劇場公開日 2012年11月17日

「ほんとにもうその通りだ」ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 木神さんの映画レビュー(感想・評価)

2.5 ほんとにもうその通りだ

2025年9月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

今回はこれまで見て来たQのレビューで“一番”的を得た感想を引用したい、苛烈ながら当時見た筆者の憤りをパーフェクトに表現していてこれを超える文章は出せない。
    ↓以下引用

私の記憶に間違いが無ければ、以前のスタッフインタビューでは万人に理解しやすくエンタメ色の強い作品を作るという旨の発言があったと思います。
序?破は確かにその通りに、内なる葛藤や人とのコミュニケーションの難しさを描くという「エヴァらしさ」を残しつつもTV版や旧劇場版よりも格段に理解しやすくシンジ君や周囲の人間の弱さや成長を描いた良作でした。

ではQは?と問われれば…
ため息も出ない。あるいは「またやりやがった」と評するのが適当な作品でしょう。

では何がいけないのか?
端的に言えば、説明不足の四文字で事足ります。
前作の破から突然14年の経過、それは良いでしょう。
破のラストでシンジ君が取った行動により世界が危機的状況に、それも破の赤木博士の説明で納得できます。
しかしQでシンジ君が目覚めて以降の展開は不自然極まり全く納得できない。

まずヴンダー内部での描写。
一般乗組員はもちろんの事、葛城ミサト、赤木リツコ、アスカまでもが何一つ説明せずただただシンジ君を敵視しあるいは黙殺するような態度を貫きます。
もちろん説明が無いので視聴者にも情報は入ってきません。

次いでネルフ内部。
ボロボロの施設に一般職員は見当たらずゲンドウ、冬月、綾波、カヲルの四名のみ。
ここではカヲルによって世界の状況をチラ見する事はできますが、具体的な説明はやはり無し。
冬月による説明も綾波が碇ユイのコピーである事を明かすのみで他はスルー。
大半の視聴者はそんな事くらいとうの昔に察しはついているし、今聞きたいのはそこではない。

後は何も知らされないままエヴァに乗り「槍を二本抜けば世界を元通りにできるよ」「でもやっぱりあの槍違うかも」というカヲルの発言に右往左往しながら戦闘して最後には放り出されるという按配です。

全編通して視聴者の情報量と主人公である碇シンジ君との情報量はほぼ同じ。
つまり何も分からないまま何か大事な事を知っている風の人たちの争う姿を見せられ続けるわけです。
当然BGM的にも戦闘シーンの派手さ的にも「ここが盛り上がりどころなんだろうな」という所は分かります。
しかし情報量が少なすぎて何をどうしているのかさっぱり分からず何も共感できません。

旧来のファンの中にはこのような分からない事だらけの状態を素晴らしいと絶賛する方もおられるようですが、私はとてもこんな作品を褒める気にはなれません。

またこのような作品の傾向が不愉快な風潮を広めつつもあります。
ファンの間では周知の事ですが、旧来のコアなファンの間では難解な作品作りに対して様々な考察を繰り返しそれを議論して楽しむという文化がありました。
ただ良くない事にこの考察と議論を好むファンの中には、こうした議論遊びを好まない、あるいはできないファンを「ニワカだ、理解力が足りない」と蔑視する人間も多く見られました。

私は議論遊び自体を否定しようとは思いません。
しかし数値もグラフも製作者による答え合わせも存在しない状況で成されるあらゆる考察は「そんな風にも読み解ける」程度の物であり、ただの予想に過ぎません。
それを自分だけが真理を見抜いたかのように感じて他に唾吐くような態度を取るのは滑稽です。

例えば本作でも好き勝手にバラ撒かれた意味ありげな単語のひとつに「アダムスの器」という物があります。
劇中で散々繰り返されたこの単語ですが、誰か一人でもこの単語にAという事象を取り上げBだからCという万人が理解できる説明をつける事ができるでしょうか?
不可能です。
名詞?を連呼していただけなんですから。
万事こんな感じで進行し分からない物の上に分からない物を重ねるような作品に正しい考察など出来るわけがありません。
それこそ製作者の種明かしでも無い限りは。

木神
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