メカゴジラの逆襲のレビュー・感想・評価
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マッド・サイエンティスト父娘の逆恨み劇
メカゴジラの2作目、前作で海に散ったメカゴジラの残骸を集めて例の異星人が修復し逆襲を謀るというリベンジもの、間違いではないが戦いは1時間過ぎた終盤のみ、これではメカゴジラは単に客寄せパンダ、話の殆どは海洋研究所を追われたマッドサイエンティスト父娘の逆恨み劇。
何故かメカゴジラを出し惜しみして代役はチタノザウルスというアナログな団扇怪獣、前作ではゴジラとキングシーサー対メカゴジラだったが今度はチタノ、メカゴジラ対ゴジラと2対1が逆転。
2体とも博士の娘のテレパシーで遠隔操縦、火力ではメカゴジラが勝っているのだが操縦士が弱点、ゴジラも最初から放射能を吐けばいいのに何故か使わず、ボコボコにされてからやっと反撃、怪獣プロレスと揶揄されるいつもの手順。
前作では異星人は死ぬと猿顔になったが今回はさして変わらず、監督が正規軍というか本多猪四郎さんだから安っぽい子供騙しは排除と言うことか。人間不信に陥ったサイボーグ娘の愛と葛藤などと如何にも女性の脚本家が好きそうなプロット、人間ドラマ重視で重たくなった、それにしても前作と変われば変わるものですね。
これはゴジラ映画では無い。本多猪四郎の作品
前作は「メカゴジラ」というアイデア一発をド派手に見せるということに振り切ったお祭り映画で物語のツッコミ所などお構い無し、子供が喜ぶ怪獣プロレス映画だった。
前作がヒットしメカゴジラシリーズ第二作として作られたのが本作である。だからタイトルも「メカゴジラの逆襲」(ゴジラ第二作の「ゴジラの逆襲」を連想させる)
ド派手におバカに作った路線を継承するかと思いきや、メカゴジラ第二作はメッチャクチャシリアスな作品だった。
この映画の主軸となる怪獣はゴジラでは無い。はたまたメカゴジラでも無い。サブ怪獣の立ち位置のチタノサウルスである。そして主人公は人類の敵側に居るサイボーグ少女・桂である。
この作品は本多猪四郎の世界観で構成されたチタノサウルスと少女の物語だった。
人類側の組織としてインターポールが出てくるが登場する男達は皆、プロフェッショナルで冷静だ。そして会議がやたらと出てくる。会議によって物語が進むと言っていい。行動を決めるプロセスをすごく丁寧描写している。
そして物語の主人公、サイボーグ少女・桂である。彼女は初めて登場した瞬間から全く生気が無い。一度、事故死した体を宇宙人・ブラックホール第三惑星人にサイボーグ化されチタノサウルスとメカゴジラを操れるように改造されていた。桂の父でマッドサイエンティスト・真舟博士はブラックホール第三惑星人に「サイボーグ化して娘の命を二度も救ってもらった」と言っているが彼女は救われたのだろうか?
彼女はもう人間では無い。同性の友人も作れない、男性とも肉体的な繋がりを取れない、もう誰も愛せないし、誰も自分を愛してくれないという絶望と孤独を突きつけられた魂だけが残った存在だ。この彼女の絶望、孤独そして怨念が人類に降りかかる。
本多猪四郎監督の作品はこの人間では無くなった、また異形になってしまった者の魂の怨念が人類に襲い掛かる、という世界観がずっと共通している。
第一作ゴジラは放射能によって異形化した怪獣・ゴジラが東京を襲い、サンダ対ガイラも人間みたいな人間では無い存在の脅威、マタンゴも異形化した人間の話だ。
そして人類と異形の存在との間に知識人が居ることも本多猪四郎監督の特徴だ。
この知識人は世間から隔絶しており彼らの目的は「人類を破滅させるかもしれない自分の力を試してみたい」という欲求である。
第一作ゴジラの芹沢博士、海底軍艦の神宮寺大佐、そして本作の真舟博士だ。
ラスト、メカゴジラの頭がもげて桂とシンクロする中枢回路が剥き出しになる。異様な造形なのだがあの姿が本来の桂の姿のように思える。
人類の脅威となってしまった桂に対し海洋学者の一ノ瀬はどんな姿でも君が好きだと告げる。この一ノ瀬の愛が桂の魂を救い桂は自決する。(ここでも桂自身が自分を壊してくれと主張するあたり彼女の気持ちが伺える。殺してとは言わないのだ)
愛によって魂が救われるという展開だが本作は女性の脚本家が執筆しており納得した。
敵のブラックホール第三惑星人も真の姿が前作のような類人猿タイプではなく、ケロイドのような皮膚をもつ人間タイプに改変されている。
彼らが地球の侵略を行う目的はこれ以上同族を失わない為に新たな居住地として地球を奪い、東京に新しい都市を作る、ということだ。彼らは明確に告げていないが恐らく母性が核戦争による放射能で住めなくなってしまったのでは無いか。
彼らの怨念がメカゴジラとなって人類に襲い掛かる。
また真舟博士は学会から追放され社会的地位を失った科学者だ。人類に復讐を果たす為にチタノサウルスを起動させるが、これは第一作でオキシジェンデストロイアをゴジラ消滅では無く、自己顕示欲の為に使ってしまった暗黒面に落ちた芹沢博士だ。彼らの怨念の依代となったのが桂である。
ここで興味深いのが放射能の影響が間接的に生み出した存在のメカゴジラと自分の力を証明するための科学者の破壊は第一作ゴジラと同じ脅威である。
この脅威にゴジラが人類でもない、怨念でも無い、全くの第三者として戦う。このゴジラの戦いがなんか凄く悲しいのだ。
劣勢の中、桂の自決により制御不能となったメカゴジラとチタノサウルスを破壊し終えたあとのゴジラの表情が凄く冷たい。「俺も人類によって異形にされた存在なのに、何やってんだろ」というような虚無感を感じた。
そしてそのやりきれない思いを抱えたまま海にそっと帰っていく。
本作が昭和ゴジラ最後の作品となった。その作品がシリーズの生みの親である本多監督によって第一作と共通する脅威に同じ脅威から生まれたゴジラが幕を引く話だと感じた。
特撮については前作から引き続き中野昭慶が担当しており凄まじい迫力!メカゴジラシリーズは特撮がいい。前作のヒットから予算も増えたのか都市破壊を大量の火薬で見せてくれる。また怪獣と人の大きさのギャップを見せる演出が凄くうまく、ミニチュアの中から見上げるように撮るカットや逃げ惑う人々の後ろから迫る怪獣など本作の特撮は要所、要所に怖い演出が入っている、それが凄く効果的だ。この破壊と恐怖を得られる昭和シリーズ屈指の特撮シーンだった。
本作は当時のシリーズ史上、最低の興行収入だった。恐らく前作のような娯楽お気楽路線を期待した観客を見事に裏切った作品である。前作のように子供向けに明るくメカゴジラとゴジラの怪獣プロレスを見せれば結果はまた違っただろう。
だがそうしなかった。本作をシリアス路線で作った東宝に、ゴジラ本来のテーマに戻そうとする作り手の誠実さと、凄さをを感じた。
本作の結果を受けてゴジラシリーズは一時休止に入る。しかし、本作の虚無感が怒りとなったゴジラが1984年、再び日本を襲う…。
でも物語の中心はチタノザウルス
学会を追われたマッド・サイエンティストが世間に復讐するっという話は良くあるようで、実はベタ過ぎてあまりないのではなかろうか?っと真船博士を見てて思いました。真船博士、しっかりマッドで良かったです。
そんなこんなで昭和ゴジラシリーズのラストを飾る15作目です。一応次のリブートしたゴジラも昭和なのですが、気持ち的には本作が昭和シリーズの最後な感じがします。
題名が「メカゴジラの逆襲」の割に話のメインはチタノザウルスというちょっとした題名詐欺な印象を受ける本作。いや、十分メカゴジラの出番もありましたし、強かったんですけどね。どうもチタノザウルスの方が推されてるというか。勝手な想像ですが、本多猪四郎監督はメカより生物の方が好きなのではなかろうかと。
でも正直チタノザウルスあまりカッコ良くないんですよね。設定もゴジラとダダかぶりですし。何故真船博士はあそこまでチタノザウルスに取り付かれていたのか不思議でなりません。メカゴジラの方がカッコ良いって!桂さんにしてもメカゴジラもチタノザウルスも自分で操っているのだから、もうちょっと連係プレーができなかったものか残念でなりません。
それにしてもブラックホール第三惑星人はまだいたんですね。しかも、また洞窟の奥に秘密基地を作ってる!洞窟好きやな。本作では正体が違ったみたいなのですが、同じ星の別種族でしょうか?ブラックホールの第三惑星とか聞く限り暗そうな星出身なのに、地球は明る過ぎじゃないのか気になります。あ、だから洞窟の中が好きなのかな?
と何だかんだツッコミながらも遂に全部観たゴジラシリーズ29作品。夕日に向かって去っていくゴジラと相まって、ちょっと感慨深いものがあります。子供の頃は兄が持っていたゴジラ図鑑は良く読んでた割に、映画自体は2、3作しか観なかったゴジラシリーズ。まさか大人になって全部観る機会があろうとは。人生とはわからんもんですなぁ。
哀しき親子のドラマ
ゴジラシリーズ第15作。
Blu-rayで3回目の鑑賞。
前作で初登場したメカゴジラが、ファンの熱烈ラブコールに応えて再登場! ポスターや予告編でも“メカゴジラ・シリーズ第2弾”と銘打っており、ゴジラよりもメカゴジラを主役として推している感じ。内容的にもゴジラは添え物扱いが否めませんでした。ゴジラが出て来なくても成立する物語…。
それはさておき、久々に監督に本多猪四郎、音楽に伊福部昭―シリーズ草創期からのスタッフがカムバックして重厚な演出と音楽が光りました。シリーズ初にして唯一の女性脚本家である高山由紀子が紡ぎ出した親子の悲劇の物語は、大人の鑑賞に充分耐え得るなと改めて思いました。しかし、かなりシリアスな内容だったからか、シリーズ・ワーストとなる観客動員数を記録してしまい、シリーズの中断が決定。1984年の第16作「ゴジラ」まで9年間の休止期間に入りました。
ですが、本作が決して面白くないわけではありません! むしろ再評価されるべき作品だと自信を持って言える! 「東宝チャンピオンまつり」時期のゴジラ映画が子供受けを狙って(低予算ということもあったでしょうが)だんだんとチープな方向に傾斜して行ったのに比べ、本作はエモーショナルで重厚な人間ドラマ、久々の新撮による都市破壊シーンなど、原点回帰と言っても過言では無い演出に満ちているからです。
メカゴジラ2の回転ミサイルで地面ごと街が吹き飛ぶ場面や、チタノザウルスの尻尾から発せられる突風で何もかも吹き飛ばされるシーンなど、中野昭慶特技監督の面目躍如たるスペクタクル描写が満載で大満足・大感激!
ゴジラが暴れまわるシーンは「ゴジラ対メガロ」並みに少なかったですが、人類との共同戦線によるメカゴジラ2、チタノザウルスとの最終決戦は、ダイナミックな大爆発と光線技の鮮やかさが際立っていて手に汗握りました。
メインテーマは、真船親子の悲劇とその末路…。
人類への憎しみから、自らの目的のために娘さえも犠牲にする真船博士―。父親の復讐心を理解し加担するも、科学者・一之瀬との恋に揺れる桂…。世間からのバッシングに晒され、積年の恨みを熟成させて来た真船親子ですが、桂は父親の暴走を止めたいと考えており一之瀬に密かに手掛かりを渡したりしました。しかし、親を想う娘の心は届かなかったようです…。
メカゴジラ2のコントロール装置を体内に埋め込まれた桂は心を失ってしまいましたが、一之瀬の必死の呼び掛けに人間としての良心を取り戻し、自ら命を絶つことでメカゴジラ2を停止させました。嗚呼、何という悲劇…。
真船博士はただ自分の功績を世間に認めさせたかっただけでした。その方法が歪んでいたために悲劇を生み出してしまいました…。アジトに踏み込んだインターポール捜査官の銃弾を受け倒れたとき、最後に博士は何を思ったのでしょうか? 自分の行いを省みたのでしょうか? それとも…? とても悲しく、誰も報われない結末に震えました。
シリーズ第1作で、科学の発展による人類の暴走への警鐘として自らの命を持って発明を封印した芹沢博士を演じた平田昭彦が、「昭和シリーズ」の最後となった本作で真逆の人類を激しく憎むマッドサイエンティストを演じているというのは何だか感慨深いものがありました…。
【余談】
真船博士の復讐心につけ込んだブラックホール第三惑星人ですが、前作のおマヌケぶりが嘘のように、真面目に順当に侵略計画を遂行していました…。その調子で頑張って!(笑)
※追記(2018/12/22)
本編と特撮の撮影を担当した富岡素敬氏の語る裏話はとても興味深くて、当時の苦労を知ることが出来ました。勝手が違ったでしょうから、大変な撮影だったのだな、と…。インタビュー当時は本作公開から30年経過しているにも関わらず、鮮明な記憶でありのままを話していました。さすが職人…。
※追記(2019/02/02)
夕景の海を帰っていくゴジラが、ひたすらにカッコいい…。偶然だったとは言え、「昭和シリーズ」のラストを飾るに相応しい名場面だなと改めて思いました。
※鑑賞記録
2018/12/22:Blu-ray(オーディオ・コメンタリー)
2019/02/02:Blu-ray
2021/04/26:Amazonプライム・ビデオ
グロを追求した作品
悪の博士と侵略しに来た宇宙人が主役の話
怨念・裏切りがストーリーの主な部分で暗い
この地球を綺麗にする救世主といっておきながら、
かんじんの侵略作戦は真船博士に依存するムガールや、
娘である桂を溺愛しているように見えたが、インターポールが襲ってくると娘を平然と見捨てて逃げようとする真船博士。
なぜこの2人をストーリーの主役にしたのか…
特撮もグロを追求しており
メカゴジラⅡの第二の首が
脳みそ(ヘッドコントロール)に単眼の目がついている残酷なデザイン。
しかも、モノアイの目が赤で、脳みそには血管が浮き出ており、しかも鳴き声を発する。シン・ゴジラのゴジラよりもグロを追求しており、とても怖かった。
けっこうよかった
博士が学会や人類に強い恨みを抱いていて、人間ドラマがこってりとしていてよかった。娘が感電して死んでしまったのを宇宙人が機械人間として蘇らせるのだが、あのくらいならまずは普通に蘇生術を施してほしかった。あんなきれいな女の人がロボットというのが変にエロかった。メカゴジラよりチタノザウルスの方が出番が多い。ゴジラ映画らしくチグハグなところは否めない。
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