ジョゼと虎と魚たち(2003)のレビュー・感想・評価
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悪くはないけど未来があるアニメ版のほうが好き
アニメ版を先に見て、その批評を先に読んでいたため、もっと身障者のことを掘り下げてドロドロと描いている映画かと思ったら、そんなことはなかった。身障者が云々ということにこだわって観るのでなく、「たまたま好きになった相手が身障者だった、その出会いと別れを描いた作品」という観方のほうがしっくりくる。
僕が別れた理由は、だいたい100個くらいあって、1つめは・・・
音楽担当「くるり」のわりに、
非常にBGMが少ない。
その分、ラストの「ハイウェイ」が
グッとグググっと響いた。
すごい。
恒夫はだれにでも優しく、
面白く、好かれる人。
弟もそんな感じ。
だれにでも優しい人って、
誰かには冷たい人。
ジョゼは強く、
自分に正直な人。
じぶんに正直な人って
誰かを傷つける人。
もう一度
2人の気持ちが
混じり合うことがあれば、
こんどはきっとうまくいく。
だって、別れる理由なんて
何ひとつなかったんだから。
『僕には旅に出る理由なんて何ひとつない
手を離してみようぜ
つめたい花がこぼれ落ちそうさ』
哭く
おいおいと哭くラストが印象的である。果たせなかった悔悟と解き放たれた不安か。男の恋愛心が話の軸になり、妻夫木聡の表情にでる不足と充足の変化の機微に目がいく。水族館閉鎖の後の重たい疲れ感、サービスエリアで何気に将来を約し、その保証のなさに確かめるように縋り付く姿。犬のようでもある。
ジョゼを演じる池脇千鶴は、やはり自我が崩れず周囲に安定をもたらす。むしろ男の方が不安定で振り回されている。障がい者像を覆す演出は特筆すべきもの。助けを求めて縋るのではなく、心を埋めることを求めて男を欲する。そして、ふたりの関係を悟り、自ら決裁する。貝殻のベッドにあって、回る魚のイルミネーションが身体に映り込むシーンが美しい。
新井浩文のキャラは、天涯孤独との縁を切る要素となり、ジョゼの自立性を高めている。あまりの無茶苦茶に苦笑い。初々しい上野樹里はジーンズがよく似合う。張り手の応酬に背を向ける少女との構図が楽しい。そして、冒頭から圧巻の婆役の新屋英子。この舞台設定を一目で表現する。
お前、何様や思とんのや。お前は壊れもんや
映画「ジョゼと虎と魚たち(2003)」(犬童一心監督)から。
作家・田辺聖子さんの短編小説の中に書かれている原作も読み、
映画のアニメ作品も観ての感想は、この作品が、一番よかった。
20年ほど前に公開されたけど、今なら「差別表現」で、
ネット上では大炎上してしまうのでは?と思うほどだった。
「足が不自由」というだけの障がいなのに、
世の中と隔離される、本人も仕方ないと諦めるなどなど、
これが少し前までの現状として、私は再認識させられた。
昼間、車椅子で出かけただけで、
「お前、何様や思とんのや。お前は壊れもんや、
壊れもんには壊れもんの分ゆうもんがあるやろ。
世間様に何の役にも立てんのに、
いっちょ前に遊んどるやないがな。バチ、あたるぜ」と、
祖母から叱咤される。
さらに、障がい者自身が生活環境を「深い深い海の底」に例え、
「そこには、光も音もなくて、風も吹かへんし雨も降らへんで、
シーンと静かやねん」と表現した。
「寂しいじゃん」と感想を口にした健常者に対し、
「別に寂しくはない。初めからなんにもないねんもん。
ただゆっくりゆっくり時間が過ぎていくだけや」と付け加えた。
そして「いつか、あんたがおらんようになったら、
迷子の貝殻みたいに独りぼっちで、
海の底をコロコロ転がり続けることになるんやろ。
でもまぁそれもまた良しや」と続けるシーン。
正直、胸が締め付けられるようで、泣けた・・。
「東京2020パラリンピック」で感動した人、必見!!。
キスシーン長め
3人の女とのラブシーン、かなり生々しくて子供とは観てはならない映画。
主人公がなぜジョゼに惹かれたのか?現状から救い出したかったのだろうか?案外あっさり別れた割には引きずっているようだったし。何より一度振られた樹里さん、元サヤに戻るのが信じられなかった。真っ暗な海底から地上に出られた事は恋愛がキッカケだったと思う。それは非常に良かった。
ハイウェイ
ジョゼに障害があったから、恒夫は逃げた。
そういう風に観た当時は思っていました。
死んだり、ハッピーエンドだったりするような
奇を衒った映画ではなく、リアルだよね。逃げちゃうんだもん。
なんて風に語ったりしていました。
だけど、最近思うのは障害は関係なくって
男と女、恋愛というもの自体が何かのきっかけで簡単に
脆く崩れ去ってしまうんだってこと。
ジョゼが台所の椅子から飛び降りたときの
ドンって音が、ジョゼの話し方が、ジョゼの家のご飯が、
とても好きです。
覚悟して別れて未来に立ち向かうジョゼ
アンハッピーだという人もいますがコレもある種のハッピーエンドでしょう。恒夫が逃げたことによって2人は別れたように見えますが、実写版の方もジョゼの方から身を引いたようには考えられないでしょうか。確かに恒夫は弟の言うようにビビってしまい、前の彼女と出会ったことで安直の方へ逃げたと思います。ナレーションでも自分から逃げたと言ってますね。でも「逃げた」であって嫌いになった訳でなく、別れの際にジョゼがアッサリと見送ってくれたことでジョゼの愛情を知り、又自分の不甲斐なさで咽び泣いたと思うんです。
ジョゼはきっと恒夫とは別れたくなかった(祖母が亡くなった後、恒夫が訪ねて行ったときの取り乱しかたを思い出してください)けど恒夫のことを思って、出ていく時は冷静な風に見せてたんだと思います。
だからアニメ版も実写版もジョゼの方から身を引いた(引こうとした)のは同じで、アニメ版では恒夫がジョゼから逃げなかったことで素敵なハッピーエンドになり、この実写版はジョゼの自立ということで、ジョゼのハッピーエンドになったと考えられます。
しごく自分勝手な感想(ネタバレあり)
2003年の作品ということで、結構昔の作品。
ここのレビューをいくつか拝見して思ったのは、これは差別とか関係なく純粋なラブストーリーだという感想を見かけたけど、やはりこの作品の1番コアな部分はそこだと思う。
つねおが実家まであと少しというところでひよったシーンもそうだけど、なにより、
ジョゼが、自分はこわれものであるということに反論もできず、ひとりで生きていくことに大変な不安を抱えて、つねおにずっとそばにいて欲しいと涙で訴えながらも、結婚?あほかと、あり得ないと言い、最後は自分から身を引くような感じであっさりとつねおを送り出していくシーンは、とても胸が苦しくなった。
いまどきはバリアフリーとかいろんな議論もされてるし、障がい者雇用も進み、差別的な発言や偏見もだいぶ減ってきていると思う。
これからの時代は、障がい者本人が、自ら距離を取ったりせず、もっと周りと対等に接し普通に恋愛し、失恋して、大人になり、自立することがテーマになってきていると思う。
つねおは結局ジョゼを捨てて、その足で元カノの元へ帰ってしまう。自分勝手だという人もいると思う。だけど、それが普通の青春じゃないだろうか。
最後、ジョゼがさっそうと車椅子で買い物に出かけ、きれいに掃除されてる部屋で、ひとり魚を焼いてるシーンは、急に泣き崩れたつねおと比べてとても力強く、対照的で印象的でした。
以前映画館で観て、2回目はVODで。 何といっても池脇千鶴が美しい...
以前映画館で観て、2回目はVODで。
何といっても池脇千鶴が美しい。下肢不自由ながらも強気な女性を見事に演じきっている。
ところで、妻夫木聡がびびったのは何か。
彼女が障害を持つ身だったからか、それとも愛の強さに耐えかねたのか。
後者かな。
それもまたよしや
前提:アニメ版を先に観た。アニメ版を観る前からいつか観ないといけないと思っていたが機会を得られずパソコンの画面で観た。
環境:大阪在住であるがロケ地は大阪では無いんだな。映画館で観てないので、途中に検索して知る。やはり映画館で観るべきだった。
感想:観て本当によかった。
アニメ版も良かったが、こちらもまた名作。同じ原作とは思えない。新しい作品として観れた。
環境2:結果的にアニメ版を先に観てよかった。それぞれの良さがある。
感想2:結局、恒夫はジョゼの何から逃げたのだろう。世間体では無いと私は思う。20代なんて逃げる事だらけだ。珍しい事じゃ無い。これからも逃げるだろう。そういう役には妻夫木聡がよくハマる。
感想3:ジョゼは特に語らない。電動車いすのスピードが表すこと、魚を焼く穏やかな表情。想像をするのに充分なラストだった。
追記 2022年4月12日
昨日、約1年ぶりにテレビ画面で観た。
やっぱり良い作品だ。年に一回くらい観る価値は十分ある。
青年と下肢不自由な女性との出会い
原作は田辺聖子氏の小説、
青年と下肢不自由な女性の出会いと別れ、
自立と成長譚を描くクール&シャインな物語、
監督は犬童一心氏
少し是枝風味と言えば易いかダーク&クール醸し
切なき肌温からの成長譚描く青春群像劇の秀作。
包丁は人に向けるな、トカレフは買うな。
乳母車の少女との非日常の物語
アニメ版が公開とのことで、予習のため鑑賞、原作未読。
身障者との日常をリアルとファンタジーを絶妙なバランスで描いた作品。
妻夫木聡の真面目系クズっぷりよかったです。いるいるこんな大学生。
池脇千鶴のツンデレ薄幸美少女感、こんなの惚れないほうがおかしい。
その他、江口徳子や新井浩文など最強の脇役陣も完璧でした。
映画全体の雰囲気が淡々としているのに居心地のいい映像でした。
ファンタジーなら障害が大きければ大きい程、恋は燃え上がるものですが・・・
ハッピーエンドではないのに希望に満ちているラスト、素晴らしかったです。
劇中セリフより
「暗い海に漂う貝に戻るだけ、それもまた良しや」
最高の日々が過ぎ去ったとしても、失ったわけではない。
思い出として心に残る、それが前に進むための糧になるのかも知れない。
アニメ版と全然違った内容だけど良い作品でした。
アニメ版を観てなかなか良かったので実写の本作を観賞。
ストーリーも雰囲気もキャラクターも全然違っていて同じタイトルの別作品だった感じ。
池脇千鶴さんがとても美しい。
上野樹里さんも雰囲気が違ってて良い。
妻夫木聡さんは今とあまり変わってない(笑)
江口のりこさんはお似合いのキャラ。
凄い役者さんが予想外に多く出演してて贅沢な作品。
実写だけにリアルな場面が多いい中、ジョゼが乗る乳母車が印象的。
乗ってる時の彼女がなかなか可愛い(笑)
恒夫がジョゼをおんぶするシーンが多め。妻夫木聡さんの体力凄いな(笑)
アニメ版の様な消化不良の終わり方ではなく本作は納得出来る最後だった感じ。
池脇千鶴さんってこんなに綺麗な女優さんだったっけ。
演技もセリフも良かったです( ´∀`)
【「死んだようなもん」と、まぜこぜの感情と】
田辺聖子原作の文庫本で30ページにも満たない短編「ジョゼと虎と魚たち」を読んだのは、ずいぶん昔に、この映画を観た後だった。
檻の中の虎はジョゼだと思った。
自由に外に出ることは出来ない。
好奇の目で見られるばかりだが、外の世界に向かって、何か怒りともつかない力強いエネルギーを蓄えている。
ジョゼは、作品中で、障碍者というより、ひとりの豊かな個性として描かれていて、そして、どこか逞しい。
恒夫によって、少しずつ外の世界に誘(いざな)われるジョゼ。
セックスも旅も。
映画には小説にはない登場人物も多い。
今改めて観ると、カナエ(上野樹里)だとか、息子(新井浩文)だとか出てて少し驚く。
そして、ストーリーは肉付けされていて、エンディングも異なる。
原作では、ジョゼが、他に誰もいない海底水族館の二人を、海底に取り残された「死んだようなもん」だと言う。
原作のジョゼの言葉は、独特で想像力に富み、とても暖かい。
「死んだようなもん」とは、二人きりで取り残されて、煩わしさなどなく、幸せという意味で言っているのだ。
足の不自由なジョゼは、幸福を天にも登るようなものではなく、海の底にいるようなものに喩えていたのだ。
原作で魚たちは、ジョゼと恒夫のことだと思った。
原作でジョゼは、いつか別れがあるかもというようなことを思い浮かべるが、そのまま、そう、「死んだようなもん」のままだった。
映画は、異なるエンディングだ。
映画は、現実も見つめるような物語だ。
どこか教科書的に社会福祉に意義を見出そうとするカナエと、流れの中でジョゼと生活を共にする恒夫の対比は、どこか僕達の生きる世界を冷静に見てるようでもある。
意義だけ突出してしまって、本当に望んでいるのか。
恒夫は、逃げたと言う。
恒夫は、確かにカナエのところに逃げた。
でも、ジョゼのことが本当に好きだったのだ。
実は、今でも好きなのだ。
まぜこぜの恒夫の感情は、恋愛について、どこに価値を見出すのか、分からなくなっしまったことがある僕自身に重なるところがある。
好きよりも安易な道をつい選んでしまう自分自身にも重なる。
台所の台から、勢いよく、ドンとお尻から降りるジョゼ。
下にドンと…。
一見、変わらぬジョゼ。
だが、ジョゼは、後ろ向きではない。
恒夫のSM趣味もユーモアに変えていた。
恒夫との別れを、前向きなエネルギーに変えようとしているかのようだ。
しかし、それも、なんか少し切なくもある。
映画には、別れのストーリーを加え、青春のほろ苦さや、甘酸っぱさも感じられる。
だが、原作も含めて根底に流れているのは、どちらかというと、偏見を受け流す若者たちの柔軟さや、強さや、優しさだ。
映画は、物語に別れを織り込むことによって、ジョゼを更にひとりの個性として見つめようとしていたのかもしれない。
原作も映画も、僕にとっては愛おしい作品だ。
アニメはどうなるのか、恐る恐るだが楽しみにしておきたい。
大阪万博のころの話?でもガラケー使ってるし…
ずいぶん前に話題作だからってWOWOWで録ってあったDVDで鑑賞。アニメ化されるって知って観とかなきゃって感じで鑑賞!切ないラブストーリー。よかったです。まだまだ幼かったころ両親に連れて行ってもらった『大阪万博』のころの物語かな~って感じるくらいいい雰囲気の映画でした。よく知らないけどATGみたいな?!
『こわれもの』なんてひどい言い方、扱い方をされながらも唯一の頼りのおばあと暮らしながら心を閉ざしていたジョゼが大学生の恒夫と出会って変わっていく(成長していく)姿が、そして二人の距離が何とも言えず胸に残ります。
17年も前の作品なんですね。主役のふたり、とてもいい役者さんです。
この前観た『浅田家』での妻夫木聡さんの役どころもそうでしたが、ホントにいい人なんでしょうね。人柄がにじみ出てきてます。
池脇千鶴さんも『半世界』での夫の吾郎ちゃんを助けるいい奥さん、こちらも色々な味のある役柄をこなせるいい女優さんです。
痛~い役どころの上野樹里さんもジョゼをビンタしてから自分の顔も近づけるシーンがなかなかでした。
新井浩文さん『天国の本屋』で初めて知った役者さんでしたがこちらの方が古いんですね。とってもいい味出してたのに、惜しいですね~。
最後の電動車椅子での一人で生きているジョゼの後ろ姿になんだかほっこりするとともに、女性の強さを、またあっさり別れたようで実は大決心の末であることを思わせる恒夫の号泣シーンがとても印象的です。
『差別』という重いテーマを扱ってとても考えさせられる映画でした。『あん』を見た時もそう思いましたが。歳を経て観なおしてみるといいんじゃないかと思いますし、主人公たちと同じ世代で観られたらまた違った感想になったんじゃないかとも思います。
17年後の今さらですが評判にたがわずいい映画でした。
海底で転がる貝は何を思う?
暗く何もない世界ではなくて、
(世界のすべてではないが)いろいろなものを目にして、聞いて、喜怒哀楽、寂しさも含めて、さまざまな経験を心にとどめて生きていく。
それはつらいことに取りつかれて苦しさに覆われてしまうかもしれない。悲しみにおぼれるかもしれない。
何もなければ、何も経験しなければ、何にも傷つかない。けれど、光も、楽しみも、喜びもない世界。
どちらが、幸せなのだろう。
おばあさんは、傷つかせない方を選んだ。
ジョゼは、世界を知って、経験する方を選んだ。
若い男女の三角関係、恋物語。
それだけでも、主演二人の演技がピュアで繊細で、観る価値がある。
恋の始まり、相手へのうざったさ、別れの予感まで含めて、本当に息をのむ。
そして、そこにバシバシ挟まれる”障碍者”観。
昭和時代のような障碍者観(原作は1984年発表、おばあさん役の新屋さんと原作者は同い年)。
否、今だって表立ってはいないが、変わっていない面も多かろう。
「壊れもの」「世間の人に申し訳ない」と、祖母は、ジョゼは存在しないことにして、世間から隠す(来客があれば、押入れの小部屋に隠していたのだろう)。「壊れもの」=故障品という意味だろうが、途中から「心が傷つきやすい、壊れやすいもの」という意味も含んでいるように見えてきて、泣けてきた。
おばあさんなりに、ジョゼを愛していたのだろう。年取った体で、成人女性を、今の軽量タイプではない造りのしっかりした乳母車にのせて散歩する。DVDのコメンタリーで妻夫木氏が「重い」と言っていた。それをジョゼの頼みだからと、文句を言いながら、毎日散歩する。あの坂の多い場所を。
そして、数々の、ゴミ捨て場からの略奪品。服や大量の本、だけでなく、ジョゼが好みそうな調度類。どれだけの広範囲を物色しているのやら。
そして、福祉関係者の言動。誰もが、ジョゼを援助対象者としてしか見ない。けっして、恒夫の彼女とは思わない。
福祉の勉強をしているという香苗は、敵情視察に来つつも、あくまでジョゼを”援助対象者”として遇することによって、先制攻撃を仕掛ける。そして、プライドを傷つけられたのも、よりによって”援助対象者”として下に観ていた者に負けたから。
けっして、同等の者とは見ない。
そんな彼らに比べて、たんに胃袋をつかまれて、今まで周りにいなかったタイプの女の子に興味を持って、ジョゼに惹かれていく恒夫。
よくある恋の始まり。
だが、二人の生きてきた、生きている世界の違いが溝を広げていく。
ジョゼは、いつから学校に通っていないのだろう?祖母が拾ってきた、教科書を含む本で知識を蓄えてきた。でも、実物は見たことがない。
これが一生に一回の遠出、次はないかもと思うジョゼ。そういう思いならば、ジョゼの怒りも理解できる。映画公開時、今のように全部ググってリサーチできるわけじゃなかった。でも、いつでもその気になれば来られる恒夫にとっては、たんなるわがまま。「また、来ればいいだろ」の一言があれば解決なのに、その言葉すらでない。次があるのは恒夫にとって当然のことだから。
自家用車の助手席になんて乗ったことがないジョゼ。自分が発見した素晴らしいものを共有したいだけなのに。それをわがままに思ってしまう恒夫。助手席に同乗している人なら「こうあるべき」と比べてしまう…。
常に、一瞬一瞬の経験を逃すまいと真剣に生きているジョゼ。初めての体験だらけのジョゼ。だから、日常でないことには貪欲でわがままが出てしまう。保育園児と同じ。そして、いつ命が終わるかわからないという経験もしている。
ジョゼを喜ばせたい気持ちはあるが、すべてが日常の延長上にある恒夫には、ジョゼの「今しかない」が理解できない。命は永遠に続くもの。ジョゼは自分と同年齢の女性で子どもではない。
命令口調も、小学校高学年以降、友達付き合い等なく、祖母との二人っきりの生活なら致し方ない。
その差をどう埋めていいのかわからない二人。
そして…。
恋の三角関係を描きながら、障碍を抱えてどう生きるか、障碍を抱える人とどう生きているかとか、”生き方”についても、じわっと感じさせられた。
なんて書くと、まじめで固い映画を想像するけれど、そんなことはない。
公開時、池脇さんや江口さんの濡れ場が話題になったそうだが、
それ以外にも、これって必要?と言いたくなるようなエロネタが挟まれる。
他にも、荒川氏や板尾氏が独特の世界観を醸し出し、(笑)を誘う。
特にギャグの場面はないのだが、全体的に不思議な間があり、独特の世界観に引き込まれる。
そんな演出、役者もいいが、音楽もいい。
不器用な二人を包むような。
くるりはロックバンドと紹介されているが、ロックにありがちのシャウトとか、騒がしい音楽はない(私の偏見?)。後年、岸田氏が交響曲等のクラッシックを作曲されるが、それを彷彿とさせる。
原作未読。DVDのコメンタリーで、監督が「原作と同じセリフは一か所だけ」とおっしゃっていた。設定をつくっての、アドリブ演技が多かったようだ。
サガンも未読。読んでいたら、もっと理解できたのかな?
『ジョゼと虎と魚たち』
奇妙な題名。
この世で一番怖いもの=虎。他にも候補はありそうだが、ライオンは群れで暮らすが、虎は単体で生息するという。
魚。群れで暮らす種、寄生・共生する種もいれば、単体で暮らす種もいる。
鑑賞後に思いを巡らすと、この題名に余韻が重なる。
おっぱい
ジョゼは魚達と深海へ転がる映画。
男性的主観が強いと思います。
女性からしたら本気で惚れた女の子を捨てて元彼女を選ぶんかい!って思うと思います。
主人公の葛藤 最後の涙 そしてくるりハイウェイ。
10代で見たら10年後見てください。歳とったら短調でつまんない映画、けど思い出す映画は記憶に残るかも、その時の情景も、しらんけど。
奇跡のような作品
奇跡のような作品だと思います。下手な表現で、申し訳ありませんが。
主人公は、足の悪い身体障害者のジョゼと、大学生の恒夫。
内容は簡単に言えば、この二人が織りなす恋愛物語。
この作品の素晴らしさは、まずリアルさにあると思います。
懐かしさを感じる街並み。自然と耳に入ってくるセリフ。障害者への差別的感情。そして薄っぺらい恋愛映画とは違う、暖かさと虚しさを兼ね添えた、思い出にはないのに、何故か体験したことがあるかのように感じるラブストーリー。
その全てが完璧で、この映画に私は共感してしまいました。
悲恋だの、運命的な出会いなの、そういった劇的な恋愛でも内容でもないです。
だからこそ、素晴らしい。共感こそが、人の心を掴むのでしょう。
恒夫とジョゼの関係性が素晴らしい。ジョゼは障害者であるがために、人の悪意には敏感で、心を開きません。しかし、そんなジョゼに現れたのが、屈託のない純粋な青年、恒夫です。
恒夫は、ジョゼに対し差別もしなければ、同情もしません。一人の人間として、等身大に向き合ってくれます。
彼はジョゼをその世界と繋げるただ一人の存在でした。ジョゼは、恒夫と過ごすなかで、人の暖かみを感じます。
今まで知らなかった世界を教えてくれた、優しい男にジョゼは恋をします。同時に恒夫も、今まで出会ったことのない、純粋で独自の世界観を持つ彼女に惹かれます。
ですが、この恋は破局を迎えるのは、映画を見るなかで、自ずと分かっていきます。
二人がどんなに、二人だけの小さな世界を築こうとも、恒夫は外の世界との繋がりを断つわけにはいきません。
誰かが悪いわけじゃない。だからこそ、悔しくて切ない。
恒夫の優しくも、ずるい性格が作品の魅力を底上げしてます。
恒夫は自らジョゼの元を去り、泣きます。
ですが、誰が彼を責められるでしょうか。
誰が彼のように、ジョゼに真剣に向き合ってきたのでしょうか。
皆、身障者を見ると、目を背けるだけです。
彼はそうじゃなかった。
そして、彼だけがジョゼの世界を広げ、ジョゼの束の間の幸せとなり、希望となったのです。
ジョゼの最後のシーンは決してバッドエンドなどではありません。強くなった一人の女の姿を観客に見せ、希望を抱かせる物語でした。
最後に。主演の池脇さんと妻夫木君の二人の演技は見事でした。彼ら以外に、この作品を演じられた人はいないでしょう。この二人をキャスティングし、原作小説を映画作品に昇華した監督の手腕も、見事と言うほかありません。
何もかもが完璧でした。
いつまでも忘れられない映画です。
出会えてよかったです。
祝アニメ化
「いつか貴女はあの男を愛さなくなるだろう」とベルナールは静かに言った。
「そして、いつか僕もまた貴女を愛さなくなるだろう…。我々はまたもや孤独になる、それでも同じことなのだ…。其処に、また流れ去った一年の月日があるだけなのだ…」
「ええ、解ってるわ…」とジョゼが言った。
2001年から2010年の邦画ベスト10(あくまで個人の感想)
30ページほどの短編なのにいまだ原作未読
たぶん田辺聖子の顔があまり好きじゃないからだろう
2003年公開当時地元の映画館で観たしDVDなどで何度も観ました
これは傑作です
バリアフリーラブストーリー
バリバラなんかよりこっちの方が圧倒的に面白い
あんなもの嫌味でとんがっているだけだがこれは違う
プレイボーイの陽キャの大学生と身体障害者で歩けず隠れるように暮らす読書好きな陰キャの甘く切ない恋愛物語
妻夫木演じる恒夫の思い出話から始まりワクワクさせてからの雀荘
大阪丸出し
爽やかさゼロ
純愛ラブストーリーじゃなくてコテコテのコメディーかよと掴みはOK
ヌードがバンバン出る
濃厚なキスシーンもある
こんなにキスしていたこと忘れていたわ妻夫木と上野
だいたいにして親の助言が必要ってどう助言すればいいんだよ
親の立場なら絶対イヤ
関西人の役を関東出身の役者が演じることが多いがこの作品は池脇千鶴上野樹里江口のりこが関西人
なんや文句あっか
福岡出身の妻夫木くんは関西人の役ではなく他所の地域から関西の大学に進学したんだろう
「しちょる」だから広島かな
関西弁に関してはいちいちうるさい関西人の映画ファンも満足だろう
僕は方言のリアルさとか映画やドラマに求めてないけどね
それは重要だと全く感じないから
公開当時から一番印象に残っているのは江口のりこの擬似フェラ
この映画はエロいかもしれないが全体的には下品ではない
下品なのはこのシーンだけ
当たり前だけど妻夫木池脇上野江口みんな若い
当時の上野樹里は昔の石原さとみ同様に都会的とはいえず全く垢抜けていない
新井浩文も出ていた
新井浩文すごい髪型で役としてだいぶ仕上がっている
元俳優なんて切ないわ
「ほんまに帰る気か・・・帰れ。帰れと言われて帰るような奴ははよ帰れ。帰れ」
声に出して読みたい日本語
2001年から2010年の邦画No. 1の名場面
っていうか言うほど池脇千鶴のオッパイ小さいか?
大きくはないけどあれだけあれば十分だろ
巨乳美少女アニメ好きのオタクあんちゃんとは共感できない
池脇と上野がビンタしあうシーンもいいね
車椅子ではなくおんぶするシーンも良かった
パーキングエリアも海も
多目的トイレのシーンも良かった
記念撮影なのに笑顔じゃないジョゼが最高
結局はバッドエンド?
やっぱり身体障害者は重かったのか?
いや違うと思いたい
上野に見つめられながら妻夫木が泣くシーンもスクリーンからジョゼが消えるラストシーンも印象的
それにしても「こわれもの」って酷いね・・・
あの扱いは怒りを通り越して悲しいわ
あとなんで大阪出身だからって池脇は吉本なんだろう
騙されたのかな
ちゃんと契約してるんだろうか
ぜひ冒頭のシーンを見返して下さい
本作は障害者問題とか、福祉がどうだとか
それは本当のテーマではないと感じました
本作のテーマはあくまで恒夫とジョゼの恋愛物語だったと思います
冒頭の旅行写真を見返すシーンがとても気になります
恒夫が誰に説明しているのでしょうか?
香苗?まさかのノリコ?男友達?
とにかく彼にとりもう済んだ話になっています
傷ではない、単にちょと昔こんなことがあったと懐かしく思い出せること
だからジョゼの障害が負担で捨てたとかそんな話では彼の中ではなってはいないのです
男と女が別れる
男が女を捨てる、その逆もあります
愛がなくなったから別れる
愛しているから別れる
他に好きな人ができたから別れる
様々です
このように思い出になる良い別れ方は、そう無いと思います
別れた傷が、双方に、あるいはどちらかに残るものです
自分が傷つかなくても、相手が傷ついている場合が殆どです
冒頭のシーンは恒夫は傷ついていません
ラストシーンはジョゼが逞しく生きていることはわかりますが、心に傷が残ったのかまではわかりません
でも、本編を観てきた観客は知っています
ジョゼが傷ついているのなら、恒夫がこんな風に思い出を語れない人間であることを私達は知っているのです
対等に別れたから、恒夫はこんな風に自然に思い出を振り返ることができるのだと思います
あの旅行はそもそも恒夫の実家の法事にジョゼを連れて行って、両親や親戚に紹介する事が目的だった筈です
ジョゼは当然それを知っています
浮き立って一週間前から持ち物リストを点検していたくらいです
もちろん、旅になぞ子供のときから一度も出たことが無い彼女ですから、旅自体が興奮することなのは間違いないことです
でも、あくまで恒夫の家族に紹介されにいくのだと言うことは頭の先頭にあるのです
なのに、彼女は寄り道をさせるのです
法事に間に合うとか間に合わないとか、全く考えずに水族館に行きます
さらに海に寄れと時間を潰させて、日が暮れたらせっかくだから温泉付きの旅館に泊まって行こうということになってしまってます
結局海底をモチーフにしたラブホテルに泊まります
後から思えば、ジョゼのそこでの言動は明らかに別れの言葉でした
何故にジョゼは車椅子を拒否していたのでしょう?
恒夫におんぶさせて、如何に自分が彼の人生に負担になるのかを実感させる為だったと気がつきました
水族館には本当にジョゼは行きたかったのだと思います
ところが偶々休館日でした
彼女は激しく憤ります
何でわざわざ遠いところからきてやったのに!と
その時ジョゼは、結婚を諦めたのだと気がつきました
「息子」に結婚やろ!と言われた時に、「アホか、そんなことあるわけないやろ」と応えた彼女でしたが、この時が本当に彼女が結婚を諦めた瞬間だったのです
恒夫に結婚はお互いに無理なことをわからせたかったのですが、できずに、今日のこの日を迎え、ここまできてしまったのです
恒夫が自分を愛して障害を乗り越えて、本気で結婚しようとしていることを確かめただけで、彼女はそれで十分満足だったのです
水族館で時間を潰させて法事に間に合わないようにしたかったのです
恒夫は一緒に実家に行こうとジョゼに言ったとき、口に出してプロポーズしたわけではないようです
なし崩し的に結婚に向かっていくようなことで考えていたようです
そんな結婚はどこにだってあることです
ズルいとかそうでないとかということはありません
だからジョゼは実家に行けばそうなることをわかっています
でも彼女は最初から結婚を諦めていたのです
恒夫に調子を合わせておいて、本当は旅行に行きたかっただけです
少しだけ本気かどうか確かめたかったのかも知れません
最初からジョゼは恒夫との最後の思い出づくりの旅行のつもりだったのです
恒夫も目的地が近づくにつれどんどん気が重くなります
同時に、ジョゼの気持ちも察したようです
水族館の休館日を見て時間を潰せなくなり、とうとう二人は結婚を諦ると決断したのだと思います
それがあのトイレのシーンなのだと思います
虎
それはジョゼの空想する異性
自分を支配する強い男
だからいつか好きな男と虎を見たかったのです
魚たち
ジョゼは海底の深い暗い底に暮らしていました
そこには魚たちも貝もあって、本当は賑やかなのです
何度も読み返す古本、散歩で見る花や猫
ずっと彼女はそうして生きてきたのです
ラブホテルの枕元のスイッチを入れたらミラーボールのように魚たちや貝が部屋中に泳ぎだしました
そのように、恒夫との思い出はジョゼの真っ暗な海底を、キラキラと光が煌めく魚たちが泳ぎ回る楽しい光景にしてくれるはずなのです
結婚しないと決めた男女なら、そのうち別れることになるのは当たり前です
別れた男が、昔の女と寄りを戻すことも普通です
別れる理由は確かにジョゼの障害の重さです
ジョゼは車椅子を使わせずその負担の重さをおんぶさせて恒夫に分からせました
恒夫は一生その負担を背負える覚悟までなかった事を知りました
また、それを乗り越えていくだけの激しい燃え盛る恋愛ではないことは二人ともわかっているのです
それを彼は逃げたと表現したのです
だから恒夫は泣いたのです
好きなことは変わらない
でもそこまで愛してはいない
彼の誠実さが伝わり心を打ちました
これこそが本作のテーマなのだと思いました
ジョゼは終盤で電動車椅子で買い物帰りのようです
あの乳母車みたいな猛スピードです
ラストシーンは恒夫の荷物がなくなったジョゼの家です
でもあの布団はそのままです
彼女は逞しい女性です
真暗い深い深い海底で暮らしている自覚はありますが、虎と魚たちを恒夫は見せてくれました
その思い出をあの拾った古本のように何度も何度も何度も思い返しているのだと思います
恒夫との思い出は良い思い出なのです
「それもまたよしや」
「我々はまたもや孤独になる
それでも同じことなのだ
そこにまた流れ去った1年の月日があるだけなのだ
ええ、わかっているわとジョゼが言った」
ジョゼには、両足をポプラの木の幹に立てかけることは出来ません
でも本の世界ではできるのです
魚の焼き加減をじっと見定めるジョゼ
時間はなんぼでもある
そして恒夫もまた冒頭のシーンのように良い思い出となったのです
だから対等の男女の別れだったのです
素晴らしい男女の出会いと、そして別れの物語だと思います
ぜひ冒頭のシーンを見返して下さい
素晴らしい希有な傑作に出会えた幸せを感じました
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