劇場公開日 1968年4月6日

「社会を変える人はいつの時代でも、一歩行動に出る!」招かれざる客 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0社会を変える人はいつの時代でも、一歩行動に出る!

2022年6月12日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

この映画は1967年12月12日にリリースされたと。 異人種間の結婚が最高裁を可決したのが1967年6月だと読んだ。 キング牧師やロバート・ケネディが殺されたのが1968年、翌年である。 スタンリークレーマの亡き後、伴侶が、この映画で、ジョン(シドニー・ポアティエ)がタクシーの中でジョーイー(キャサリン・ホートン)にキスをしたが、ハリウッドでは異人種間では初めてだったと。
この映画を鑑賞するのにこういう時代背景が重要になってくると思う。

仲間と『映画ディスカッション』の指定映画(と言っておこう)になってるんだけど、私は高校生の頃、大正13年生まれの父親にコタツに一緒に座らせられて、この映画を見ている。そして、人権(多分?)についての会話を父としている。他界している父を悪く言いたくないが、マット(スペンサー・トレーシー)と同様に矛盾も抱えていた。この矛盾が映画でもわかるように、カルフォルニア州サンフランシスコでリベラルと言われる新聞出版社の革命的存在であるマットが『自分の子供のこと』となると、反旗をひるがしてしまうが、彼も若い時、妻を愛していた気持ちと同様に娘もジョンを愛しているんだとジョンの母親(ビア・リチャーズ)から気づきを与えられ、気持ちが変わっていく。マットの机の上を見れば、一目瞭然であるがフランクリン・ルーズベルト(FDR)大統領の写真と家族の写真が飾ってある。 賛否両論はあるがひとまずFDRは民主党、リベラルの旗頭で、マットはきっと尊敬しているから、写真を飾っておくのだろうとおもう。 それに、カトリックの神父が友達であるように、無宗教で宗教にこだわりなく、友達を作れる。着物を着た給仕がいるバーでのジョーイー(キャサリン・ホートン)の友達の発言でもわかるように、彼は本物のリベラルなのだ。サンフランシスコに、人種の交わり、堂々と問題点を黒人が指摘できる(例えば、メルズ・ダイナーで車を事故を起こしたシーン)ような息吹を与えたのもジャーナリスト、革新的な存在のマットが一役かっているのではないかと思われる。

娘、ジョーイー(キャサリン・ホートン)は父親マット(スペンサー・トレイシー)の影響力下でリベラルに育てられたように、私も大正生まれのリベラルな父親に育てられ、すでに、5年生の頃、差別が問題であることを知った。その後も何度かこの映画を鑑賞する機会があったが、当時の歴史的背景を学んだことで、この映画鑑賞に厚みが出てきたと思っている。

スタンリークレーマー監督ほど、この当時、センセーショナルな監督はいなかったのに違いない。それに、当時のハリウッドのコロンビアとスタンリークレーマの関係を理解すると『なるほど』こうしなければ、この映画は撮れなかったのかと思った。

下記はシドニーの自叙伝をよんでその記憶を意訳したもの。

クレーマー監督は『手錠のままの脱獄』(The Defiant Ones (1958))でシドニーを既に使っている。監督は『招かれざる客』は『必要な映画だ』と言っている。そして、アメリカハリウッド映画業界はこういう話の映画の準備はできていないが、そうであっても作ると言っていた。
『招かれざる客』Guess Who's Coming to Dinner (1967) をシドニーの見解から述べている自叙伝によると(時々誤解して理解しているかもしれない)、監督はスペンサー・レイシーとキャサリン・ヘップバーンとシドニーで映画制作のを許可をコロンビアからもらった。撮影が始まって、コロンビア側は内容を聞いてきた。監督は『家族の話で、暖かく、人間性のあるもの』だと答えた。 その後、コロンビアは 脚本を読みたいと言ってきた。そして、読んで、『危険すぎる!』 と答えた。

(これは私の考えだが、スペンサー・レイシーとキャサリン・ヘップバーンは当時大物だったし、コロンビアは彼らの映画は金になると思ったと思うし、また、既に名作を作っているスタンリークレーマーが監督だから内容を聞かず最初に了解をしたと想像する。)

そして、当時、ストーリーは『We don't usually do that!』と。『いくらリベラルな白人でも、黒人が白人の家に食事に来るということはなかった』と言う意味でもある。それに、またいくらリベラルでも、黒人が国際的な医者のステータスでもこの二人のような異人種の結婚に賛同しないと言う意味でもある。ポール・ニューマンが食事にきて、娘との結婚を許可してもらうというよくありそうな話は、全くストーリーにならない。

映画界の大物、スペンサー・レイシーとキャサリン・ヘップバーンたちは当時ハリウッドに住んでいたが、ハリウッドに住んでいても、一度も、黒人を招いて食事をしたことはなかったろうとシドニーは言ってる。この映画のシーンで、母クリスティ(キャサリン・ヘップバーン)が豪邸である自宅に戻ったとき、シドニーを見て、『開いた口が塞がらない』ような驚きを示すが、シドニー曰く、現実問題、初めて、シドニーがキャサリン・ヘップバーンの自宅を訪れたときのキャサリン・ヘップバーン態度は全く同じだったと。その後の態度を見ても、キャサリン・ヘップバーンがこういう状態に慣れていないのがわかった。

上記はあくまでも私の意訳だが、
当時、こういう現実を踏まえた状態で映画が制作されたのだった。当時に戻って考えるのは難しいが、シドニーの自叙伝の一部が現実味を与えてくれる。

かなり書いてしまったが、映画の内容にちょっと触れたい。
強烈なのはジョン(シドニー)と父親(ロイ・グレン)との会話だ。父親は父親、彼の苦労話をジョンは尊敬し、否定はしないが、父親は自分を『黒人』として考えて生きている。息子のジョンとの違いは少なくても30年はあるようだが、ジョンはすでに、自分を『一人の人間』として考えている。そのご、60年以上経った私たちも『黄色人種の日本人』としてではなく、『人間』としてもっと自分の人権を尊重するべきだと思った。
神父(セシル・ケラウェイ)の当時の寛大な発言や家族をいたわる心には頭が下がる。

映画の中のマットと同様に、クレーマー監督はイニシアチブをとって、アメリカ社会を変えた。

Socialjustice