劇場公開日 1961年11月17日

「珠玉の恋愛文学」草原の輝き きりんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0珠玉の恋愛文学

2022年2月7日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

わが娘に会いに行ってきた。
「失恋した」とのことだったので。

クラッシックな文学作品なのだが、その古臭さがこんなにも今の世に清々しいのだ。

時代なのだろう、
過干渉の親のもとで育ったバッドとディーニー。
若さゆえの激情とモラルの間で苦悩する二人なのだが、そのような息子と娘を持つ二組の親たちの“子育ての物語”でもある。

・良妻賢母の自己抑制と、代々の臍(へそ)の緒のつながりに価値を求めて娘にすがり付く女親たちと、
・良かれと信じ込み、自らのポリシーと支配の轍を息子にたどらせようとする単純脳の男親と。
そしてもうひとり
・そんな親子たちの有り様まを冷ややかに眺める“脱落者”=金髪のジェニーと・・

急転直下、
会社が破産し、子供たちが“破局”に向かってしまって初めて、親たち自身が、自らもその親たちから受け継いできた「人生のレール」を客観的に言葉に出来て自覚をする。そのシーンが良い。

精神科医との対話で「自分の親も他の人たちと同じ人間だったのだ!」と初めて目からウロコが落ちるディーニーの「気付き」がとても良い。

そして「恐怖は直視出来れば消えるのだ」とドクターに背中を押されてかつての恋人バッドに会いに行くディーニーの勇気が、この映画のクライマックスだろう。

「両親からの自立」と「失恋」という痛手。そこに加えて「運命」と「世の掟」。これらの激震を同時に経験して、傷つきながら成長して大人になっていく若者たちの再生に、応援の思いを送らずにいられようか。

今の世から見れば、禁欲と失恋であそこまでメンヘラになってしまう二人は、ある意味すごい。現代は男女関係も薄っぺらで大量消費の時代になってしまったから。

ワーズワースの詩は
古風かもしれないが、いまだ古風に生きる人たちのためにそっと寄り添ってくれる。
それは、還らない初恋の日の痛みをば、枯れてしまった思い出としてではなく「輝ける力の記憶」として謳ってくれている。
実に清々しいエンディングだった。

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わが娘に会ったりすると、僕にとって自分の結婚と離婚とは何だったのかと、殊更に思い起こしてしまうものだから
この映画のナイーブさは胸に迫るものがあったね。

バッドのあの我慢、うまいよなぁ。
男性諸氏なら体がバラバラになりそうで、どれほどに辛いか解るだろう(笑)
余談かもしれないが、僕は結婚までは彼女に触れないと決めて、5年の婚約期間を耐えたもんで。
―「禁欲で死んだ人間はいない」と有名な哲学書に書いてあったし、
―「デート前には忘れず一発抜いていけ」と友人は励ましてくれた。

バッドは“自瀆”はしていなかったのだろうかなぁ。可哀想に。

かたや農夫に。
かたや医者夫人に。
バットとディーニー。寂しげだが愛しいではないか。
いじらしくも切ない別れだった。

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草原の輝き Splendor in the Grass
ウイリアム・ワーズワース
『霊魂不滅のうた』(Ode: Intimations of Immortality)の一節

さらば唄え、小鳥よ、歓喜の歌を、
鼓の調べにつれて子羊をして躍らしめよ。
われらも心において汝らの群れに加わらん。

笛吹くものよ、戯るるものよ、
今日、5月のよろこびを
全心に感ずるものよ、
『かつて輝やかしかりしもの、
今やわが眼より永えに消えうせたりとも、
はた、草には光輝、花には栄光ある時代を取り返すこと能わずとも何かせん。
われらは悲しまず、寧ろ、
後に残れるものに力を見出さん。』

【他訳】
「あの草原の輝き 」
花園の饗宴 呼び戻すすべなき。
されど悲しみその後に強きもの残すを知るなり

【黒柳徹子訳】
『草原の輝き 花々が咲き乱れて素晴らしい光景、もうそれらを見ることができなくなっても、あなたは嘆くことはないのです。
すでに、あなたは、人生の奥深くを分かって、前に進んでいるのだから』(本人のインスタより)

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きりん