ニジンスキー

劇場公開日:

解説

自らを“神の子”と呼んだ不世出の天才バレエ・ダンサー、ニジンスキーが、彼を育て熱愛したロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフとの確執の末に破滅する姿を描く。製作はロス監督夫人のノラ・ケイとスタンリー・オトゥール、製作総指揮は“007”シリーズのハリー・サルツマン、監督は「わたしは女優志願」のハーバート・ロス。脚本はヒュー・ホイーラー、撮影はダグラス・スローカム、音楽はジョン・ランチベリーが担当した。出演はニジンスキー役にアメリカン・バレエ・シアターのジョルジュ・デ・ラ・ペーニャを抜擢したほか、アラン・ベイツ、レスリー・ブラウン、アラン・バデルなど。

1979年製作/イギリス
原題:Nijinsky
配給:パラマウント=CIC
劇場公開日:1982年10月1日

ストーリー

薄暗く冷たい牢獄のような病室の隅に、一人の青年が放心したようにうずくまっている。ワスラフ・ニジンスキー(ジョルジュ・デ・ラ・ぺーニャ)。ロシアが生んだ今世紀最大の天才バレエ・ダンサーである。自らの肉体と魂を通して神ヘの飛翔を踊り続けた“神の子”ニジンスキーは、今、なぜ、この暗闇の中で孤独の狂気をみつめなければならなかったのか……。1912年2月、ブタペスト。ロシア・バレエ団の主宰者セルゲイ・ディアギレフ(アラン・ベイツ)が、パリから病床に伏しているニジンスキーの許に帰って来た。この大柄な肉感的な中年の男は、1872年にロシアの貴族の家に生まれ、あらゆる芸術を愛し、そして美しい少年を愛するディレッタントであつた。二人は久しぶりの再会でお互いの“愛”を確かめあう。パリ公演を前にしてレッスンが始まったが、そのニジンスキーに熱い視線をそそぐ若い娘がいた。ロモラ・デ・プルスキー(レスリー・ブラウン)だ。5月、パリのシュトレ座。ニジンスキー自ら振付けした「牧神の午後」が初演された。彼の革新的な振付けと踊りに観客は酔ったが、幕切れの寸前に思いがけないことが起こった。牧神との魂の合体に陶酔した彼は、ニンフの残していったヴェールの上で自慰を行なったのだ。観客たちはショックのあまり罵声を浴びせる。6月、二人はスイスに住む作曲家イゴール・ストラビンスキー(ロナルド・ピックアップ)を訪ね、彼の新曲「春の祭典」の振付けをニジンスキーが担当することを決めた。1913年、ロモラは念願通り、バレエ団の団員となり、ニジンスキーと一緒にレッスンすることもあった。5月、パリのシャンゼリゼ劇場での「春の祭典」の初演は、あまりにも前衛的すぎるために全くの不評に終った。7月、次作「ヨゼフの物語」の主人公が15歳という若さのためニジンスキーがはずされることになった。しかも振付けも以前、二人と対立して退団したミハイル・フォーキン(ジェレミー・アイアンズ)に決まったのだ。ディアギレフが同行しない南米公演へ向けての船中でこの報を聞いたニジンスキーは、ショックのあまり錯乱状態に陥り、そんな彼をなぐさめるロモラに衝動的な異性ヘの欲望を感じた。ブエノスアイレスに着いたニジンスキーとロモラは結婚式を挙げた。このニュースを聞いたディアギレフは激怒し、バレエ団とニジンスキーの関係を絶つという電文を打った。ニジンスキーの精神錯乱は決定的になった。ロモラの必死の懇願にもディアギレフは耳を貸そうとしなかった。彼女は自分の手でニジンスキーの一生の面倒をみる決心をする。ニジンスキーはその後33年間精神病院を転々とし、1950年、ロンドンで60歳の生涯を終え、ロモラは彼の看病に全人生を捧げた。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.0伝説のダンサー ニジンスキーの波乱に満ちた半生を描き切れず

2020年11月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

バレエ界の伝説のダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーを主人公にした伝記映画。監督は、自身もダンサー出身の「チップス先生さようなら」「愛と喝采の日々」「グッバイガール」のハーバート・ロスが手掛け、ケン・ラッセルとルドルフ・ヌレエフで果たせなかった企画を、新人ジョルジュ・デ・ラ・ペーニャ登用で完成させる。見所は20世紀初頭を舞台としたバレエシーンで、どれもが見事に再現されて撮影もいい。ただ、その素晴らしさが肝心のドラマにはない。ロシアバレエ団の巨人セルゲイ・ディアギレフとの愛憎と葛藤が描き切れないとニジンスキーの本質に辿り着けないと思われるが、アラン・ベイツは良いとしてデ・ラ・ペーニャには荷が重すぎた。同じくレスリー・ブラウンも個性が弱い。救いは、ジェレミー・アイアンズとカルラ・フラッチふたりの存在感。

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Gustav
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