劇場公開日 1981年1月15日

「80年代の初め、トップ女優の座はこの時期、吉永小百合ではなく、松坂慶子にあったのだと思います 本作が彼女をその座につけたのだと思います」青春の門(1981) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.080年代の初め、トップ女優の座はこの時期、吉永小百合ではなく、松坂慶子にあったのだと思います 本作が彼女をその座につけたのだと思います

2022年1月7日
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鑑賞方法:DVD/BD

言わずと知れた五木寛之の超ベストセラーの映画化
主人公の父母の重蔵とタエを仲代達矢と吉永小百の配役で、東宝から1975年に第1部、1977年に第2部が公開されて大ヒットしています
なので普通なら1979年頃に東宝で第3部が公開されたはずです

なのに本作は東映でまた第1部からの映画化なのです
第1部が1981年、第2部が1982年と立て続けに公開さています

東宝版を原作者の五木寛之が気にいらず、配役や演出について監督の浦山桐郎と衝突してしまったのです
原作者が東映に第3部は東映に撮って欲しいと、1979年に東映の岡田社長に直談判をしたそうです
文芸映画は数知れずありますが、このような事態は全く異例のことです

なので東映で第3部から再スタートのはずでした
ところがここから話が迷走を始めたのです
紆余曲折の末に、東映版も第1部から撮っていくことになり当初1981年正月映画の予定もズルズルと延びて、1981年1月26日の公開になってしまうのです
しかも何も決まらないままドンドン日が迫りクランクインは1980年11月20日、クランクアップは12月末という、たったの1ヵ月の撮影の急造映画になってしまいます
原作者から東映移行の条件とされた主演を予定していた高倉健からも泥縄仕事は嫌だと断られてしまう始末
脚本からなにから何までベタ遅れです

監督を引き受けた蔵原惟繕もこれでは無理と判断したのか、日大芸術学部後輩で気心の知れた深作欣二を第二班の監督に起用して乗り切ります
これが監督が二人になった理由です

その割にロケ地、セット、撮影、演出は素晴らしいものです
さすが東映の底力と感嘆します

しかし、肝心の子役の演技がガッカリのレベルです
急造すぎの弊害がここにあると思います
じっくり子役を選べなかったのでしょう
もし子役が成功していれば傑作だ!名作だ!と評価されたものなのにと実に残念に思います

しかし原作者が指名したタエ役の松坂慶子は特に素晴らしい演技でした
女としての美しさ艶めかさ、母としての強さ、優しさ
東宝版の吉永小百合に不足していたものすべてを表現しています
女優としてのきらめき、勢いがあります

彼女は本作の1年半前の1979年にテレビドラマ「水中花」でブレイクして、その主題歌「愛の水中花」も大ヒットしていました
このドラマの原作も曲の歌詞も五木寛之によるものだそうです
そのバニーガールの衣装姿と♪私は愛の水中花~というサビはあまりにも有名です

でも松坂慶子が超のつく大映画女優に一皮向けたのは本作によるものなのは間違いないことだと思います

その証拠に同年8月公開の「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」にはマドンナに抜擢され、翌1982年には、本作で松坂慶子を気に入った深作欣二監督により、「道頓堀川」、「蒲田行進曲」と連続して主演女優となるのです
そして、この本作を入れた4本はどれも日本アカデミー賞などの映画賞の主演女優賞を獲得しているのですから

トップ女優の座はこの時期、吉永小百合ではなく、松坂慶子にあったのだと思います

本作が彼女をその座につけたのだと思います

あき240