「サントラの記憶」プリティ・イン・ピンク 恋人たちの街角 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5サントラの記憶

2020年7月11日
PCから投稿

むかし、フットルース(1984)のサントラを買って以来、サントラというものはやたら魅力的に感じられる外面に反して、じっさいにはさほど聴かないものだと知ったにもかかわらず、映画を見て衝動的にサントラを買ってしまうことがあった。

もっとも思い出深いサントラはこの映画である。OMDのIf you leaveが収録されている。イントロに今でもキュンキュンする。が、それは世代共通のサントラ原体験でもあった。
wikiに『2012年、米国の音楽サイトSpinnerが発表した、「映画サウンドトラックベスト15」の一つに選ばれた。』とあった。

会社のセミナーでPDCAが何なのか毎回忘れるわたしもOMDはスラスラ言える。もっとも好きだった曲はEcho & the BunnymenのBring on the dancing horses。かれらはエコバニと略称されていた。
他にもニューオーダーにスミスにサイケデリックファーズに──個人的に、どストライクなサントラだった。

ジョンヒューズも噛んでいるアメリカ映画でありながらサントラは英国圧勢。すなわちこのサントラの高評価因子は、ブリティッシュインヴェイジョンの風合いと玄人受けするアーチストにあった。
厨二な洋楽信仰者の自尊心をくすぐるサントラだったと言える。
わたしは完全に厨二な洋楽信仰者だった。

時代を経て範囲を拡げて見ると、結局わたしもミーハーだった。
が、しかし当時わたしの周りで洋楽を聴く人はスプリングスティーンなんかを聴いていた。外見から入ってくる人はリックスプリングフィールドだのローラブラニガンだのを聴いていた。プリンスは気持ち悪いとされていて、ボウイと言えば必ず勘違いされマリオネットを鼻歌された。

ゆえにオルタナティヴなロックへの傾倒は誰かと共有できる嗜好ではなかった。イアンマッカロクかロバートスミスかハワードジョーンズあたりを想定した髪型も学校では「お!藤井フミヤ」とか言われてしまうのである。わたしは誰とも重複しない音楽を求めてさまよっていた、つもりだった。そんなじぶんが潔いと思えるほど若かった。

ジョンヒューズは脚本と製作に回っている。
だから、この映画には山椒のぴりりとした辛みがない。
軽調な学園ロマンスになっている。
だが、それはそれである。

当時モリーリングウォルドはグルーピーを形成するほど人気があり、彼女のひらひらしたファッションを真似る女子をリングレッツと呼んだ。
想像できるだろうか。
多くの同世代にとってこの映画は青春そのものだった。

わたしはジョンカーニーのSING STREET(2015)を映画館で見てしまったことをいまだに後悔している。おっさんの目は真っ赤。さてどうやって職質に遭わずに帰ろうかと本気で困った。

わたしが買ったフットルースやプリティインピンクのサントラは塩化ビニール製だった。コンパクトディスクへの過渡期にあり、ミュージックマガジンが「CDで聴くビートルズ」を特集していたような時代だった。それから30年経ちオンガクの再生環境は激変し今やアルバムやサントラといった単位でオンガクを聴くことがない。だいたいメディアをプレーヤーにセットしたのがいつだったか、もう思い出せない。

わたしはもうオンガクを探さない。西新宿をさまよわず、ミュージックマガジンもロッキングオンも小林克也もピーターバラカンも忘れ、アンプのセレクター『MC』が何を意味しているのか、スピーカーの下に敷いた十円玉が何の目的だったか、メディア店に数多並ぶメディアが誰の購入を期待しているのか、どこかで人知れず鳴り続けるオンガクが何を伝えるのか、誰が何を聴いているのか、ぜんぜん気にならない。

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津次郎