劇場公開日 1969年5月24日

「私達の人生もまた神から黒子という神の手で運命の糸に操つらているのかも知れません」心中天網島 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0私達の人生もまた神から黒子という神の手で運命の糸に操つらているのかも知れません

2020年2月1日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

異常なほどの傑作
強烈な印象、衝撃というべきものです
見終わったあとはしばらく動けません

冒頭、浄瑠璃の上演前の舞台裏での準備光景が写されます
そして、監督が脚本家に電話をしている音声が被さります
脚本は出来ましたか?クライマックスの道行きのロケ地の算段とかを打ち合わせの電話です
つまり、本作の映画自体の準備の様子を表現しています

そして本編
もちろん岩下志麻を初め俳優達が芝居をします
そのロケやセットは通常の映画と同じです

しかし室内のシーンにおいで特に観たこともない映像の演出をしてます
背景が明るく、前景を暗く陰影を強調しているのです

しかも岩下志麻に一人二役を、遊女小春と女房おさんで演じさせているのです

そして黒子が浄瑠璃のように何人も画面上を動き回り、芝居を助けていくのです

普通の映画とはまったく違うのです
浄瑠璃を人間で再現している?
そんな皮相的なことではありません

黒子とは作者の近松門左衛門でしょうか?
あるいはこの劇を第三者の視点で視る観客であるのでしょうか?
いや運命そのものなのでしょうか?
言い方を変えれば死神
死地に向かう橋で黒子は手招きしているではありませんか
黒子頭は二人をこの結末にいざなって脚本通りに演じさせているのです

神からすれば、小春もおさんも同じこと
治兵衛を死に追い込む存在である、それだけのことだと
それを一人二役という形で表現していたのかも知れません

私達の人生もまた神から黒子という神の手で運命の糸に操つらているのかも知れません

神の視点がらみればこのように見える
その点で2003年の洋画ドッグヴィルと同じなのだと思います
それを本作はその映画の34年も前にやってのけていたのです

曾根崎新地は今の北新地のこと
今も昔も大阪随一の歓楽街です
劇中何度も台詞にある蜆川は、北新地のど真ん中、新地本通りに沿って流れていたそうです
明治の頃に埋め立てられて跡形もありません
その川に梅田橋、桜橋、蜆橋が掛かっていたそうです
今橋は北浜辺りになります
網島はJR 大阪城北詰駅の辺りになります

大長寺は東京白金台の八芳園のような宏壮な庭園を備えた邸宅跡の太閤園という結婚式場の近くにあります
もともとはその敷地内にあったそうです

浄瑠璃の元ネタになった本当の事件の小春治兵衛の比翼塚もあるそうですが、大長寺は一般の拝観はなされておらず門が閉じられており中にははいれません
門の横に史跡案内板があるのみです

曾根崎新地から大長寺までは東に真っ直ぐ3キロほど、夜道でも小一時間程で歩けるでしょう

帝国ホテルや桜の通り抜けで有名な大阪造幣局からは橋を渡って直ぐの所です
わざわざ立ち寄る程の所ではありませんが、そちらにお立ち寄りの節は、このすぐ近くかと小春治兵衛の悲劇に思いを馳せてみてはいかがでしょうか

あき240
あき240さんのコメント
2021年6月20日

面白そうな映画を教えて下さりありがとうございます
今度観てみたく思います

あき240
きりんさんのコメント
2021年6月6日

これぜひ観たい映画のひとつです。ご紹介ありがとうございました。
今「マルコヴィッチの穴」を観て、近松を想起していたところです。

きりん