みんなわが子

劇場公開日:

解説

未来社版「学童疎開の記録」を植草圭之助が脚本化し、「若者たちの夜と昼」の家城巳代治が監督した全農映の第二回作品。撮影は「サムライの子」の井上莞。

1963年製作/93分/日本
劇場公開日:1963年2月1日

ストーリー

昭和二〇年夏--。東京から国民学校の生徒たちが疎開してきている梨本市に突然空襲警報が鳴りわたった。そして避難する生徒たちのうえにB29はビラをまいていった。ビラは先生たちに回収されたが、もと旅館であった宿舎の梅村寮へ帰ってきた第三分団の生徒たちは、洋一がポケットへ隠しもってきたビラを読んで顔いろを変えた。ビラには米軍が沖縄を占領したと書いてあった。木谷先生は否定したが、ラジオは玉砕を報道した。疎開学童はいつもおなかをすかしていた。母親の面会が待ち遠しかった。梅村寮へは三沢たち若い海軍少尉がよく菓子をもってやってきた。梅村の娘京子はその三沢にひそかな愛情をいだいていた。許可書のない面会や、近くの浴場を利用して花柳病に感染した女生徒がでたりで、先生も生徒も、あわれな日々を送った。戦地へたつことになった三沢たちがおわかれにやってきた。軍歌をうたい楽しく最後をすごしたその後、三沢と京子は拳銃で自殺した。翌朝、死体は憲兵に付添われて運びだされたが、町の人はその死体を非国民だとののしった。空襲はますますはげしくなり、生徒たちは山奥の寺に再疎開した。医者のいないところなので、からだの弱い房吉や秀代は残留することになったが、秀代は内気な妹の幸子と離れるのが心配だった。生徒たちは空腹に耐えかねて絵具をなめた。梨本市が空襲にあい残留組の生徒たちが寺へ避難してきた。だが秀代と房吉の姿はみえなかった。二人の告別式がおこなわれた。房吉の母は泣き叫び、秀代の母はちいさな骨箱を抱きしめ幸子を連れて東京へ帰った。主食の配給はおくれ、西野先生は買出しに奔走したが、どの農家も疎開ものには冷たかった。そして終戦。先生たちの気持は複雑だった。生徒たちはミコシをかつぎ出し明るい声でワッショイ、ワッショイと叫ぶのだった。

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映画レビュー

3.5玉音放送

2020年12月3日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 戦闘機の音で判断させる授業。ビラに動揺しない先生。外敵に攻められたことがない、神風が吹くと力説する。しかしラジオからは玉砕を伝えるアナウンサーの声が聞こえた。

 生徒たちが皆いい子だったので、戦争を感じさせないほどでした。面会は抽選制だったり、女子に変な病気が流行ったり、出陣前の特攻隊の1人が自殺したり・・・色んなことが起こった。そのうち、再疎開で山奥に向かう生徒たちと、居残り組。おねしょばかりしていた腎臓の悪い子が死んでしまうのは悲しかったけど、最後の玉音放送と虚しく神輿を担ぐ小学生たちが不思議な取り合わせだった。

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kossy
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