劇場公開日 1961年5月27日

「壮大なる一代記のプロローグ。」宮本武蔵(1961) とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0壮大なる一代記のプロローグ。

2020年8月25日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

知的

吉川氏の『宮本武蔵』を原作として、5本に分けて撮った、その第一作目。
 『バカボンド』等でなじみのある方もいらっしゃる方にとっては興味深い章であると思うが、一般的にイメージする剣豪・宮本武蔵の姿はここにない。
 それどころか、拝一刀や『柳生一族の陰謀』で知る萬屋錦之介氏の姿もない(ラストに面影があるか…)
 映像的な工夫も、昨今の凝ったものを見てしまうと、終盤亡霊が出てくるシーンは凝っているが、それ以外は、あんな大杉のあるお寺を良く見つけてきたなとかくらいで”普通”に思えてしまう。
 なので、獣みたいな武蔵(タケゾウ)が、わあわあ言って村がかき回されて、時代劇でおなじみの武士が出てきて食傷、くらいの印象でスルーしてしまいそうになる。

 だが、その”普通”に見えるセットがすごい。時代考証を隅々までしているのではないかと思える造り。花祭り。仏壇。家の造り。着物の着方…。(歴史に詳しくないのであくまで印象)

 そして、出色は三國氏の演技。
 私的には”顔の濃い一族”。背が高く、足も長い。なので歩く姿は、私がイメージする和尚っぽくない。なのだが、最初の第一声は笠智衆氏の”御前様”をイメージしてしまった。印を結ぶ姿、あくらから立ち上がる所作。すべてが美しい。
 飄々として、のらりひょんの風体をしながら、不動明王的な様相も見せる。「仏に逢うては仏を殺し…」という禅の言葉があるが、そのイメージ。何を考えているのかわからないが、芯(信)があり、軽妙に人を煙に巻いていく。だが、不思議と慈愛を感じられて、わざと人を陥れるようなことはしないだろうと思えてしまう。
 なので、三國氏演じる和尚を疑う方ータケゾウ・おばば・青木…-の、己の欲まみれになっている姿が、浮かび上がってくる不思議さ。
 こんな風に演じられるなんて!

 それに対する萬屋氏(この当時はまだ中村氏)。
 上記のような剣豪のイメージで観ると、へっぴり腰で、棒切れ振り回しているだけで、形もできておらず、なんだこれと思ってしまう。声も調子はずれ。時折、裏声のような叫び声をあげる。
 だが、演じているのは、腕っぷしが強いだけの、剣道も習ったことのない青年。幾つの設定だろう?20歳前後か?もっと若い設定かもしれない。そう考えると、声の出し方から、棒の振り回し方から、何から何まで、役に合わせて作りこんでいる。惜しむらくは、萬屋氏この映画公開時の実年齢が29歳。アップになると、やはり青二才には見えないところか。
 いろいろな評を読むと、萬屋氏にとって、この連作映画は転換期だったらしく、武蔵の成長とともに、萬屋氏の演技の成長も観られるという。

年齢で言うなら、木村氏もすごい。映画公開時38歳だが、モラトリアムの青年に見える…!

”強さ”を追い求めた男・宮本武蔵。それはのちに『五輪書』に結実する。兵法書と聞くが、人生の指南書として挙げる人もいる。

その生涯が今ここに始まる。

5作全編通して鑑賞した後だと、評価が変わるかもしれない。そんな予感を感じさせる第1作であった。

とみいじょん