シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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物足りなさの正体
今回この作品を観るために初めてエヴァンゲリオンという作品に触れました。
TVアニメ版、旧劇場版、新劇場版序、破、Qを観たあとに本作品を鑑賞しました。
観終わった直後は「自分の期待を超えては来なかったな」という感想を持ちました。
決してつまらなかったわけではありませんが、私自身は旧劇場版の方が大きなカタルシスを得られました。
なぜ本作品ではそれほどのカタルシスを得られなかったのか自分なりにモヤモヤとした気持ちを整理してみました。
理由を挙げると、やはりラストシーンでシンジとマリが結ばれた(恋愛感情かどうかはわかりませんが互いに運命を共にしている唯一の存在だと感じました)というのが、綾波やアスカをさしおいてなぜ、と感じたからかもしれません。綾波、アスカと比べるとマリの心中がブラックボックスであることもマリエンドに抵抗があった原因だと思います。綾波やアスカの心中は作中で大いに描写され、特にアスカはその弱さもさらけ出していたので、アスカエンドを願っていた人も多くいると思います。
もう一つ、エヴァンゲリオンという作品を順を追ってみていく上で、碇シンジの葛藤が私にとって大きなものであったんだと再認識しました。本作品では序盤こそ碇シンジが葛藤の中にいる描写があるのですが、TVアニメ版や旧劇場版に比べると、だいぶあっさりした描写だったかなと思います。
以上が、私が本作品に物足りなさを感じた理由です。
ただ、今こうして本作品を振り返ってみると、一つ旧劇場版になかった良かったと思う点が浮かび上がってきました。それはネットなどの感想でも度々言われている「エヴァからの卒業」「大人になる」というキーワードによって表されていると思います。本作品のラストシーンではシンジが大人になっていますが、その世界は「エヴァのいない世界」であると考えられます。シンジは今まで綾波やアスカ、その他大勢の人に助けられ、迷惑をかけていました。ところが最後の最後で、仲間たちを助け、エヴァの呪縛から解き放っていきます。そしてそれは自らがその責任を受け入れてある種の自己犠牲を受け入れる覚悟を持ったということだと思います。
作中でアスカからも「自分のことしか考えていないガキ」と言ったような言葉を吐きかけられているように、シンジはこれまで自分のことしか考えていませんでした。それこそがエヴァンゲリオンという作品におけるシンジの「葛藤」なのですが、本作品でその「葛藤」があっさりしていると感じたのはすなわちシンジが「大人になった」ことに起因しているのかもしれません。
シンジの覚悟による行動ののち、最終的に母親、そしてマリによって救い出されるのですが、シンジの覚悟によって綾波やアスカたちをエヴァから解き放ったことには変わりありません。そしてそのことを知っているのは、その世界ではシンジとマリだけなのです。
そのような見方をすると、ひとまわり大きくなって、声変わりもし、大人の女性に恐れもなく冗談混じりに好意を伝えているシンジの頼もしさこそが、シンジの成長であり、葛藤からの卒業、すなわちエヴァからの卒業であるのかなと思いました。
ゲンドウのエゴ
シンは碇ゲンドウのエゴを描いたストーリー。「ユイの魂ととも消滅」としたら、シンジを呼び寄せた時から描かれたストーリー通りに終わったサクセスストーリーで有る。つまり、エヴァ全てはユイを失い一人で生きることが難しく感じるゲンドウがユイと再び会うための予め描かれていたストーリーで有る。結局はゲンドウもアダムを殲滅しリリス(リリン)の残存を成し遂げた事になる。エヴァンゲリオン、人類補完計画と名を打った自分のエゴを達成する為の作業に過ぎなかった。
鑑賞後部屋掃除したくなる
エヴァをこんなに爽やかな気持ちで観終わることができるなんて意外。ここまで目眩のする長い時間を途中の批判に耐えながら、これ以上広げられないくらい広げた風呂敷を回収して終わらせたことにまず感嘆します。エヴァを観てきた人ならエンドロールの間、自分の人生やら青春やらを振り返り重ねあわせながら感慨深くなると思います。本当に少年が新約聖書の神話になり大人になり物語が終焉し、そして物語が始まりました。美しい最後の曲が余韻で残ります
おとしまえ
とてもじゃないが、1回観ただけでは良し悪しの判断がつきそうにない。
全シリーズ観てはいるものの、記憶は遥か彼方に埋没していて、序から順に一気見した方が良いように思う。
先ずは設定が理解しきれないし、冒頭から暫くは「あー、こんなんだったっけ?」てな具合で、軌道修正にある程度は費やすような気がする。
ただ…これは記憶なのか印象なのか。
本編が始まり物言わぬシンジの第一声に込み上げるものがあり泣いてしまう。
なんで泣いたか分からない。
緒方さんの芝居に泣かされたのかもしれない。
主役だけではなく、声優陣の魂に触れたような台詞が多々あって…物語は朧げに追ってるだけなのに、なぜにこんなに揺さぶられるのか不思議だった。
ドラマパートの感想は、一気見した後に追記するかもしれない。
作画は驚く程の精密さで…まごう事なき大作だ。
一応、本作で長きに渡るエヴァンゲリオンは終幕を迎える。率直に言えば「厨二病からの卒業」って感想ではあったが「主人公の成長」が明確な形で完結する物語とは別に、社会から注目され続けた「エヴァンゲリオンってコンテンツからの脱却とか解放」のようにも感じた。
この感想が、一気に観た後に覆る事を祈りたい。
が、加熱し続けた熱病の特効薬としては、見事な幕引きで、完璧な終息にも感じた。
社会を巻き込んで加熱したエヴァの着地点は、TVシリーズ当初の目論見からは変化をし続けたのではないかと思われる。
無論、元々の結末をよりドラマティックにした結果ともとれるだろう。色々とぶち込んだ変遷の辻褄をなんとか収束させたって印象もあった。
偏に長すぎた時間の弊害なのかもしれない。
TVシリーズの最終話が、原画の状態で放送されていて、当時は様々な憶測が飛んでたのだけれども、それにすら意味を持たせようと果敢に取り組んだようにも感じる。「悪あがき」に取れなくもないが、効果的であり、ほのかに演出意図を想像もできる構成は、作品に対するプライドと意地の成せる業なのかもしれない。
エヴァは複雑なテーマを内包していて、作品がひとり歩きし大きくなり過ぎた感もあって…最早、1人が背負い込むキャパの限界を超えてしまったように思う。
制作者の苦悩はどれほどのモノであったろうか?
1つだけ変わらない事は、声優陣の存在感だ。
ホントにホントに素晴らしい。
ライフワークにも感じるような年月なれど、その紆余曲折がそのままキャラに転化されてるような…それ程に真に迫った声で、そうそうお目にかかれない至福の時間であった。
この場を借りて謝辞を述べたい。
緒方恵美さん、あなたが碇シンジの声をあててくれて僕らは幸せでした。おそらく各国で吹替版が出来、各国の名だたる声優や才能ある声優が碇シンジを演じるのだと思います。だがしかし、あなたを超える人はいないでしょう。出てくるはずがない。
僕らはとても幸せな観客です。
声優陣は皆様、偉業を成し遂げられたのだと考えます。人物達の内面を抉るような台詞が多く、何かを捨てたり振り絞る事も多々あったのではと思います。
それでなくても膨大な年月です。
俳優は歳を重ねても味や深みが出てきたと評されます。ですが、声優にソレは当てはまらず現状維持が命題でもあるのでしょう。どれほど膨大な時間が流れようと作中のキャラが年をとらなければ、その声を出し続けねばなりません。
野沢さんとか化物じみた人もいるのですが、それを維持し続ける作業は想像にも及びません。
よく声優の仕事は「命を吹き込む作業」と揶揄されます。その言葉の本質を今作程に感じた作品はありませんでした。
お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
難しいところも、多々あるけど、それも含めてエヴァ。
IMAX で鑑賞。
圧巻の戦闘シーンと、映像美は流石の一言でした。
懐かしい面々も出てきてくれて、
エヴァを見始めた頃を思い出させてくれました。
先に鑑賞した友人から、
『今まで描かれた作品を良い感じに纏め、終わりにした作品』
と聞いていたこともあり、最後に向かうにつれて、急激に纏められていく感覚に陥って、観てられなくなる。端々に出てくる用語も難しく、脳内にストレスがかかってくる。
が、これもひっくるめて、エヴァという作品であることは、
ファンとしては、お馴染みかと思う。
このモヤモヤと対峙し、色々考えて出てきたことを、友人と語り合う。何度も作品を見ては思考する。そういう経緯を経て、エヴァ作品は、私達に多くのワクワクと気づきを与えてくれた。
本作品で最後となるようだが、ファンの中では、永遠に生き続ける物語なのだろうと感じています。
卒業
私自身、中学生の時に夕方の放送でエヴァンゲリオンにハマりその後最初の劇場版の頃まで夢中になって観ていたアニメでした。その後いつの間にか興味が薄くなりあまり深くは観ていませんでした。
今回エヴァが大好きな知人と最後という事で観ましたが大変感慨深いものがありました。最後に大人になったシンジ君をみて自分もいつの間にか大人になっていたのだなぁと重ねてしまいました。(年齢的にはもちろんとっくに大人なんですが笑)
難解なストーリーはよく理解は出来ません。しかし実際は旧約聖書をモチーフにた話にあまり意味はないのかなと個人的な感想です。
1人の思春期の男の子(観ている我々)がエヴァンゲリオンを卒業して大人になる物語だったのかなぁ。周りの友人達が成長する中、中学生のままだったシンジ君が最後の最後にやっと本当の大人になった姿を見て嬉しさと少しの寂しさを覚えました。
ずっと追いかけていた人、最近初めて観た人、いろんな感じ方があると思いますが私はそう感じました。
シンプルに良かった
エヴァという一つのシリーズがようやく終わりを迎えられた。自分はエヴァQの上映後からすべてを追って見てみたが、自分の印象として、旧劇場版は物語というよりかは芸術作品だった。それに対し、今回は物語としてしっかり終わらせただけでなく、色んな人をエヴァの呪縛から開放させた気がする。ガチな考察組は、様々な伏線からTVシリーズ、旧劇場版とのつながりや、裏の設定の部分までこれから尽きることの無い議論を進めていくのだろうが、一つだけ言いたい。
2号機の中に現れたオリジナルアスカは惣流ではないと個人的には推して行きたい。(異論は認める)
まあ、自分はアヤナミストなので、ポカ波が出てくれただけでもありがたい。
庵野監督、エヴァ制作スタッフの皆様、長い間お疲れさまでした。
ありがとう、全てのエヴァンゲリオン
待った甲斐があったなぁ。しみじみ。
いろんな思いが混みあげて、胸がいっぱいでした。
またアニメ版から、見返そうと思います。
ここに立ち会えたことに感謝しかありません。
25年経っても、相変わらず下半身丸出し
25年前に始まった作品だ。
見る側も何度も体験を積み重ね、同作に影響を受けた作品も数多く生まれている。ギリギリまで見る側の理解を阻害して惹きつける造りは同作ならではの魅力だが、その世界観にもはや新鮮味はない。独特な表現技法も、同作自身が付けてきた手垢にまみれている。
しかしこの作品が最後にぶち込んできたのは、監督自身のまるで衰えない衝動と作家性。私小説的な丸裸のパーソナリティだった。これが極めて鮮烈で衝撃的。
特に『シン・ゴジラ』に明らかなように、この監督は器用で上手い。しかしエヴァンゲリオンという作品においては、常に監督自身のパーソナルな部分を、混沌とした物語に乗せることを重視してきたように思える。
しかし25年も経っているのである。そこで私達は驚かされる。「こいつ、まだこんなに吐き出したいことが残っているのか……」と。そして庵野秀明は知っているのである。自分の下半身を晒すが如くのパーソナリティを作品にする術と、その商品性の高さを。
小学生の農業体験のような人々との触れ合い、自治体のCMのようなだっさい終わり方、マリへの偏愛、ゲンドウとユイのタイタニック、わざとらしいタイトル回収など、本当にこれでいいのか?という点も多い(シャンプーのCMみたいな、マリの海辺のシーンはなんなん?)。ゲンドウの独白だって、ラジオの人生相談にも採用されないほど、凡庸でつまらない悩みだ。
もう途中から「何を見せられてるんだろう」と笑けてくるのである。こんなでかい画面とでかい音で、「オタクおじさんの割礼」を見せられても、こっちはあなたの友達でもなければ、懺悔室の牧師でもない。知ったこっちゃないのである。
しかし、そんな訳の分からない作家性と人間性が迫り来る状況に震えてしまう。監督の剥き出しのパーソナリティに、嬉々として興奮してしまう。他では得難い映画体験だ。
おつかれさまでした!
いつも首を傾げつつ
嫌悪感を抱きつつも
シリーズこれまでのすべてを観た
次こそは観ないと決めていたのに
観てしまった
相変わらずいかれていたし
細かいことはわからないが
今更ながら
共感?手応え的なものを感じた
げんどうさん良かった
戦闘シーンうけた
ラストは笑い泣きしてしまった
皆さん元気そうで何よりでした
やっぱり映像綺麗だったし
世界観すごかった
そしてキャラクター皆よかった
これがなかったら
途中でくじけていたかも
宙吊りの期間が長すぎて
観てきてよかったとまでは断言できないが
諸々、成仏した
こっちで勝手にハードル上げてしまったのに
期待にこたえてくれました
こういったテーマを発掘できる才能
内面と客観を行き来し作品にできる精神力
本作での態度に脱帽しました
大事な扉を開けられてしまったからこそ
的外れな被害妄想を抱いてしまったのかも
号泣しました
変態的な演出も
今となってはお茶目に感じられ
諸々が成仏した結果
物足りなさ?寂しさ?を感じる
疑心暗鬼でない状態で
もう一度、観るかも
何はともあれ
皆さん、ご卒業おめでとうございます
皆さんもどうかお元気でー
ずっといつ終わるねん!って言ってたけどスグにエヴァロスww
これ以上はない最後のエヴァ作品。多くの伏線を回収し大風呂敷を広げた最高の作品もこれでしっかり終わってしまった。シンエヴァンゲリオン=新約聖書・マリ=マリアなのか色んな考察ともとれるが「エヴァンゲリオンはこれで御仕舞いです!」と言われた感じがして寂しくもあり感謝もありなんとも言えない気持ちになります。兎に角、監督お疲れ様でした♪永遠と語り継ぐ作品を残してくれて感謝です!またシンウルトラマンで逢いましょう♪
真希波マキとは何者か?
この映画を見終わって一番に思ったのがこの疑問だった。
なぜ「ポッと出」のマキが最後のヒロインになったのだろうか?最後のシーンは何だったのか?
確かに活躍はした。でもどうも作品の中から浮いていて、重み(生きている感)が無い。
何でも知っていて重要キャラ感は出しているが、深く絡んだりストーリーを引っ張ったりはしない。傍観者....
でありながら、ラストではシンジを呪いから解放(コンテ世界から救出、チョーカーを解除)し、そのシンジに手を引かれて街へ飛び出していく。
唐突過ぎる。なぜだろう?何だろうこれは?
そこでふと思い至った事がある。
マリは「原作付きゲームにおける自分の操作キャラ」では?
主人公を操作するのではなく、その世界にゲストとして呼ばれた存在.....
主人公を、世界を愛し(恋愛感情ではなく)、その世界の全てを知っていて、時に活躍もするがストーリーには絡まず、エンディングまで連れていく存在。
そう考えてみると辻褄が合うと思った。
・マリは原作(TVアニメ)では登場しないキャラクターである。
・いきなり主人公と絡ませるよくあるパターン(パンを咥えて曲がり角で...的な)で登場。
・他から浮いたキャラ。キャラ設定にアンマッチな行動。(鼻歌。バトルは超絶上手い。自傷も軽く受け止める。etc.)
・裏まで設定を知っている、理解できる。(プレイヤーとしてメタ視点で世界を理解しているから)
・各キャラをそれぞれ特別な呼称で呼ぶ(ワンコくん、姫、ゲンドウくん、etc.)
・あれだけの知識、実力がありながらストーリーに驚くほど絡まない。
どれもこれも、ゲームのプレイキャラだとすれば腑に落ちる。
なぜ登場人物の殆どが知らないビーストモードを使える?プレイヤーなら隠しコマンドを知っていてもおかしくない(いざとなればチートも使える)。
戦闘シーンで鼻歌、軽口。ピンチになっても「死」の切迫感が無かったりする。
これらはプレイヤーなら納得できる。
つまり、マリはエヴァ世界を回す為に、外部から導入された装置なのだ。
立ち位置としてはゲンドウ/冬月ともシンジ達とも絡む事ができて、エヴァ世界の中核には絡まず、それでいての全てを知る事ができる存在が必要だった。
だからマキが選ばれた、というかその為に用意された。
(漫画で出てきたマリと映画の中のマリ、同一人物にしてはキャラが違い過ぎる。それはキャラ設定だけ借りた別人(プレイヤー)だから。)
ただ、プレイヤーも神(製作者)の縛りを逃れられない存在。
死にイベントでは絶対勝てない。ストーリーを変える自由は持たされていないから。
死ぬ事もできない("神"にも殺すことが出来ない。世界はプレイヤーの為に作られているから、観客のいない世界は存在できない)。
これでは結局今までと何も変わらない。結果(エヴァの負の無限ループ)を変える事は出来ない。
しかし神(製作者)はマリにもう一つの役割を与えた。それはこの世界を「外から」破壊する事。
作品とメタの狭間にいるキャラを導入する事で、この閉じた世界を抉じ開け、結果をハッピーエンドに書き換える。
作品世界からはみ出した存在であれば、作品世界の呪いから影響を受けない。エヴァの呪縛や作品内の時間経過に影響されない(リアル世界の時間軸にいるから)。
そして著作物に介入もできる!(キャラとしてではなく、メタな存在として)
特撮セットを俯瞰してみる事も。原画に介入する事も。それがリアルな人間ならば。
ラストシーンで作中キャラは電車に乗って行ってしまう。作品は残り続け、走り続ける。
でもゲームは終了し、マリは電車を降りる。
ゲームは終わってしまったけれど、マリの心の中にはその作品が残っている。愛した作品(象徴としてのシンジ)が。
そして、作品はその人の一部(リアル)になって、共に成長しながら、時に手を引いてくれたり背中を押してくれる存在になる。
それがあのラストシーンなのではないだろうか?
そう考えるとラストでシンジと手を繋ぐのは、確かにマキ(=視聴者。作品を見続けてきた我々)以外にあり得ない。
監督はみんなの為のエヴァ、みんなの中にあるそれぞれのエヴァを受け止める事ができる様になった。
そのみんなのエヴァに、みんなの為に落とし前を付けた。
だから分かり易いハッピーエンドなのだろう。(「監督の作品」ならきっとこうはならない)
にわかなので、今までの作品や細かい設定は分からない。間違いは多分にあると思う。
でもこの映画で自分が感じた事は、庵野監督から今までの全ての視聴者への感謝とエール、そして自分自身の成長とエヴァからの卒業の報告なのだと思う。
こんな考察も数多ある「全てのエヴァンゲリオン」の中のたった一つ、自分にとってのエヴァンゲリオン解釈でしか無い。
でもこの映画を見て、初めてレビューを書きたいと思った。
この作品の一部になれた事に、そして同じ様に作られたこの世界の様々なものに感謝を!
ありがとう。再見。
すべて計算されていたのか?
みなさんいろいろ考察されているが、どれもなるほどと思う。TVシリーズをリアルタイムで見ていた者として当時の記憶がよみがえる。あの当時も考察が流行ったな。EVAの面白いのは公式がすべての解説をしないこと、それでいて微妙なバランスで物語が破綻しない。TVシリーズの時はおそらくシンEVAの構想はなかったハズ。改めてすごい作品だと思う。
自分も考察してみる
旧劇場版の最後がずっと謎だった。最後アスカの首を絞めるシーン。旧劇でシンジの魂は救われており、新劇はシンジ以外の魂を救う物語ではないでしょうか?旧劇の最後は新劇「破」の前、やり直し直前ではないか?アスカはEVAの呪縛によりシンジ同様にLCLの中でも自我があり、やり直しの邪魔になったのでは?アスカの存在を首を絞めて殺そうとしたが、できなかった。そのため魂がやり直し世界のLCLの中に取り残された。そこで新劇ではクローンとして登場したのでは?
どうでしょうか
ありがとう。
エヴァTV放送が映らなかった当時、
友人から借りたVHSをテレビデオに
かじりついて観ていた僕も、子どもから、
”Q”わけわからん、カヲルってなにものなん?
と問われる立場になりました。
一人で”シン”を観に行って、
勝手に納得していたので、ニヤニヤしていると、
気持ち悪いと最大の拒絶の言葉を頂き、
落ち込んでいます。
すみません。僕にもわかりません。
わかりませんが、好きって気持ちがあれば、
理解と納得は可能だと信じています。
以下、25年を振り返って、
自分で勝手に解釈して、
ありがとうと納得した”新世紀エヴァンゲリオン”です。
庵野監督、スタッフの皆さん。
楽しい時間を有難うございました。
”シン”によって運命は定められている。
そして”この宇宙”に存在する限り、繰り返される。
”それは定まっている理(ことわり)=円環”。
理=使徒(アダム:力:物質:生命の実)側が
制するのか(せいめいのみ)、
ヒト(リリス:知恵:魂:知恵の実)
側が制するのか(ちえのみ)。
1つの宇宙では
”どちらか一方しか選ばれることはない”=定理。
理の外に出る方法=イマジナリーインパクト
=”シン”による新しい新世界(宇宙)の創造(想像)。
シンジくん
(=わんこくん=DOGこくん=GOD子くん
=神子くん=神児くん=申し子)が、
アイ(アイデンティティ:愛:相:哀:会:I:
eye:逢い:遇い:藍)をシる(オトナになる)ことで、
”シン”になる。
”シン”はその”モロ手”ですべてを掬う
(アイのカタチ=ハート)。
ヒトを滅ぼしたくない矛盾を抱えた使徒:
定理をシり、このムジョウな円環から
エヴァに関わる全ての存在を掬いたい、
赤色の瞳を持つシ者”渚司令”によって
導かれるイマジナリーインパクト。
どこにいても”必ず”迎えに行くからね。
わんこ君。
シンジ君を”必ず”掬う存在として、
姓名の書(脚本)にその名前が刻まれた
ユイと同じアイを持つ真希波マリ。
真理はあなたを自由にする。
0=在るのに無い 観えるのにない
不思議な数字
レイによってシンジ君は愛をシる。
”左目”を失い、”ノロイ”を受けたアスカ。
ノロイを解くのは名前にeyeをもつ男
相田ケンスケ、相田ケンスケです。
2人の子供:リョウジの母であり、
希望を捨てない
優しく明るい笑顔の女性ミサトさん。
彼女が消えることでシンジ君は哀をシる。
最後のシ者存在:赤色の瞳を持つゲンドウ
(父:擬似シン)との会話(会)を経る(得る)ことで、
”オトナになる”ということ:アイを自覚し(自シンを持ち)、
”両シン”からの自立を果たし、
赤の瞳に藍を以て紫にいたり、
その名の通り、”申し子”になったシンジ君は、
”エヴァの世界”を創造した”シン”と
会話が可能となる。=キセキ。
”シン”は全てのエヴァスタッフ、
エヴァが好きなヒト(ファン)の
”エヴァを好きな気持ち=まごころ”で
ある。
シンジ君はエヴァの全キャラクターの
望みを聴く。
エヴァスタッフ、エヴァファンの望みは、
エヴァキャラクターが幸せになってくれることであった為、
エヴァスタッフは、エヴァキャラクターの望みを汲む形で、
新世界創造のシナリオをその両手で描ききり、
全てのエヴァキャラクターを
掬い(ノロイからの解放)、
”最後”にシンジ君をも掬い、
物語を”完結”させた。
また、物語が”完結する”ことで、
エヴァファンも掬われた。
”すべて”を掬っての、
さらば、エヴァンゲリオン。
アシカケ25年。ずっと"好き”でいられる、スゴイ作品でした。
出会えてありがとう。エヴァンゲリオン。
エヴァンゲリオンが1番庵野ワールド全開で最高でした
庵野さんの癖を観ていたような映画
登場人物がそれぞれとても魅力的でアスカさんとマリさんはとても好きでした。コンビでの戦闘もとても良かったです。終わってしまって寂しさがあります。
天才の天才達による凡人の為の作品
アスカさんは本当に天才だなと思いました。
それぞれの最後の時がとても象徴的で様になっていてかっこ良かったです。
こんなご時世だから終わってしまったのかな~。
ラストの宇多田さんの歌はまた最後にエバを強く感じることが出来ました。
エヴァンゲリオン本当にありがとうございました。
いつまでも永遠にファンです!
Ps 年配のお父さんは隣ですやすやと寝ていました。
追記
Paris(エヴァ)と別れることが寂しいことを感じました
エヴァンゲリオンロスになってしまった
これからエバの知識をどんどん補完していって、チャンスがあればまだ劇場でエヴァを観たい😣
パンフレットも買いたい❗
(式波)アスカ・ラングレーをまだまだ追い続けていたい🏃♂️
まだまだエヴァロスになんてなりたくない
勘弁してくれ
レイの様に爆弾持ってでも劇場まで突っ込む感じで観に行きたい
この使徒を殲滅させる
まだ終わっていない
神話となった作品
長期に渡り愛された作品であり、都度ファンから物議を醸した作品が遂に終わりました。
私の予想を覆して、今まで見てきたファンの為に答えを合わせをしてくれたなと思いました。その辺は賛否両論ありそうとは思いますが、庵野監督が次の世代にエヴァを託したのだと感じました。
1番の良かったところは、シンジくんの成長を遂に見れたことです。それに尽きると思います。現実を受け入れず、毎回逃げていたシンジくんが父親と向かい合ったのは感動しました。
また、其々の問題を抱えた人々は成長が見れて良かったです。綾波は人の心持ち、アスカは頼れる人を見つけ、ゲンドウは妻を見つけ、ミサトさんは復讐ではなく守るものの為に戦い、リツコさんは愛を捨てゲンドウを断ち切り、カヲルくんは自身の幸せを見つけました。随所に旧劇場版との決別が描けてていて良かったです。
(マリの存在に関して)
殆ど答え合わせをしたのに、あえて新劇で初参加のマリだけを謎のままに残したのは素晴らしいと思いました。
マリはゲンドウの大学時代のよしみのようなので、実年齢はゲンドウたちと同じでありながら、見た目はチルドレンたちと同じ、つまり唯一大人と子供の間にいる存在です。だから、シンエヴァの重要人物となったのだと思います。
また、大学時代のニックネームから、エヴァの生みの親(神の子の母)であり、補完計画反対派(叛逆者)であったのではと考えています。
ラストの終わりで、マリが突然中心になったのは、全てを知っている存在であったから唯一シンジくんを救える立場であったと思います。
(4本の槍に関して)
映画の途中で槍がロンギヌスとカシウス以外に2本出てきましたが、あれは現実と虚構を表すのかなと勝手に思いました。私だけのイメージではロンギヌスが死、カシウスが生だったので、後半に現実と虚構の話になったのが理解出来なかったので、もう2本の槍がそうなのだと解釈しました。
また、最後の方は虚構から現実になっていくのが強かったので、皮肉を込めて私たちファンを現実に引き戻す意味も込められているのかと思いました。
(エヴァの呪いに関して)
新劇から追加されたエヴァの呪いは、どっち付かずの状態の象徴かと思いました。カヲルくんや綾波は使徒と人間、アスカは子供と大人というように真ん中にいることを指していたのかなと思いました。(マリは色々と狭間にいる存在として扱われてると感じます)
(まとめ)
エヴァは今回で完結となり日本のアニメ界として、永遠に残る作品となりました。この先も語り継がれる物語(神話)になったのだと思います。最高の作品と同じ時代にいれたことを感謝したいと思います。
良い結末だった
最初の綾波の「〇〇って何?」シリーズが可愛かった。それに答える委員長が優しいお母さんみたい。
壮大なプロジェクト。難しいこの話をよく綺麗にまとめたなぁと妙に感心してしまいました。
最後にはみんな幸せな結末になって良かった。ゲンドウも。ユイと会えて一緒に…良かったね。
ラストの曲に合わせた映像に涙が出そうでした。
大人になってからのシーンで、向こう側のホームに綾波とカヲルらしきカップルが…!
あんなにメンタル弱くてコミュニケーションが上手く取れなかったシンジが、普通の男性になっていた。マリとのやり取りが微笑ましかったし、爽やかな晴れ晴れとした終わり。
こんな薄っぺらな感想ですが(笑)
長いけどあっという間。
観て良かったです。
おまけ
作中に監督の奥さん(安野モヨコさん)の「おチビさん」が絵本として登場して、夫婦の作品共演ですね。
ラストの絵コンテ?というのかな?あまりアニメや漫画に詳しくなくて申し訳ない。アニメ映像になる前の鉛筆画のような状態の映像も、遊び心があった。この監督が昔手がけた「彼氏彼女の事情」の漫画をアニメに混ぜていた部分を思い出しました。
全396件中、21~40件目を表示