劇場公開日 1969年5月24日

心中天網島のレビュー・感想・評価

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4.0真の主役は黒子たち

2024年1月28日
PCから投稿

人形浄瑠璃と歌舞伎と現代演劇を足して3で割ったような映画。ストーリーはほぼ原作通りだが、演出の斬新さ、無駄を削ぎ落とした美術と音楽の無常感、二役を演じた岩下志麻(公開時28歳、結婚3年目)の切なさと一途さが入り混じり、まったく飽きさせない。前景でセリフをしゃべる役者たちは監督に操られる人形であり、本作で物語を引っ張っていく真の主役は黒子たちである。こんな実験的な映画が映画館で公開され、しかも客が入ったというのが驚き!

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jin-inu

4.5小春に深く大幣の、腐り合うたる御しめ縄。

2021年7月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

DVD持ってるのに、スクリーンで観たくてユーロスペースへ。
やはり、別格の映画。ただ単にストーリーをなぞるのではなく、人形浄瑠璃の世界を損なっていない。まるで夢の中に迷い込んだような浮遊感さえあって、ふわっとぞくっとっさせられ通しだった。モノクロ映像ゆえ掻き立てられるフェチズム。むしろモノクロじゃなきゃダメだとさえ思った。
さらに常に存在する黒衣たちの役割。単に補助役として傍らにいるのではなく、だんだん、治兵衛たちがこいつらに(あたかも人形のように)操られているように見えだすのだから不思議だ。追い詰めている感さえある。そう、世間の耳目が噂話をする方向へ、方向へと追い込むように。鳥居の場面なんて、治兵衛の意志なのか黒衣という死神にされるがままなのかわからなくなった。この黒衣の演出だけで傑作の域。
そしてラストの小春のうりざね顔は魂の抜け殻のよう。それは真っ白で、目元がぐりっとして、まさしく人形浄瑠璃の娘の「かしら」そのもので、一挙に人形浄瑠璃を観ているかのような感覚に誘い込まれた。
おまけに、岩下志麻が小春とおさんの二役という奇抜さ。これは、監督からの強烈な嫌味に思えた。容姿は同じなのに、すでに手中の女(女房)には興味はわかないんだろ?、高嶺の花だからそこまで入れ込んでしまうのだろ?とでも言われているようだった。さらに勘ぐれば、仮に小春を身請けできたとしたら、どこまで貧困に喘いだとしても変わらぬ愛を貫けるのかい?とでも言いたげで。そんな問いかけを感じる。

筋は、既知。現在令和の倫理観を持ち込むことは野暮。これは、江戸の世話話なのだから。当時の人たちは、自分たちができない純愛(迷惑をかけられた側からすると腹立たしいのはさておき)を、人形に仮託して疑似体験をしていたのだろうな。だから、どれだけ治兵衛が甲斐性なしの腐った男でも、小春が女郎の誠を貫こうとも、おさんが女房の意地を見せようとも、そこを今の感覚で良し悪しをつけると、作品自体の世界感を見落とすころになる。むしろ、現代に比べようもないほど世間の義理に縛られた人間たちの、さらに言えばいい分別のついた大人の、はかない抵抗、果たすことの敵わぬ願いが、いじらしくて仕方がない。治兵衛と小春の「これで三界の身の上や。義理立てることはない。」「これで私も尼さんや。義理立てることはないわ。」のやり取り。たしかに治兵衛は、どれだけ言葉を重ねても空々しくもあるのだが、義理を立てる代償として、自死という選択しかない身の辛さよなあ。

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栗太郎

5.0私達の人生もまた神から黒子という神の手で運命の糸に操つらているのかも知れません

2020年2月1日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

異常なほどの傑作
強烈な印象、衝撃というべきものです
見終わったあとはしばらく動けません

冒頭、浄瑠璃の上演前の舞台裏での準備光景が写されます
そして、監督が脚本家に電話をしている音声が被さります
脚本は出来ましたか?クライマックスの道行きのロケ地の算段とかを打ち合わせの電話です
つまり、本作の映画自体の準備の様子を表現しています

そして本編
もちろん岩下志麻を初め俳優達が芝居をします
そのロケやセットは通常の映画と同じです

しかし室内のシーンにおいで特に観たこともない映像の演出をしてます
背景が明るく、前景を暗く陰影を強調しているのです

しかも岩下志麻に一人二役を、遊女小春と女房おさんで演じさせているのです

そして黒子が浄瑠璃のように何人も画面上を動き回り、芝居を助けていくのです

普通の映画とはまったく違うのです
浄瑠璃を人間で再現している?
そんな皮相的なことではありません

黒子とは作者の近松門左衛門でしょうか?
あるいはこの劇を第三者の視点で視る観客であるのでしょうか?
いや運命そのものなのでしょうか?
言い方を変えれば死神
死地に向かう橋で黒子は手招きしているではありませんか
黒子頭は二人をこの結末にいざなって脚本通りに演じさせているのです

神からすれば、小春もおさんも同じこと
治兵衛を死に追い込む存在である、それだけのことだと
それを一人二役という形で表現していたのかも知れません

私達の人生もまた神から黒子という神の手で運命の糸に操つらているのかも知れません

神の視点がらみればこのように見える
その点で2003年の洋画ドッグヴィルと同じなのだと思います
それを本作はその映画の34年も前にやってのけていたのです

曾根崎新地は今の北新地のこと
今も昔も大阪随一の歓楽街です
劇中何度も台詞にある蜆川は、北新地のど真ん中、新地本通りに沿って流れていたそうです
明治の頃に埋め立てられて跡形もありません
その川に梅田橋、桜橋、蜆橋が掛かっていたそうです
今橋は北浜辺りになります
網島はJR 大阪城北詰駅の辺りになります

大長寺は東京白金台の八芳園のような宏壮な庭園を備えた邸宅跡の太閤園という結婚式場の近くにあります
もともとはその敷地内にあったそうです

浄瑠璃の元ネタになった本当の事件の小春治兵衛の比翼塚もあるそうですが、大長寺は一般の拝観はなされておらず門が閉じられており中にははいれません
門の横に史跡案内板があるのみです

曾根崎新地から大長寺までは東に真っ直ぐ3キロほど、夜道でも小一時間程で歩けるでしょう

帝国ホテルや桜の通り抜けで有名な大阪造幣局からは橋を渡って直ぐの所です
わざわざ立ち寄る程の所ではありませんが、そちらにお立ち寄りの節は、このすぐ近くかと小春治兵衛の悲劇に思いを馳せてみてはいかがでしょうか

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あき240