いた時は、訳が分からなかったけど、歳を重ね、20数年経った今、そんな言葉も色々な意味で捉える事が出来る様になりました。
○新劇になり・・・
そして、新劇を迎え、アスカも使徒に侵食され(その後、再度立ち上がってホッとしましたが・・・)、「惣流」とは別の路線に行きつつあり、自分の中にあったアスカとイメージが少しずれていたことに寂しさを感じていました。
(ここからネタバレになりますが)
○まさかのあの人と・・・
そして、まさかのケンスケと親密な(?)感じになっていて、主な流れではアスカの心の支えの様に描写されていてさらにショック・・・。
やっぱり心にあるのはシンジであって欲しいというのが長年の想いでした。
○旧劇の続き
しかし、もう感動たるや、まさかの終盤には旧劇の続きでしかない、浜辺でのシンジとの再会。シンジからの言葉に浮かべる表情に(そして大人になった姿に)、アスカのファンとしてはやっと呪縛が解け、救われた気がしました。
○ラストの描写・マリの存在
ラストはアスカやメインキャラを対面のホームに、マリとシンジが共に歩んでいく形でした。
(ここは色々な解釈があると思いますが)
マリとシンジが結ばれたような見えますが、どうにもそう思えないんですよね(思いたく無い!ってのが一番ですが(笑))
アスカやレイとは色々な想いが描写されて来た中で、いきなり出てきたマリとはほとんど接点も無く(本作でもやっと中盤に自己紹介するくらいですから)、シンジが心のよりどころにしたかったとは思いますが、結果的にそうしたのかなというのが考えです。
それは長年、アスカとレイという人気のキャラがいて、沢山のファンがいる中で最終的に誰と繋げるか?という流れをどうしても意識する必要がありますが、どうしてもそれが出来なかった(どっちのファンも裏切らない形を目指した)からなのかなと思います。
だからマリという存在を新しく作って、うまく中和する事でみんなが納得いく形とした、最後の駅のホームの描写は、シンジ(マリ)とそれ以外という構図で、存在するけど言葉などは発さず、解釈はそれぞれ見る側に委ねる形にした、というのが私の考察です。(もっともマリファンには純粋に嬉しい限りでしょうが(笑))
○自分の中のアスカの完結
映画を見て色々な想いが交錯する中で、アスカの存在ですが、自分の中では最後は「元の」アスカに戻ってくれたというのが率直な想いです。
それは、最後の決戦でアスカのオリジナルが別にいたこと、そして先述の浜辺でのシンジとのやり取りで感じた、今までに無かった優しい表情のアスカを感じたからです(完全に贔屓目ですね(笑)。もう涙が止まりませんでした(涙)。
○まとめ
自身の人生に影響を与えてくれたエヴァはやっぱり偉大だなと実感させられた映画でした。そしてこんなにも夢中にさせてくれたキャラクター、アスカ。
本当に、
「エヴァよ、アスカよ、ありがとう」
そして
「さようなら」(おまじない)
最後に
・・・やっぱり、裸を平気で見せられて、ケンスケ好きな訳は無いよね!(笑)
ありがとう。 そしてさようなら。 すべてのエヴァンゲリオン
これまで様々な考察を色々な人達が考えられていましたが、庵野監督は見事にそれを上回ってくれました。
つぎはぎだらけの感想ですが、まず、完結したのを観て私が思ったのは、これはTVシリーズ、旧劇、コミック版のEXTRA STAGE「夏色のエデン」を観ておくべきということです。
新劇だけを観て全て理解するのは無理です。
断言できます。
初めて子と父が本音で戦う(話し合う)のは、25年目にしてようやくだと思いました。
TVシリーズや旧劇を観た当時からすると、これを一番見たかったんだと改めて気づかされました。
今までと違って本当にスッキリしたハッピーエンドになってよかったです。
私は、最後のシンジとマリのカップリングにはすごく嬉しかったです。
これからもお幸せにと心の中で言いましたww
戦闘で一番驚いたのが、アスカの左目にまさか第9の使従(旧のバルディエル)が封印されていたことですね。
元々好きな使従ではあったので、なんか嬉しかったです。
TVシリーズや旧劇の映像も使ってくれて、うれしい演出をしてくれました。
しいて言うなら、たくさんのエヴァが出るなら、旧劇の量産機も出してほしかったなぁ~と淡い期待もしてしまっていた自分がいました。
本編中気付きませんでしたが、コーラスの中に高橋洋子さんが入っていたのは気付きませんでした。
最後のエンディングテロップで発覚して驚きました。
後、大人シンジを演じた神木隆之介さんの存在も。
段落的な感想になってしまいましたが、想像を超えるストーリ展開でTVシリーズから始まったエヴァンゲリオンを見事に完結してくれました。
ありがとう。 そしてさようなら。
すべてのエヴァンゲリオン
往年のファンの期待と疑問に答えてくれた
人類補完計画とは何か、サードインパクトとは何か、そんな考察されていても明確に示されなかった長年の疑問に全て答えてくれました
なのでちゃんと予習して見れば、そういう事かと謎が解ける爽快感を一挙怒涛に味わう事が出来ます
そもそもエヴァは考察して、深読みしてナンボの作品なので
予備知識なしで楽しめるかは人によると思います
なので最低限旧劇のラストと、新劇全作の予習は必要だと思います
以下重要ネタバレ含みます
本作のテーマを一言で表すなら「通過儀礼」だと思います
エヴァは子供にしか乗れないし
エヴァを見ていた子供達も、10年以上の月日を経て大人になっています
そんな人々の心の中にある「エヴァ」という概念を
人類補完計画にある相互補正という作用になぞらえて
また会うためのおまじないとして「さよなら」するのがこの作品のテーマだったんだと思います
視聴者の分身でガキだったシンジが
長い時間の中で成長し、一つの答えにたどり着いたこと
視聴者の分身であるシンジが観劇の世界を終わらせて現実を再構築した事
その成長の答えがエヴァというイマジナリーの放棄という答えに辿り着いたんだと僕は思いました
ラストがああいう結末になった事に、庵野監督から僕達へこれからの世界に対する関わり方へのメッセージ性が込められているのだと思います
これはひとつの物語としての「エヴァ」の終劇という庵野監督のけじめの物語なんだと深く理解させられました
考察の余地が尽きないのもファンとしては逆に嬉しい
マリの正体やニコイチ新弐号機の片割れの正体など、
シンエヴァで明かされなかった謎も多く残っています
完結してもなお、まだまだ深掘り出来るエヴァという作品にこれ以上無い感動と尊敬を感じます
これから先、エヴァは沢山の考察がされる事でしょう
そういった楽しみを残してくれたという点でも
他の作品には無いエンタメ性がエヴァにはあります
だからエヴァは古今東西他に並ぶもののない最高の作品だと僕は思います
全人類、エヴァを見て、そして僕と考察を思う存分語り合いましょう
CGが凄かった
ずっと楽しみにしていました。
初見で見た感想は、CGが凄くてみんなかっこいい!やはりエヴァの工場風景や送電線やら、退廃的な風景はとても素敵でした。
映像も音も素敵でした。
みんな割と生きてるじゃんと思いました。Qみたいに意味分からん気持ちで終わらなくて良かったです。ハッピーエンドでよかった。
殆ど伏線回収もされていた感じでした。マリのことはもっと知りたかったです。
神木隆之介が大人シンジやっていたのも、私は大人になったシンジを表現出来ていて悪くなかったと思います。
ミサトさん、シンジくんと目を合わせないように、加地さんのこともあって、目を背けたかったのかな、辛かったです。泣きました。艦長ミサトさんめちゃくちゃかっこよかった!
初日は、長年続きを心待ちにしていた方が多かったのか、拍手が沸き起こっていました。
話の流れは上手くできていると思いました。
やはり長すぎて、1回じゃ見逃していたこともあったので、2回以上見た方がいいと思いました。
2回見ましたが、また見に行きます。
エヴァという体験をありがとう
当方、夕方のTV放送から見ていたリアルタイム世代です。こみあげる涙はそのままに観賞後は四半世紀に渡る強烈なエヴァ体験に、関係者やファンの方に感謝したい気持ちでいっぱいになりました。
エヴァというフィルターを通さなければ、物語は至極シンプルで、コミニティでの作法や、人間関係が拗れてしまってコミニティから逸脱してしまった者の復帰や関係修復のひとつの方法を特に前半〜中盤にかけて丁寧に描いているなと感じました。
後半は特に関係が拗れやすい親子間の和解の一例を描いたように受け取りました。和解までに至る道のりはめちゃくちゃですが、解決策はとてもシンプルで清々しさすら感じました。
エヴァという視点から見ればよくもまあこんなにも沢山のしこりを2時間半で鮮やかに回収かつスカッと終わらせたなと一種の爽快感を伴ってエンドロールを迎えられました。
そして涙の後に大爆笑と、過剰すぎるマニアックなサービスの連続に鑑賞中は庵野、やりやがった!の連続でした笑
四半世紀に渡るエヴァというコンテンツは一旦終わりを迎えますが、同時にエヴァという土壌であれば何をしても良いというアップデートを施したようにも感じられました。それは別監督でも実写でも良いし、最先端技術の投入、実験の場でも問題ない強度まで高められた気がします。
ただ、ひとつの映画としては後追いでは追いつけないような体験、場面も散見されるのでその点の評価がどうなるのか気になるところです。
実際、周りの古参は絶賛していますが、新劇場版からのファンはさっぱりと評価が分かれています。
ともあれ長きに渡ってエヴァという体験ができたことは個人的には大変貴重な経験であり、感謝を述べたいと思います。
エヴァ、今までありがとう!
心に残る映画
前回までのストーリーや設定をかなり忘れていたので所々理解出来ない箇所もあったが、丁寧かつ温かいタッチで物語が展開されており、満足した。終劇として終わり方が良く、作者なりの総括も視聴者の満足のいくものになりそうな気がした。そして、その感覚が作者と共有されていて温かい気持ちになれた。そのせいか、驚くような展開は少なかったが、皆が共有できるハッピーエンドにするというのがエヴァ史上最大の難問であり最も求めている事でもあった。これが達成されただけでも観た甲斐があった。
映画で特に印象に残ったのは碇ゲンドウというキャラクターの存在についてだ。彼を通じて完璧な存在は否定される。自らの弱みに向かい合わず、知恵や戦略によって弱さを克服しようとしても弱さは決して浄化されない。それどころか、自分の弱さを認められない弱さにより、完璧で永遠なる存在を渇望し始める。しかし、その願いも結局叶わない。不可能を可能にしようとする事は否定される。現実と同じだ。彼が自分の弱さを認めた瞬間、渇望は消えて、物語は逆転し始める。弱い事実はなくならないが、弱さを認め回避を止める事で、彼の精神を蝕むものはなくなり、弱さは浄化されるのだ。
彼の行動は精神医学的には神経症の表れだと思うが、現実世界を観ても、このような病(もはや病ではなく現代的気質と呼ぶに相応しい気がするが)に侵されている人は非常に多い。彼の気質には現代の精神的傾向が如実に反映されている。そして、彼のとった行動はまさに神経療法的側面からしてみても病を克服する上で正しいものだ。しかし、やはりこのような乗り越え方は感動を伴うものだと感じた。
主人公達が大人になったラストシーンも同じように乗り越えた結果なのだろう。素晴らしい表現シーンだ。
まずは、この映画が放つメッセージを大切にしていきたいと感じた。
衒学として考える考察。そして今の思いはお疲れ様でした。改めて今まで有難うございました。の気持ちです。
前作から早7年。まだかまだかと楽しみに思いながらも“この時が来なければ良いのになぁ…”と思っていた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…どう解釈して良いのか?と上手く言葉に出来ない所が多数と言うのが正直な所ですが、一言で言うと「良かった。面白かった。今まで有難う。」と言う気持ちです♪
旧作から「リビルド」された新劇場版シリーズを含めた全てのエヴァンゲリオンの集大成で完結編。
前作の「Q」が?を幾つ付けたら良いのかと言うくらいに謎と言うか、置いてけぼり感があり過ぎてフラストレーションが溜まりまくりでしたが、今作でそのフラストレーションを払拭しながらも様々な伏線を回収出来たのか?と言うと、個人的には限りなく伏線は回収出来たのではないかなと言うのが感想。
また、今作の為にQを半ば捨て石の様にしたとするならば…庵野監督、恐ろしい子…w
面白いと面白くないで言えば、面白かったし、ベタ的な展開もかなりサービスされていて、集大成で締めに相応しい感じ。
長く観ていると、“こうであって欲しい”“こうでなければいけない”的な理想や願望、考察がそれぞれにあるんですが、それを上手くスカしたり、敢えて飛び込んだりとワクワクポイントが沢山w
セリフのチョイスが今回は色々と面白いんですよね。ニヤニヤしましたw
それでも話はかなり難しいので、過去作を知らない人には付いていけないのはいつもの通りですがw、何処か閉店赤字覚悟の出血大サービス的なのも入れつつ、媚びない姿勢は逆に嬉しかった♪
いろんな思いがあってもなんかスッと洗い流された感じでスッと納得出来た感じ。いろんな事があったけど終わったら激闘の末のノーサイドみたいと言うか。
まぁ振り返ればこの作品って始まりから終わりまで激闘の日々でしたねw
※ここからはネタバレ多数です。
今までの新劇場版を振り返るダイジェストから、2019年7月6日に公開された「0706作戦」と称されたイベントでの「シン・エヴァンゲリオン劇場版 AVANT1 0706版」でスタート。
もう、これだけでテンション上がりまくりw
その後Qの続きとエヴァの世界観の外界的な日常を描かれていて、そこにシンジやアヤナミレイ、アスカが溶け込もうとする姿が微笑ましくもなんか嬉しかった。
中盤からはNERV=碇ゲンドウ、エヴァ第13号機と移行していくが、最終決戦なんて本筋としての王道な展開ながら超難解で観る側の斜め上どころの騒ぎではないぐらいのブッ飛んだ展開と構成はこうなんだろうなあと思いながらも、理解が難しい。
この辺りが「エヴァ」の所以たる所以。
キャラクターもまさかこうなるとはと思うのもあれば、結局この人は何だったの?どうだったの?と言うのもあります。
その辺りは全てを明瞭にしなくても良いし、それをどう解釈してどう理解するがかこの作品の面白い所と解釈。
何よりも圧倒的なスケール感と独創的な世界観に美術的なセンス。もはや宗教と言っても過言では無いぐらいの構築は映画館のスクリーンで観る為の作品かと思います。
話は説明するには難しいのでまさしく「百聞は一見に如かず」なので観てちょうだい!としか言えないし、要所要所での説明は出来ても「では完結編の説明を」と言われても上手く説明出来ない。
過去にブログで書いた引用ではありますが、2004年にNHKの「トップランナー」と言う番組に出演した庵野監督が「エヴァンゲリオンは哲学的と言われるが、実際はそうではなく「衒学的」(げんがくてき)である。衒学とは知識がある事を自慢する事であり、知ったかぶりという言葉が一番近い。エヴァの一見謎に満ちたストーリーも、何か裏がありそうな雰囲気を出すための演出であり、実際に裏は存在しない。」と言うコメントを発していますが、まさしくそうなんですよね。
ネットなんかでは“あそこのシーンはこうだった”“あれはこうだったから、こうなるんだ”とかいろんな議論が展開されているが、当の本人に“そんな裏は無い!”なんて言われたら、ミもフタもないけど、本人が言っているのならそうだろうw
でも、当人の庵野監督も多分自身の掌では収まりきれない程大きくなった作品の落とし所は「正直どうしたら良いのか解らない」と言う時期があったのではないかと思うんですよね。
以前、お仕事で一緒になったエヴァのTV版の演出を担当された方からも“もしかしたら、もうまとめられないかも知れないよ。それぐらい製作者の手を離れすぎてエヴァと言う作品は膨らみ過ぎている”と言う話を聞いたことがあります。
「哲学」ではなく「衒学」。
なんとなくその言葉を思い出し、この衒学と言う言葉がキーワードなのだと感じたりします。
TV版の放送からエヴァは、その難解な展開からか制作スケジュールが押していた事もあり、庵野監督も第拾八話・第拾九話の時点でスケジュールが“行き詰るのが目に見えていた”と語っている。また「あれ(このような物語の終わらせ方)が僕のサービスなんです」とも語っていた。
また2006年6月の雑誌インタビューで、最終2話について、大月俊倫プロデューサーは「エヴァが現在あるのは、あの衝撃的な展開によって皆さんに『なにか違う』『俺ならこうする』とそれぞれ”補完”してもらえたおかげ。僕らにとってあの結末は肩透かしでも消化不良でもなく、長い時間をかけて”永遠に終わらない最終話”になれた唯一無二のクライマックスだと考えています。これが僕たちからの回答ですね」と答えている。
だからこそ、それぞれの答えがあって、納得出来ない部分も多数あるとしても、それはそれで良し。
『:||』の部分は、リピート記号が正式表記でありますがそれですら衒学の遊びにも思えるんですよね。
伏線や余白を残す事で哲学的な要素も含んでいるが、実は衒学で有ったり無かったり…それでも自身のライフワーク的な作品でありながら、何処か他人の手に委ねたいぐらいのワガママに育った作品でそろそろ嫁に出したいのに誰ももらってくれる人がいないみたいなw
でも、立派に送り出せたのではないかなと思います。
ちょっと難点と言うか、気になった点はエンドロールに制作スタッフにガイナックスの文字が見当たらなかった事…(一応チェックしたけど確認出来なかった)
ここ数年のガイナックスの没落と安野監督との関係を知ると仕方無しではありますが、ちょっと気になりました。
これだけ長く付き合った作品になるとは思わなかったし、それでもいろんな思い出が有り過ぎて、それぞれのキャラクターには思い入れが沢山。
今までが不幸な結末が多いので出てくるキャラクターには“出来るだけ幸せな結末であって欲しいなぁ”と思うんですよね。
テレビシリーズから約四半世紀。旧劇場版から23年。
新劇場版の「序」から14年。
最初は住んでいた地域でテレビシリーズの放送がやってなくて、ビデオで後追いで追いかけて見てましたがそれでも解んない所が多数。
全てを理解も出来ないままに旧劇場版を鑑賞しても更にちんぷんかんぷん。正直一時期は嫌いな作品でしたw
その後パチンコでエヴァが出てくるとも思わなかったし、そのエヴァパチが大ヒットして、今も続くシリーズになると思わなかったw
そんなエヴァが再構成で新劇場版で上映させるのなんて青天の霹靂状態。でも正直嬉しかった。
自分の中で長い時間を掛けて咀嚼出来、その栄養素の有り難さが分かった時点でまたエヴァを咀嚼する。この工程がこの作品の意図でもあると解釈し、あえてその流れに乗っかる。それで良いのではないかなと思います。
ラストに近づくにつれ、物語のクライマックスの感動を噛み締めながら、この作品との長い長い付き合いが終わる事に万感の思いが込み上げてきて、涙が込み上げてきました。
今はこの作品をリアルタイムで観れたことが嬉しくて感謝。こんなに作品の余韻に浸れると思わなかったし、それが嬉しい。
また、新しいエヴァが生まれるかもしれないし、そうじゃないのかも知れない。
それならそれで良い。そうなったらそうなったで素直に受け入れようと思う。
そんな感じがするんですよね。
アニメーション映画作品に想いを寄せ過ぎる事は無いんですが、その思いに沿えた事も嬉しい。
今は登場した全てのキャラクターに、作品に関わった全ての人に「お疲れ様でした」「改めて今まで有難うございました」と言う思いで一杯です。
IMAXなんかで再度観てみたい気持ちもありますが、今はゆっくりと余韻に浸りたいと思います。
補足
3月22日の午後7時30分からNHK総合で放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル」を見ました。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の制作の舞台裏を4年間にわたって独占密着した内容で宮崎駿さんが仰られてた「庵野は血を流して映画を作る」の意味が十二分に理解でき、この番組を見て府に落ちたところが多数。
映画を観て理解がしずらかった点や難しかった点が補足や補填されたと言うかなり見応えのある番組でしたが、良く考えると監督の考えや人となりが取材番組で分かると言うのはよくありますが映画作品の理解の補足をされる取材番組ってかなり稀有ですよねw
でも、庵野監督のこの作品にかける執念の様な思いが少しでも知れた事で、やっぱりこの作品と同じ時を過ごせた事が改めて嬉しくなりました♪
追記!
1度の鑑賞で分からなかった部分もいろんな情報が入った上で2回目の鑑賞でなら理解出来る部分も増えるかな?と思い、IMAXでの再上映の情報を聞き、IMAXで再鑑賞しました。
前作では映像の情報を読み取る事にいっぱいいっぱいだったので、今回は割りと理解と把握を出来ました。
やっぱり2回観ないと分かんない事が沢山で、それ以上に再発見やうろ覚えだった事も再認識出来て満足♪
それでもマリの存在と立ち位置は現実とのリンクでの説明はついても、物語の中ではやっぱり説明が難しいw
でも、儀式の様に始まる前の緊張感と万感の想いがこみ上げる感動はやっぱり観て良かった!
でも、何度も観て、その感動を薄れさせたくないなぁ~と言う思いも改めて認識。
この思いだけでお腹一杯なので、当分は観たくないかとw
いろんな意味で「さよなら!そして有難う!!エヴァンゲリオン」な思いを堪能出来ました。
スッキリして終われました
思えばエヴァを初めて観たのは小6の夏休み再放送だったのを覚えています。田舎だったのでアニメが放送される事が少なく、思春期入口年代の男子には色々な意味で面白く、話題の中心でした。ちょうど旧劇場版も公開されていた時期だったので友達とドキドキしながら観に行った事を覚えています。しかし、観終わった時の混乱と虚無感といったらQなんて可愛いもんでしたよ…
当時はオタクの風当たりがキツく、学校で話題にして良いのは週刊漫画系アニメ作品だけでした。しかもネットも無かったので考察を共有化する場も無く自身で受け止める事しか出来ませんでした。だけどその体験のおかげでこの歳まで興味を持ち続けたんだと思います。
全体的な感想は他の方が書かれているので、自分が1番胸を打った所を書かせてもらうと、ゲンドウの葛藤シーンです。TV版・旧劇をリアルタイムで観ていた世代は確かに大人や他人への不満や怖さがあったと思いますが、その人達は月日が経ち、他人を完全に理解は出来ないけど、それなりの落とし所を見つけ、結婚をし、親となっている人がほとんどです。逆に今はゲンドウのように自分の子供が何を考えているか分からなくて悩んでいる人がほとんどでは無いでしょうか。だから、TV版・旧劇で多用されていたシンジの葛藤シーンは無く、逆にゲンドウ=視聴者として描かれ、完璧の象徴だったゲンドウが人間くさく現されています。結局は大人=完璧は幻想で死ぬまで葛藤の連続だということを自覚しろというメッセージだと思いました。
若者が望むキャッチーで衝撃的な展開はありませんが、観た人は必ず納得する事が出来る作品だと思います。
エヴァという名の隙間が埋まって,ここから新しい人生が始まる.
とりあえず,一番感じたのは喪失感.
自身の中にあったエヴァという名の隙間が埋まってしまう喪失感
何を見せられているんだ?という感覚が終始つきまとう.
TV版のようなものを望んでいるわけでも,
旧劇のようなものを望んでいるわけでもないけど,
自分は何を望んでいるのかわからない.
今,見せられているものが,EVAなのか?自分が望んだものなのか?
終劇に向けて進んでいるのか?離れているのか?わからないまま進む.
そう来たか.とか思う気もしない中,20数年前の学生時代がフラッシュバックする.
もしも,学生時代のまま,孤独なオタクのまま,この日を迎えていたら,自分は立ち直れなかったかもしれない.
ゲンドウの独白など聞きたくもないし,それを温かく見守るシンジは全く理解できなかったと思う.そんなクソみたいな理由で世界を巻き込むなと…俺たちを巻き込むなと…
今,一人の父親として,愛する妻がいる夫として,自分が存在しているからこそ,今作ではゲンドウに最も思いを重ねてしまった.強く強くユイを求めるゲンドウが本心を独白することで,これまでやらかしたことが全てしっくりと納得出来てさえしまう.
これまででもゲンドウの行動原理は基本的には追うことができるが,そこから測り知るものと,独白による吐露とは次元が異なる.孤独なオタクが得た一筋の光を修復しようとするのは,あたりまえであり,それが世界の全てだと同じように思える.
昔は,うまく立ち回れない人間性をシンジに投影して,TV版でここにいてもいいんだと納得して,旧劇でそれでも他者との境界を望んで不器用なりに生きていくんだと思った.
シンエヴァの最後では,シンジ君は,すべてのキャラを達観して見送る位置に昇華している.ゲンドウやユイ,カオル君までも,全てを抱擁するまでに達してしまった.アルティメットまどかならぬアルティメットシンジだ.
あの時のように,そのままシンジが自分の投影ではないけれども,すべてを達観してみることができてエヴァの無い世界を再構築する様は,ある意味,成長した自分自身の目線なのかもしれない.
もう世界がどうとか,自分はどう生きるとかではない年頃になった今.エヴァの無い世界でこれから生きていくすべを考える必要がある.
そう考えると,これまでで一番オタクに厳しい終わり方のようにも感じる.
シンエヴァを見て,オタクの世界から振り落とされてしまいそうな感覚が芽生えるかもしれない.おそらく,そこにアイデンティティーを強く持っていると,拒否反応を起こす.オイオイ俺らが知ってる庵野じゃないぞと.小さくまとまってんじゃねーよと.俺たちのエヴァを取り上げないでくれと…
旧劇の時に,シンをやってればよかったのに…という感想もちらほらあるが,そうじゃない.
旧劇を見て,納得して前に進もうと思った心があって,そこから20年の見る側の成長があったからこそ,シンエヴァを受け取ることができたんだと思う.
正直,エヴァは子供に薦められない.ジェネレーションギャップがどうしても付きまとう.受け取り手の費やした人生の有無はとても重い.エンタメとして,一つのアニメとしては十分推薦に値するかもしれないが,自分とは受け取るものは全く異なると思う.
少なくとも,シンエヴァが用意されてしまった今からエヴァに触れる人間と,シンエヴァまでの時間を費やした人間とでは,同じエヴァの文脈を共有できないと思える.
旧劇で納得していた自分は,序を見ていなかったし,新劇場版を見るつもりはなかった.
破に坂本真綾がマリ役で出ることを知って,序を見直して,破を初日に見に行ってここに至る.
まさかマリが,最後まで関わる重要キャラとなるとは思ってもみなかったけど,坂本真綾がいなかったら,ここまでエヴァを追いかけることはなかったかもしれないし,自分の中に,エヴァという名の隙間が存在することを自覚することはなかったかもしれないので,ファンで良かった.
やっぱり坂本真綾は尊いと思える作品に,エヴァがなったことは素直に良かったと思う.
それでもやっぱり伊吹マヤが至高キャラと思えたのは,自分はまだまだ成長していない証なのかもしれない.
エヴァという名の隙間が埋まって,ここから新しい人生が始まる.
さらば、全てのエヴァンゲリオン。
呪縛からの解放
エヴァと出会ったのは中学生。シンジたちとほぼ
同い年の頃だった。難解な世界観や表現の考察にはまり、
以来、熱量にムラはありつつもアニメや漫画から
離れられないまま30代半ば。
前作、エヴァQで語られた「エヴァの呪縛」とは、
自分のような大人になりきれない人間を表していて、
シンジをはじめとするチルドレンたちはその投影
なのだと考えていた。
しかし、今作を見てその考えを改めた。
「エヴァの呪縛」とは、庵野監督をはじめとする
エヴァ制作陣にかけられた「エヴァという作品から
逃れられず、先へ進めない」という呪いであり、
エヴァに乗る使命を持ったチルドレンは、
彼ら自身の投影なのだ。
庵野監督自身の投影であるシンジは、自分の本当の
望みに蓋をしてエヴァに乗り続けてきたチルドレン
達をエヴァから解放し、自分もまたエヴァのない
新しい世界へマリと共に駆け出していく。
マリは庵野監督の妻である安野モヨコ氏の
投影だったのだろう。
思えば、繰り返されるように見えたエヴァの物語は、
新劇場版で新たに加わったマリの登場から少しずつ
軌道を変え、「シン」の結末へと繋がっていった。
劇中でカヲルの語る「縁が君を導くだろう」という
言葉が思い出される。
おそらく、庵野監督にとってモヨコ氏の存在が
エヴァを終わらせる原動力となり、物語をあるべき
終わりへと導くミューズになったのだろう。
映画パンフのコメントからも、妻への感謝が伺える。
メタ的な側面についてのみ長々と書いてしまったが、
今作の素晴らしいところは、こういったメタ的な
部分を含みながらも物語として全く破綻なく、
美しく仕上がっているところにある。
込み入った考察を抜きにして、スピード感のある
ロボットアクションとして見ても、碇親子を中心と
する人間ドラマとして見ても、個人的には文句の
つけようのない最終作だった。
二十余年にわたり追い続けてきて、本当に良かった。
ありがとう。さようなら。エヴァンゲリオン。
ありがとう
思いがジンジン来ました。
理解して考察してってのがもう無粋なような気がして、小5の時にTVアニメのミサトさんのシーンに赤面してテレビ切った事や、まだアニメ=オタクだったので友達誘えなくて1人で見に行ってシンジ君のシーンでうぇってなったり途中でまさかの2部構成に気づいたりして
ヤマトの沖ミサ艦長もかっこよすぎて号泣
まさかのおチビさん!サービス良すぎです。
振り返らず、前へ進むために。
庵野監督以下、エヴァを生み出し、完結してくださった皆様、本当にありがとうございました!
ここに生きる彼ら、彼女らにも(TV版、旧劇場版、新劇場版含めてすべてのエヴァ)苦しくて、辛くて、どうにもできなくて足掻くしかなかったり、何もできなかったり、といった様々な「思い」がありました。
彼ら、彼女らは、彼ら、彼女らなりに精一杯そこで生きていたんです。愛着が生まれないわけがありません。
彼ら、彼女らとの別れは、正直、寂しくて切ない気持ちです。
「さよなら」は、すべてを受け入れて、次へと進む言葉だと、何かの歌に聞いたことがあります。
この世界は広くて面白いです。新しい出会いを求めて、ワクワクしながらあの二人のように飛び出して行こうと思います。失敗したり、辛いことや悲しいことがあるかもしれないけれど、甘んじてお受けするつもりで!笑
と、思いながら、正座をして、そっと心の中で言いました。「今までありがとうございました。さよなら」と。
カヲル君の謎や結末について考察と解説
ざっくりネタバレについて書きます。
・カヲルについて
カワルは『生命の書』にシンジの名前があると言っていました。生命の書は死海文書とは異なりますが、どちらにせよカヲルの発言から読み取るに、その書に記されているシンジの名はQの世界にいたカヲルが書き記したものではありません。(死海文書はゲーム設定ではアダムス、生命の書は謎のまま)
カヲルはこの書によってシンジを知り、そして好意を持ち、幸せにしようと動いていたと思われます。
ここでループ説についてですが、序→破→Q→シン・へと時系列は変わっていません。それと旧アニメや旧劇場版からの作品上で直接の繋がりはありません。
ですが、カヲルの存在によって今までの数ある世界には“エヴァンゲリオン”があり、インパクトが繰り返し起こされていたであろう事は認められるので各作品での世界線については変わっていないとは言い切れません。
今作で、カヲルは何度も自分の『役割』を果たそうとしていた事が語られます。
この『役割』とは“エヴァ世界におけるカヲル”に与えられた役目の事であって、メタフィクションな発言が含まれています。(※追加のメタ表現としてカヲルとの別れのシーンで、新劇のシンジが見ていないはずの旧作でのカヲルとの思い出の場所が映し出されます)
様々な世界があったからカヲルは無数ある棺から世界が変わっては目覚めて、変わっては目覚めてを繰り返してシンジを幸せにしようとしていました。
結果、世界線が違うエヴァの世界は存在していたし、ループしていたかもしれないといえばそうとも言える。あくまでそれは主人公であるシンジがエヴァありきでやり直す事を望んだ世界があったならですが…
私的には作品上の世界ではループは起こってなくて、カヲルだけはループしていた世界から登場してきたという結論です。(カヲルが経験したループ世界の中に旧作のような世界もあった可能性はあり)
シン・エヴァでシンジがカヲルの助けもいらない大人になり、エヴァンゲリオンの無い世界を選んだのでカヲルの役目も終わりました。
・ゲンドウはユイに会えたのか?について。
最後にゲンドウはシンジの中にユイがいた事に気づきました。ですが、気づいたと同時に舞台から降ろされてしまいました。
ユイは破で覚醒により初号機とシンジが同化した時に、シンジの中に入ったと思われます。
結論ですが、ゲンドウはユイと会えていたが最後の瞬間まで存在に気づけなかった。
ゲンドウが裏宇宙でユイを探しましたが会えなかったのは、シンジがアダムスの魂を有し、ゲンドウと同じ存在だった為に生命のコモディティ化?に巻き込まれず、シンジの中に留まっていたからです。
向き合い方が分からず最後まで息子と接触する事を恐れていた為にシンジの中のユイに気づく事ができなかったという悲しい結果です。
最後に気づいた事でゲンドウが報われていたのならいいですけどね、最後の背中がちょい寂しかった。
・シンジがマリと手を取った最後
私としてはレイやアスカやカヲルが一緒の学校、一緒のクラスで楽しく過ごす的なありきたりなエンドがベストでした。マリとは繋がったままレイやアスカとの関係が切れてるのを受け入れてしまうのが正直ツラかったです。
エヴァの無い世界を望んだら、本来エヴァがあってこそ関われた者と『他人』になるのは当然の結果なので、受け入れるしかないんでしょうね。
マリは現実という宇宙でシンジを見つけてくれた大切な存在だろうし、ファーストインパクトが無かったら存在しなかったレイやカヲルが、他人ではあるが人間としてどこかで生きていてくれるだけで良かったと思うようにします。
でも俺、レイが好きだったんだよぉおおおおおおおおおおお!
何でカヲルと一緒におんねん!?どういう関係なんや??似てるって言ってたから兄妹か?恋人ちゃうよなぁ?イケメンと美女でお似合い過ぎやわ。せめてシンジとくっついてえな。オオオオイイイイ泣
おっぴろげ!
今までは秘して花の如く、専門用語や曖昧な表現を散りばめ、ネットやムック本の考察に一喜一憂していたが、今回は違う。
専門用語はあるにせよ、それは飾り。
今までの秘密や曖昧なところをばっさばっさとはっきり明確に、そして具体的に回答を出していく。観客が尾ひれ手ひれをつけてあーでもない、こーでもないと議論していたことが恥ずかしくなるぐらいに。
メインの観客も良い年齢になったでしょう。
人生色々あったし他にやることも一杯あるでしょう。エヴァから卒業してもいいのでは?という監督の声が聞こえてきたように感じた。特に前半部の狙いはこれ。
そのぶん花火大会最後の連続花火の如く
がっつり映画は2時間半。(尺は二の次)
戦闘シーンてんこ盛り。これまでのキャラクター総登場。ファンが待ち望んだベストバウトあり。
もう秘して花はなくなり、後で語り合う楽しみはなくなった。
だけど花火のように見ている間は最高だった!
もうファンして心残りはない。
長年に渡る知的好奇心、スリル、ワクワクをありがとうございました。
I will (NOT) say goodbye
14でエヴァに出会い、旧劇で打ちのめされ
破で希望を見出し、28で完結を迎えることが
できたこと。監督と全てのスタッフに感謝。
心に残ったこと(個人的解釈)
神を殺す=人の世界に進む
槍がなければ実現できない神殺し
そして神が与えた感情(希望or絶望)で
進むのではなく、人間自身の意思で
神(守ってくれるもの)がない世界へ進む。
その決意は美しかった。
好きな人とずっといたい。その気持ちを
抱いた瞬間、黒波と綾波の魂は重なったのではなかろうか。
プラグスーツは白くなったし、魂に刻まれたツバメちゃんの
記憶も、エヴァの綾波に引き継がれていた。
イマジナリーではなく、リアリティで立ち直ったシンジくん
旧劇では他人と向き合うことを選んだ(自分を救った)けど
今回はすでに周りから救われていたから、
周りを救いたいという願いになったのだろうか。
まごころはシンジくんだけではなく
みんなにやっと届いた。大人になったね。
旧劇含め、ずっとユイに会うことが最終目的だったゲンドウ
今作ではユイの存在をシンジに見つけて終わりではなく
母親としてシンジを守りたいユイを見届けることを
補完の中心として望んだ。ユイに会って終わるではなく
シンジをユイと一緒に送り出した。
ゲンドウ、やっと親になれた。
母を持たないから、母の愛という呪縛が
なかったアスカ。旧作のオリジナルから
生まれた式波だから救われた。
シンジに裸を見られてもなんともなかったのに
砂浜で両思いと知った後は赤くなってるの
全てのアスカ派の希望だと思う。
ミサトさん。サービスはもう、ないんだね。
母親としてしてあげられるのはこれだけだった。
じゃあないよ。そのたった一つが
全ての子どもたちを救った。帽子ない方がきれいだよ。
シンジくんとも、健全な別れ方だったし
きっとカジとカヲルくんと農作業をやってるんじゃないかな。
カヲルくん。寂しがり屋で自分も幸せになろうと
してた。超然とした何かではなくて、しっかり心を
もった人間だと知れて、うれしかった。
トウジ、ケンスケ。生きててよかった。
きっと新世界とは別に、ニアサーの縁が繋いだ世界は残って
そこで素敵な家庭を築くはず。
彼らと全てのエヴァンゲリオンにさようならを告げ
僕らはシンジくんとマリさんと
汎用決戦兵器がない世界にやってきた。
エヴァがなくても、幸せになれる。
その掛け声が「行こう」だったのかなあ。
終劇という短すぎる時間じゃ
まとめられないけど、今感じたことは
今にしか書けないので残す。
ああ、終わってしまったんだな!(スッキリ)
さようならは、また会うためのおまじない。
だから、I will (NOT) say goodbye.
アニメ史に名を残す史上最高の傑作
※以下ネタバレ注意
印象としてとてもすっきりまとまっていた。そして何より、キャラクターはもちろん庵野監督のリアルでの25年の成長を描いた集大成としてとても見応えありました。
冒頭のパリ編はとても精巧なCGで戦闘シーンとしてつい見入ってしまった。そこからの第三村の40〜50分は、エヴァシリーズのファイナルとても意義がある。なぜなら、今まで庵野監督は市井の住民については全く描かず、あそこまで村人一人一人にフォーカスしたシーンはなかった。しかし、今までなかったそんな映像を上映時間の5分1くらい割いて何度も反復したことはとても良かった。
さらに、その後のレイのラストの流れも今までの旧作との繋がりをきれいに回収されており文句なかったです。一部の人から「レイいなくなるの早すぎ」と酷評してる人がいますが、そんなことはないです。結局、レイは恋人にはなり得ないし第三者だったという監督のメッセージに気づけていないと思います。
書けばキリがないのでこの辺で終わりますが、とにかく最後の(?)作品として完璧すぎるくらいでした。
ありがとう庵野監督。さよなら、全てのエヴァンゲリオン。
感動と喪失感
初日会社を休んで鑑賞。
多くは語りませんが、
ああ、終わったんだな
と、受け止める自分と、
終わってほしくない自分の感情が混ざって
昨日は複雑な気持ちでいっぱいだった。
アスカ推しの私は
式波アスカがそういう存在だったんだ、
ということにショックも受け。
加持との子供と幸せに過ごせずに
やっぱりシンジを大切に想い続け
最期まで務め上げるミサトに哀しみを持ち。
今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」だけでも
シンジの成長がまざまざと表現されていて
なんだか感慨深い気持ちになり。
いまだに余韻に浸っています。
今回の劇場版4部作での名言は
シン・エヴァンゲリオン劇場版のアスカ
「ここは私が居る場所じゃない。
わたしが守る場所よ。」
これですね。
間違いない。
綾波の
「わたしが守るもの」
ともかかってそうな、
深い、いい言葉。
エヴァンゲリオンは、伝説だった。
けど、
シン・エヴァンゲリオンで、
もうひとつの伝説を作ったように感じた。
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