劇場公開日 1957年3月4日

「本作を普通に観れば農村の若者達の物語にすぎません 政治の臭いは少しも有りません しかしその奥底には、ある意図が潜められていると思います」米 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0本作を普通に観れば農村の若者達の物語にすぎません 政治の臭いは少しも有りません しかしその奥底には、ある意図が潜められていると思います

2022年3月12日
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鑑賞方法:DVD/BD

1957年公開、カラー作品

米は日本人の主食です
農業の主産品
その生産の為に日本の社会は形作られてきたと言えると思います

本作は1957年、昭和32年の茨城県霞ヶ浦の農村の田植え前の祭りから秋の脱穀の頃まで農村の生活を描いています

本作のテーマとは一体何なのでしょうか?

日本の社会の基礎構造は農村にある
それはどのようなものなのか
1957年、昭和32年の時点でそれが過去とどう違ってきてきるのか
その変化に特に注目して監督は取り上げていると思います

21世紀の農村と本作を比較すると、その狙いが見えてきます

まず65年前の農村には若者が多くいることに驚かされます
農村は人が多くお祭りは人でいっぱいなのです
現代の過疎化した農村とは全く異なります
農家は大家族で暮らしています
兄弟も3人は普通のようです
若者達は都会に働きに出るという考えがまだないように見えます
なぜなら高度成長はまだ始まったばかりの頃だからです
これから大都市にはどんどん工場も増えて、全国の農村から労働力を吸い出していくのです
その直前の光景です

中には発足したばかりの自衛隊に数年だけ入隊して帰ってきた若者もいます
都会にはまだ労働力の吸収力がないのです

耕運機も田植え機もありません
すべて人力か、せいぜい牛です
村が総出で共同作業で農作業をしています
だから農村には人が沢山いるのです
当然濃密な人間関係が農村のなかで展開され、がんじがらめになっています
生産性はとても低く現金収入も少なく生活は苦しそうです

大人達は江戸時代とさほど変わらない服装です
しかし登場する若者や子供たちは、粗末ながら洋服を着ています
ジェームズ・ディーンのように白い丸首Tシャツなどを着ているものもいます

若者達はみな20歳ぐらいのように見えます
ということは、戦後に小学校に上がったことになるのです
つまり戦後教育で大人になった初めての世代ということなのです

戦後の経済の発展に伴い、現金収入の必要性はますばかり
この霞ヶ浦の半農半漁の村でも、米をつくり魚を取るだけでは暮らしが厳しくなるばかりのようです
経済的な矛盾の圧力は高まっていることが物語から伝わってきます

閉塞感のある農村の暮らし
しかし若者達は恋愛をし、次の世代を作ろうとしています
ラストシーンでは、その矛盾に押しつぶされて自殺した女性の葬列です
そこに都会にでて農村から離れようとする若者がスーツ姿でバスで現れるのです
そしてその葬列の先頭の恋人との目配せをして映画は終わるのです

本作のテーマとは何でしょうか?
農村の生活ををリアリズムで見せることそれだけなのでしょうか?

今井正監督はご存知の通り共産党員です
そこに留意して本作を観るとただの農村の物語ではない違う意図が見えてきます

日本の主権回復と日米安保条約の発効は、本作公開の5年前の1952年のことでした
そして血のメーデー事件はGHQによる占領が解除されて3日後の1952年5月1日に起こったのです
皇居外苑でデモ隊と警察部隊とが衝突した騒乱事件が起こって、死者までだしたのです
デモ隊は再軍備反対を叫んで、使用許可の下りなかった皇居前広場へ突入しようとしたのです
そして本作の2年前の1955年には砂川紛争という立川基地の拡張に伴う測量阻止の騒乱もおきています

これら運動は大学生が主体となったものです
戦後教育をうけた若者が大学生となり都会にでるたびにこの学生運動は大きくなっていったのです
その運動に若者を供給するのはどこか
それは農村なのです

農村が閉塞感漂うのも政治に問題があるからだ
農村が変われば日本が変わると
なぜなら、農村は米を作るところ
日本の社会の基礎だからです
それが変われば、日本は変わるのです

つまり中国共産党の「農村から都市を包囲する」毛沢東の戦略の日本における実践を映画の物語として説いているのだと思います

米とはそういう意味であると思います
3年後に来るべき60年安保闘争に動員するべき若者は農村にいる
農村を変えることで日本を変えうるのだ
そういう主張であったと思います

本作を普通に観れば農村の若者達の物語にすぎません
政治の臭いは少しも有りません
しかしその奥底には、このような意図が潜められていると感じます

本作から65年もの歳月が流れました
そんなことはすべて過去の話となりました
本作を21世紀に観る価値と意義はあるのでしょうか?
昔の農村の記録映像程度にしか価値はないのでしょうか?

確かに田植え祭りなどの光景が美しいカラーの発色で撮影されています

自分はこの当時からまるで様変わりした21世紀に、いまだに当時のままのマインドセットでいる老人達がいることに慄然とするのです

その老人達のルーツを知る
その意義はあると思います

あき240