劇場公開日 1955年9月21日

新・平家物語のレビュー・感想・評価

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4.0黒澤明には負けないというプライドが溝口監督に本作を撮らせたのかも知れません

2020年5月6日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1955年9月公開
ライバルたる黒澤明はどうだったか?
前年1954年4月に七人の侍を公開している
次の作品は1955年11月公開の生きものの記録となる
黒澤明は45歳
溝口健二は57歳、ひとわまり黒澤明より年上だ
溝口は1952年西鶴一代女、1953年雨月物語、1954年山椒大夫、近松物語と3年連続で国際的な映画賞を受賞している
もちろんそれ以前にも名作が山ほどある

黒澤明は1951年の羅生門、1954年の七人の侍と国際的映画賞を受賞してきている
溝口健二監督から見ればヒタヒタと自分を追い上げてきている若手監督に見えたはずだ

黒澤明から溝口健二を見ればどうか
目標とすべき背中であったのは間違いない

本作を観て思うのはこれは黒澤明の映画だという感想だ
大群衆のダイナミズムあふれる映像と雄大なスケールの物語の内容は黒澤明が本来撮るべき映画だということ
平安末期の見事な考察による美術、衣装、セット
なるほどこれは溝口監督の作品だろう
それでもこれは本来黒澤明が撮るべき映画だ
溝口健二監督が撮る必然性はない
それは前作の楊貴妃も同じだ

溝口健二監督の映画はもっと人間と人間のぶつかり合うエモーショナルな映画を撮る人だったはずだ
彼が縄張りとする映画ではない

元禄忠臣蔵のような極めて静的でありながら、心を揺さぶられる感情の高ぶりと圧倒的な感動の嵐は本作にはないのだ

大映が溝口健二に黒澤明の七人の侍を超えるものを撮れと強要したような映画にみえてならない
溝口作品らしくないのだ
黒澤明には負けないというプライドが溝口監督に本作を撮らせたのかも知れない

とはいえ仰天するような物凄い映像が撮れている
冒頭の都大路の雑踏の俯瞰
比叡山の僧兵どもの大群衆
こんなものは二度と撮れはしない
CG の嘘臭いものしか無理だ
もう誰も映像に出来ないものだ
金に糸目をつけなかった元禄忠臣蔵のものとは比較にもならないが、それでも単なる屋敷のセットですら、もう再現はできはしないに違いない

物語は吉川英治の原作によるもの
戦前の皇室、政府、軍部の三者の対立構造を、上皇、公家、寺社になぞらえている
平家の台頭は国民の主権を謳うものだ

奢れるものは久しからず

平家物語の奢れるものとは晩年の平清盛のことを指すと思われている
しかし、平家物語の序盤では、それは実はこの公家と寺社の奢りたかぶりを指しているのだ

つまり皇室をないがしろにして好き勝手をやっているということだ
それが盛者必衰の理をあらわすということになっていくことを指している

本作では政府と軍部が、国民と皇室をないがしろにして大戦争に突入して国を滅亡の淵に追いやったというアナロジーとなっているわけだ

そして国民は平家になぞらえてあり、戦後民主主義によって国民が、政府と軍部から主権を取り戻して国を平和と繁栄に導くのだというアナロジーになっている
それが、本作が扱う新平家物語の内容だ

本作から65年が経ち、今は令和2年
なんと二百二年ぶりに上皇様が誕生なされた
もちろん本作のような権力の二重構造はない
軍部もない
全く本作とは関係の無い世の中だ

だが果たして本当にそうか?
本作の中盤までの武士の扱われ方に既視感を感じないだろうか?
平和憲法ではその存在すら認められないとされる自衛隊の現在の立場のように見えてならない
野党や護憲の立場を主張する人々の言動や行動の振る舞いは本作での武士を蔑視する公家達に重なってしまう

原作の吉川英治も、脚本の依田義賢等も、監督の溝口健二も全く想定もしていないことに
そうみえているのだ

それだけ時は流れたのだ
平安時代から、鎌倉時代に変わろうとする歴史の激変は、歴史の教科書、小説、映画の中だけの話では無いのかも知れないのだ

外国からの脅威は高まるばかりだ
日陰の存在の自衛隊がなければひとたまりもないのに、野党もマスコミも冷たい目で自衛隊を扱っている
公家と寺社が武士を蔑んでいるのと何が違うのだろう

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あき240

1.5画面の奥行きが素晴らしい

2015年2月10日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

楽しい

 京の街を行き交う人々の数、強訴に来た比叡山の法師たちの数。いずれもおびただしい人数を出演させている。驚くのは数のレベルではない。画面の隅々、手前から奥に、この大人数を注意深く配置することで、観る者に3D顔負けの奥行きを体感させる。
 屋内のシーンでも同様の注意深さは発揮されていて、被写体の後方は屋外へと空間が広がり、その先に小さな人物が複数映っているのだ。
 このような奥行きある画面を作ることで、観客はいま観ている世界が無限に続くいているリアリティにひき込まれる。スタジオやロケ地といった有限の空間を観客に意識させることなく、現実世界と同様、視線のその先がどこまでも続いている視覚を生み出しているのだ。

 また、セットも素晴らしい。考証的な視点からどう批判されるのかはさておき、忠盛邸の様子は院政期の武士の館はさもあらんと思わせる。大勢の家の子・郎党を招き入れることの出来る広さはあるものの、建物の作りは粗末であり、華美とは程遠い。

 市川雷蔵の清新な青年清盛役もなかなか爽やかでよかった。木暮実千代の母親役のどうしようもなく身持ちの悪い女との対比で、より潔癖な人物像が作り上げられている。
 他の主演作における雷蔵の女たらしぶりと比べると笑えるくらいである。

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佐分 利信