劇場公開日 1995年10月21日

怪物の花嫁のレビュー・感想・評価

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1.5嘘偽りない「エド・ウッド」のドキュメント

2023年2月24日
iPhoneアプリから投稿

何かありそうで何もない、面白くなりそうでちっとも面白くならないこの感じ、まさに全盛期のエド・ウッド映画だ。

山中の実験施設に住まう怪しげな老博士もチベットから連れてこられたという唖の巨漢も湖を統べるタコ型の怪物も、キャラクターとしては文句なく際立っているのに、それらの交差地点に紡ぎ出される物語はほとんど脈絡を欠いていて受け手を寄せ付けない。そもそもトピックが多すぎて、何を、あるいはどこを見るべきなのか見定まらない。あっちこっちに散開した諸系列は合流を果たすことなく不完全燃焼に終わる。ワニと戦うくだりなんかは本当に意味不明だった。しかもそこにルチオ・フルチの『サンゲリア』におけるゾンビvsサメの唐突なデスマッチ描写のような露悪的な攪乱の意図はない。エド・ウッドは至極真剣に、それを物語的必然であるという確信のもとでワニを登場させている。そのあまりの真剣ぶりに思わず一瞬たじろいでしまう。いつも通りの鑑賞のモードでは目の当たりにすることのできない何かが実はそこに顕現しているのではないか、という反省にも似た予感が頭をよぎる。もちろんそんなことはなく、むしろ丹念に見入れば見入るほど無数の粗が見えてくるのだが、一瞬でも受け手にそう思わせた時点で、フィクションとしては大成功なんじゃないかと思う。

作品の出来という点に関して言えば、この程度の映画なら世の中にごまんと転がっている。それこそビデオやDVDにすらならないような、アマゾンプライムの最下層に堆積しているような映画というのはどれも等しくつまらない。ゆえに作品の不出来を力点にエド・ウッド映画を評価する傾向を私は支持しない。重要なのは、エド・ウッドという監督の、映画に対するひたむきな情熱だ。

確かにこの映画は確かに出来が悪いし面白くもないが、エド・ウッドはそう思っていない。自分の創り上げた虚構の強度を心の底から信じている。何であれ強い確信に基づいた作品というのは人を惹きつける。ましてや技巧や自己弁護といった中間物が一切ない彼の映画は、それ自体が彼の存在の嘘偽りないドキュメントとして燦然と光彩を放っている。無数の「駄作」の墓場から、なぜ彼の映画だけが掘り起こされたのか。その理由は、おそらくここにある。

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