がんばっていきまっしょい(1998)のレビュー・感想・評価
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悩み悔しい
1976年、松山市伊予東高校に入学した悦子は、さっそくボート部に入部する。しかしナックルフォアの男子部だったため、新人戦までという条件で他の女子四人に入部してもらう。幼馴染の関野にからかわれたりするが、何とか練習し新人戦を迎え。
娘がボート部だったので鑑賞。娘は高3で体調不良になり、そのまま引退。なので悦子が故障して悩み悔しい思いをするところは、とても共感でき感動しました。当時は海で練習していたのが驚き。若い出演者たちにとって、とても過酷だったのではと想像します。女子高生の頑張りモノって面白い作品が多いです。美しい海と、伊佐爾波神社の石段が印象的。
田中麗奈のデビュー作。この後、なっちゃんでブレイク。バカリズムと森山直太朗が、一言だけのセリフありのチョイ役。森山良子も出演ですが、同じ画面に親子共演ならず。
「フラガール」と同じ集団的ビルディングスロマンの匂いを感じ…
キネマ旬報で第1位の「HANA-BI」、
第2位の「愛を乞うひと」の名作2作品に次ぐ
この年の第3位に選出された作品と知って、
役所の上映会で初鑑賞。
全く知ることのなかった作品だったが、
大変良い作品を観せて頂いたと
無料の上映会に感謝しかなかった。
そして、初々しく清々しい青春ドラマに
感動を覚えながらも、
「フラガール」との相似性も感じた。
上昇志向はあるものの
未熟な指導される側の生徒と、
実績はあるものの過去の傷を抱えて
上昇志向を失った指導する側のコーチ、
それぞれお互いに刺激を与え合い
共に成長していく
ビルディングスロマン的展開には
「フラガール」と同じ匂いを感じた。
この作品は、誰もが身を置いて通過する
かけがえのないハイティーンの青春の
タイミングを描いた。
そんな意味では、
二度とない学園生活のほとんどを
中高生としてコロナ禍を丁度迎えてしまった
世代には同情を禁じ得ない想いが
改めて込み上げて来る作品でもあった。
爽やかな青春ドラマ
田中麗奈が持病の目まいがしてきてもがんばってオールをこぐときの表情と、幼馴染の男の子に自転車の後ろに乗せてもらっている時の小雪が舞い降りているシーンが印象的な映画でした。
特にドラマティックな展開があるわけでもなく、泣かせるような類の映画でもないけれど、非常にピュアな気持ち、なぜか郷愁をさそう懐かしい気持ちにしてくれる映画です。松山の景色、特に海が綺麗です。主人公の田中麗奈ほか高校生が初々しい素晴らしい青春映画です。なにも興味のなかった主人公がボート部に入って、生きがいを見出し、毎日練習に打ち込む姿に胸を打たれます。だれでも一つのことに打ち込んでいる姿は輝いて見えるんですね。
唯一残念なのは、中嶋朋子のコーチ役が冷めた感じで、この映画の雰囲気を壊しています。
成長
昔の映画で改めて見ました。当たり前ですが初めての試合シーンと最終決戦シーンとで声の出し方が違います。コックスの子は最初は声が小さかったですが最終決戦では迫力があるほど声が出ていました。あと冒頭から回想していくシーンはいい感じだと感じましたがあえて言うならラストは30代になった5人を見たかったです。
カルトクラシック
みんなきゃしゃで、もやしのようだが、なかでもとりわけ細くて白いのがヒメだった。彼女が感情を掛け声にぶちまける。スパートをかけるとき、その掛け声が、コックスの決まり文句を無視した絶叫に変わる。規則的なキャッチ、ロウ、キャッチ、ロウだったのが、佳境では、もはやなにをわめいているかわからない。みんな棒台詞に棒演技で、その拙さはこの映画にはむしろ合っているのだが、ヒメの絶叫には、すさまじい切実感が宿っていた。
20年以上経て、その間ほとんど芸能活動のない清水真実のサイト/SNSがなお読者やフォロワーを持っている理由が、この映画を観るとよく解る。
人々はまるでスタンドバイミーのRiver PhoenixやWil Wheatonを探すように、彼女らのその後を探した。
この映画がカルトなのは、まだ岩井俊二のアリスもなかった時代、へんぴな田舎、無垢な少女、海、幼さ、頼りなさ、間延びする伊予弁、あどけなさと相反するボート競技、少女にかわいいの主張をせず、ましてや、ブルマに萌えを意図せず、恋愛へもスポ魂へも落とさず、純粋に弱小女子ボート部の青春を切り取って見せたからだ。
少女たちがなんの栄誉も利益も見返りももとめず、ひたすら情熱をそそぐところに、無類のペーソスがあった。その尊さが『小規模公開ながら、地道な宣伝で評判を呼び、異例のロングラン上映を記録した。(wikiより)』素因だった。
冒頭の艇庫のプロローグの意味
原作の小説は読んでいません
冒頭が1998年当時の現代の艇庫のシーンから始まるのは映画版オリジナルなのかはわかりません
しかし、なぜそのシーンがプロローグになっているのでしょうか?
朽ち果てた艇庫の壁に遺された20年昔の写真
青春の日々はその古びたカラー写真に閉じ込められています
艇庫の取り壊しが決まります
特典映像には本編にはないその重機による取り壊しシーンがありました
それにしても、そこまでしてこの冒頭のシーンが一体何の為に撮られたのでしょうか?
Once Upon a Time...
Long Long Time Ago....
昔、昔、あるところに、このような青春物語があったのですということかと思います
昔の青春の物語なのかもしれません
しかし、同じような青春物語はいつの時代にも変わらず普遍的にあるのだ
それは今現在のあなたが作るのだ
それが本作のテーマであったのだと思いました
そして21世紀になってもう20年
1977年の写真と1998年の「現代」の21年よりも、長い時間が本作公開から過ぎ去りました
1977年の女子高生達は、いま60歳でしょう
孫すらいることでしょう
早い人は孫がこの女子高生達と同じ歳になっていてもおかしくありません
撮影時の田中麗奈と同い年の人が、悦ネェの母親と同じ歳恰好になっているのです
時は流れ、若者は歳をとりいつしか青春は昔話となります
青春の思い出は忘れ去られて、あの艇庫のようにいつか朽ち果て残骸となり、誰にも知られずに取り壊されて更地になり消え去っていくのです
それでも17歳の青春は毎年、毎年、それぞれ春に始まっているのです
自分たちの青春物語を毎年それぞれが作っていくのです
だから、がんばっていきまっしょいがタイトルなのです
2020年の春、新型コロナウイルスが襲来した年の春
入学式は例年通りではないでしょう
もしかしたら無かったかも知れません
それでも、がんばっていきまっしょい!
傑作。スポーツものだけれど悦ネエと入江コーチの心の交流が強く描かれ...
傑作。スポーツものだけれど悦ネエと入江コーチの心の交流が強く描かれている。負けて悔しくて勝ちたいと思う悦子。過去に何かあったんだろうコーチはあきらかに悦子に昔の自分を重ねてる。混じりっけなしの超青春映画。
麗奈ちゃんのギックリ腰
共通一次試験元年にあたる高校生なので、俺と同じ年だ!新人戦までという約束で無理やり入部した3人。新人戦ではボロボロ・・・結果が結果だけにやめられなくなった彼女たちであった。コーチ(中嶋朋子)も決まったけど、ほとんど何も教えてくれない。やがて彼女たちは進級して後輩も一人入部してくるが、なんと麗奈ちゃんがギックリ腰になり医者にボートをやめるように言われる・・・
『スウィングガールズ』で開花したガーリームービーというジャンル。邦画ではこの『がんばっていきまっしょい』がその流れの始まりだったのかもしれません。
いきなり優勝じゃ面白くないけど、ボート始めてから間もない彼女たちの頑張り方は誰にでも共感できるもの。最後の最後、負けてしまうけど、充実感でいっぱいになる彼女たちがほんとに輝いていた。
雰囲気がとても好きです! 監督いい仕事してる!最後のレースは、胸が...
雰囲気がとても好きです!
監督いい仕事してる!最後のレースは、胸が熱くなります!
ドラマ版もみましたが、断然映画のほうがいいです。
伝わってくるものがある。
この映画はダイジェスト版のような作りで、次から次へと話が展開します。ときには大事なところが全然、描かれてなかったりします。でも、ストーリーなんてのはほとんどパターンが決まっているので、想像でそこのところは補えてしまいます。
こういう脚本もありなんだなぁって、ちょっと驚きました。
クライマックスがとっても盛り上がって、青春の・・・・があり、いい映画でした。
青春の原点
毎年春先になって水ぬるむ頃になると、恒例のように訪ねたくなる場所がある。それは松山市の港山だ。
私が学生の頃、ボートの練習に明け暮れた場所。映画『頑張っていきまっしょい』の原作の舞台となった場所だ。
映画の一シーンで高校に入学した悦ネエが、きらめく春の水面を滑っていくボートを漕ぐ若者の姿にくぎ付けになった姿が私の若いころの姿と重なる。大学に入学したものの、若い力を何に使えばよいのかがわからないままに、藁をもつかむような思いでボート部に入部し、朝日レガッタ出場を果たすまでの2年間を港山の艇庫や梅津寺海岸で過ごした記憶が甦る。
思えば、原作者の敷村さんとはほとんど同年代なので、ひょっとしたら同じ時間を隣り合った艇庫で過ごしたのかもしれないと思う。悦ネエは残念ながら故障して朝日レガッタに出ることなくボートから降りてしまったのだが、朝日レガッタに出場して決勝で敗退した私も、実は全く悦ネエと同じような気持ちで青春時代を過ごし、大人になっていったのだと思う。
毎年3月の初めころ、港山の艇庫跡に佇んで思いを馳せるのは、太陽の光をキラキラ反射させた海面のきらめきと、頭の中が真っ白になるほどにひたすら漕いだ記憶だ。
何故ここに戻ってくるのか、最近はっきりとわかるようになった。理屈抜きで全力で生き切った瞬間の記憶がそこには染み込んでいる。年老いて、ほどほどにしか生きることができなくなった自分に喝を入れるために港山に戻る必要があるのだと思う。
映画『頑張っていきまっしょい』は私の青春の記憶そのものであり、また、大切なものを思い出させてくれるきっかけになったかけがえのない映画だ。
人生、走り疲れた時に・・・
ある日 どこかで
この作品の予告を観る機会があり
何気に観ていると その場から動けなくなった
切ない音楽と 輝く海の風景
そんな予告編が終わるまでの数分間
なんだか涙が溢れて溢れて止まらなかった
数ヶ月後
映画本編をついに観たとき
あの日止まらなかった涙は
再びエンドロールまで溢れ続けた
海辺の街の 小さな小さな世界で
小さな目標に全力で没頭している姿
純粋で ひた向きな気持ちや表情
自分が十代だった頃・・・
今振り返ると小さな世界や目標も
あの頃は確かにデッかくて大きかった
社会で良いも悪いも経験し
いろいろ乗り越えて来た今
ずいぶん大人になってしまった自分に
《がんばっていきまっしょい》の掛け声が
心の奥にストレートに突き刺さった
いつまでも忘れたくない作品の1つ
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