至福のとき

劇場公開日:

解説

孤独な少女が周囲の愛情に触れ、生きる希望を取り戻していく様を描いた感動作。監督は「初恋のきた道」のチャン・イーモウ。脚本は文学界で活躍するグイ・ズ。原作は「紅いコーリャン」の原作でも知られるモー・イエンの短編小説。撮影のホウ・ヨン、音楽のサン・パオ、編集のチャイ・ルーらは、「初恋のきた道」に続くスタッフ。出演は「始皇帝暗殺」のチャオ・ベンシャン、新人のドン・ジエ、「上海ルージュ」のフー・ピアオほか。

2002年製作/97分/中国
原題:幸福時光(Happy Times)
配給:20世紀フォックス映画
劇場公開日:2002年11月2日

ストーリー

近代化が進む中国の都市、大連。盲目の少女ウー・イン(ドン・ジエ)は、太った継母(ドン・リーファン)と義弟にいじめられながら生きている。ある日、継母に求婚する中年男チャオ(チャオ・ベンシャン)が現われた。“至福旅館”の経営者だというチャオに、継母はウー・インを按摩として働かせるように頼み込む。しかし本当のチャオは工場をリストラされて失業中。何とか結婚したい彼は嘘を隠し、閉鎖中の工場に按摩室を作り、同僚たちに客のふりをしてもらう。仕事をして稼ぐことで、徐々に明るくなっていくウー・イン。チャオも、彼女に娘のような愛情を抱くようになった。チャオと心優しき仲間たちは、ウー・インのために懸命に芝居を続けようとする。だが、ウー・インは彼らの芝居に気づいていた。そして彼らへの感謝の気持ちをテープに録音して残したウー・インは、父親を捜して一人街を力強く歩いていくのだった。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第10回 ゴールデングローブ賞(1953年)

ノミネート

最優秀作品賞(ドラマ)  
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映画レビュー

3.5もうちょっとで良い作品になったのに

2021年6月30日
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ジョニーデブ

5.0純心

2020年7月11日
PCから投稿

うつくしい盲目の少女。お金もなく身よりもない。

しょうじきなところ、そこにドラマを想像するなら、かのじょが身も心も男に略取される悲劇である。日本映画がもっとも好きなやつだ。

そんな想像をすることが、低俗であるなら、日本の映画監督たちは、ほとんど低俗になってしまう。
かれらは、年端もいかない女性が、男たちの欲望に翻弄され搾取される話を、むしろ好んで描くからだ。
じっさい低俗なのだろう──と個人的に思っている。

つまり、この映画、チャンイーモウの至福のときが見たこともないほど純粋に見えるのは、わたしたちが、いやというほど、日本の退屈なAbused Womanの方法論を見せられてきたからに他ならない。

断言してもいいが、日本映画の鬼才(エアクオート)たちに、盲目の貧しい少女という材料を与えたら、かれらは、ぜったいに少女をいじめる──はずである。
鬼才とは、そういう単細胞を意味する、代替語とみていい。

ひるがえって、この映画がどんなに新鮮に見えたことだろう。
少女をとりまく大人たちは、ひとりとして、ペドフィリアの気配がない。気配がないというより、その病気そのものを知らない。
おとなたちが雁首そろえて、大仰な偽装工作をうち、なんとか少女に生きるしるべを見い出してもらおうとする。──のである。

人のゆがみではなく、人の健全にペーソスを見いだす──その初動の違いと、演出によってもたらされた結果は、すさまじい。あの子を探してや初恋のきた道やこの映画には、わたしたちが忘れていた純粋があった。

どれだけ女性を過酷な目に遭わせてもこれらの映画の衝撃にはかなわない。
いうなれば日本映画とチャンイーモウは北風と太陽の相対にあり、単騎あたりまでの作風は世界的に見ても絶対の牧歌性があった。さながら西のケネスローチ東のチャンイーモウだったが、次第に商業色を濃くしている。とはいえ大作主義の大家となっても演出を失っていないのはさすがだと思う。

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津次郎

3.5温かい嘘と受け入れるその気持ち

2011年2月20日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

泣ける

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としぱぱ

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