劇場公開日 1969年8月1日

「司馬史観との違い」日本海大海戦 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)

2.0司馬史観との違い

2014年11月13日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

興奮

知的

 1969年製作ということは、司馬遼太郎が「坂の上の雲」の連載を始める前らしい。そのことを意識してみると、秋山兄弟に関する記述を除けばほぼ変わらないエピソードが並ぶと言えるのではないだろうか。
 逆にいうと、司馬が新聞に連載した文章には、それほど目新しい史実が載っていたのだろうか。あるとすれば、日露戦争当時の日本という国に対する認識の違いではないだろうか。
 「まことに小さな国が開花期を、、、」の冒頭に象徴されるように、司馬の日本観は極東の貧しい島国である。アジアで最初に近代化に動き出した幸運によって東アジアに植民地帝国を築くこととなったが、欧米の国々に比べれば貧しく小さな国に過ぎないというものだ。
 この映画では、義和団事件の収拾に西洋の国々と肩を並べて対処する力を持った列強国として描かれている。司馬の、日本への過小評価に違和感を感じる私としては、この映画のように列強に伍している日本を描く、この映画の見方のほうが落ち着く。人口や農業生産力からすれば、ヨーロッパ諸国に全く引けを取らない国であったはずである。足りないのは、近代的な工業力や技術力であり、自分たちの伝統の上にこれらをいかにうまく取り込んでいくかを、ロシアを競争相手としながら進めていく日本の姿を映画は描いている。
 司馬は、太平洋戦争へ突き進んだ過ちをロシア戦に勝利した日本人の驕りに求めた。そのためにもいかにその勝利が危ういものだったのか、いかに日本が小さな国であったかを強調した。
 しかし、近代化は遅れたものの十分な人口と生産力をもった日本が成長すれば、アジア・太平洋地域に拡大してきたロシア、アメリカと衝突することは必然的なことだという歴史観がこの映画には横たわっている。最後のほうで、ロシアの次の仮想敵国としてアメリカの名前が挙がっていたのはそういうことだろう。
 大きな必然の中で人々が知恵や勇気を振り絞っている。これが歴史というものだろう。戦勝後の、東郷平八郎の市中での立ち居振る舞い、東郷と会談する乃木希典の謙虚な言動。こんな史実があったのかどうかはさておき。自分たちは奮闘努力したが、それは大きな歴史の流れの中でたまたま手にした結果に過ぎない。そのことをよく分かっている男たちの姿を描いている。

佐分 利信