劇場公開日 2009年4月25日

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「むかしなホラー」サスペリア・テルザ 最後の魔女 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0むかしなホラー

2021年1月17日
PCから投稿

イタリアのホラーの代表格というとダリオアルジェントだが、ダリオアルジェントに、感心したことがない。

サスペリアをリアルタイムではないが、たしか小または中学校のタイミングで見ているが、幼いわたしですら、なんじゃこりゃみたいな印象をもった。記憶がある。

アルジェントといえば、人が、とんでもない方法で死ぬのが見せ場になっていて、血がドバー、目の球がビローン、みたいな描写が、わりと記憶にある。

つねに殺害シーンが凝ったつくりをしており、なんでそれを見せどころにしたいのかが、個人的にはけっこう、わからなかった。
醒めているから、ではなく、残酷耐性があるから、でもない。

基本的に映像作品のなかで人が死ぬばあい、派手にすると、派手になるだけであって、だからどうした感は拭えない。個人的見解だが、アルジェントは園子温に似ている。

ルカグァダニーノ監督がサスペリアを発表したとき、けっこうな人が「やっぱダリオアルジェントのほうが上ですね」みたいなことを言っていて、かなり、驚いた。

何をどう見ようと、人様の勝手だが、グァダニーノ版のサスペリアは、個人的には、アルジェント版とは比べものにならないほど、ブラッシュアップされた重厚な叙事だった。

けっこう著名なライターも、アルジェント版のほうが上とか言っていて、何言っちゃってるんだろう?で、ひとりで盛り上がっていた。

昔から、日本には、ダリオアルジェント好きが多いのでは──と思うことが多かった。
わたしの世代も、わたしの前後の世代も「決して一人で見ないで下さい」のキャッチコピーを知っているが、幼いわたしですらサスペリアがなぜ怖い映画なのか、分らなかった。わたしにとっては日本最初の釣りコピーと言っていい。

いまも、ダリオアルジェントを称揚する輩がけっこういる。人様が、なにをどう見ようとその人様の勝手である。ただ、個人的には、そこに円谷プロの特撮は素晴らしい──みたいな懐古趣味を感じない──ではない。

こんにちでは、恐怖表現が多様化しており、かつてのアルジェントは一定の様式があったにせよ、さいきんのダリオアルジェントには、様式もない。ましてホラーはもっとも進化が激しい前線である。

ちなみにわたしは、ダリオアルジェントが嫌いではない。バーヴァのようにざっくりした、細かいこと気にすんなみたいな山っ気な演出も、一拍遅れのアフレコの英語も、Profondo Rossoでクルリと一回転するダリアニコロディのタバコも好きだ。

ただアルジェントを美学だ美学だと騒いでるひとってのは、個人的には胡散臭く見える──という話。

この映画も、もはやアホらしいほどだが、魔女が地下に王国的なものを築き上げている点においてグァダニーノ版のサスペリアと近親性があった。その魑魅魍魎たちの地下から逃げ出し、マンホールから地上に出て、助かった喜びに唐突に笑って映画は終わる。

恐ろしい体験が笑いになればいいなといまつくづく思う。

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津次郎