鉄砲玉の美学

劇場公開日:

解説

一人のチンピラが“鉄砲玉”として、僅か数日の短い間だが、彼がかつて夢想すらしなかった充実した時間を経験して死んでいく。脚本は「木枯し紋次郎 関わりござんせん」の野上龍雄、監督も同作の中島貞夫。撮影は「温泉スッポン芸者」の増田敏雄がそれぞれ担当。

1973年製作/100分/日本
配給:その他
劇場公開日:1973年2月10日

ストーリー

関西に本拠を持つ広域暴力団天佑会は、九州に進出する為に、同会に所属するチンピラ、小池清を“鉄砲玉”としてM市へ飛ばすことに決めた。この頃、清は何もかもツイていなかった。兎のバイも全く思わしくないし、情婦とも喧嘩したし、ハジキ一挺に、自由に使える現ナマが百万円!「やりま!」たった一言、清の返事は短かかった。M市での初めての夜。恐怖と緊張で全身を硬わばらせながらも、清は「天佑会の小池清や」と名乗って、精一杯、傍若無人に振舞ったが、どこからも反撃の気配すらなかった。酒はいくらでも飲めた。面白いように女が寄って来た。一寸した傷害事件がキッカケで、清は最高の女を手に入れた。地元の南九会の幹部・杉町の情婦、潤子である。もはや清は何も疑わなかった。最高に生きるという事はこういうことや! M市から離れた静かな地方都市を潤子と腕を組んで散歩する清には、ヤクザの顔は微塵もなく、ただ、満ち足りた平凡な一人の若者の顔しかなかった。こうして波は二十四歳の誕生日を迎えた。だが、その日、潤子の姿が彼の前から消えた、呆然とする清。M市へ来た当初、一刻たりとも傍から離さなかったハジキは、遂に意外な方向に向けて発射されることになった。天佑会の九州進出が中止されたことにより、バックの無くなった清めがけて南九会の反撃が開始された……。数時間後。潤子と二人で行く約束をしていた雲仙行きのバスの中に息絶えた清の姿があった。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

映画レビュー

4.0戦いが始まるとき、まず失われるものは若者の命である

2022年5月5日
iPhoneアプリから投稿

ヤクザは根本的なところで決して他者を受容しない。孤独こそがヤクザという存在の存在契機だといっても過言ではない。しかしそれはあくまでイデア的な美学の話。本物の人間がまったくの孤独の中で生きていくことなど不可能だ。いくら斜に構えて突っ張っていても、女に金を借りたり、上にヘコヘコ頭を下げたりしなければ、彼らは現実的に生存していくことができない。

それでもヤクザという理想に身を投じるというのなら、他者との関わりを完全に断絶するというのなら、そいつはもう死ぬしかない。死ぬことだけがヤクザという生き様を体現するためにできる唯一の実践なのだ。ただし言わずもがな、人間はそう簡単に死を決意できない。見栄えとか美学とかいったものをことさら重視するヤクザであればなおのことだ。

小池は兄貴分から任された鉄砲玉役を遂行する中で、上述のような「ヤクザ」という生き様の根本的矛盾に直面し、深く苦悩する。彼が金を無闇に浪費したり行きずりの女を抱いたりチンピラをボコしたりするのは、他者とのつながりを断つのが怖いから、つまり死ぬのが怖いからだ。

しかし彼が煩悶している間に、抗争は終結を迎える。彼は「鉄砲玉」というヤクザ的美学の実践の契機を再び失ってしまう。焦った彼が無関係の警官と銃撃戦に発展するシーンはもうどうしようもないくらい情けない。だけどおそらくこういう意味もへったくれもやいような死が、ヤクザ全盛期にはそこかしこで起きていたんだろうなと思う。

本作を見ながら『仁義なき戦い 代理戦争編』のラストシーンで流れるナレーションのことを思い出した。

「戦いが始まるとき、まず失われるものは若者の命である。そしてその死はついに報われた例がない」

コメントする (0件)
共感した! 1件)
因果

3.0寂しい鉄砲玉

2021年1月16日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

関西の暴力団が九州進出を図り、鉄砲玉(渡瀬恒彦)を宮崎に派遣、暴れまわって殺されるのを期待した。
ところが地元暴力団(小池朝雄)はこれを察知、女(杉本美樹)を使って時間稼ぎのため懐柔策をとる。
捨て駒の悲哀が不足気味。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
いやよセブン
関連DVD・ブルーレイ情報をもっと見る