劇場公開日 1956年1月29日

宇宙人東京に現わるのレビュー・感想・評価

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3.0パイラ人の造型が素晴らしい

2023年12月26日
PCから投稿

当時の作品としては珍しく宇宙人が地球にやってきて地球人と戦うという話ではなく、地球人の原水爆開発を止めにくるという物語。
しかもそのやってくる宇宙人がどこからどう見ても悪役にしか見えません。
ヒトデのようなパイラ人。そのデザインは優れています。

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みる

5.01956年は日本の特撮のカラー化元年だったのです

2023年2月26日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

1956年1月公開、大映作品、カラー作品
本作が日本の特撮映画初のカラー作品です

円谷英二のカラー特撮映画「空の大怪獣 ラドン」は同年12月の公開です

面白いです
そしてしっかりと作られています
失望感はまったくありません
特撮ファンでまだ観てないならもったいないことだと思います

冒頭の井の頭線が昭和31年の時代をとても感じさせます

和装の女性の女性がとても多いと感じます

テニスコートのシーンがあります
でも皇太子と美智子様のテニスコートの愛の出会いは1957年のことですから
これは当時の憧れのハイクラスな生活であるというシーンです

東京タワーにとても良く似たでも赤く塗装されていないグレーの鉄塔が登場します
東京タワーは着工は1956年6月、竣工は1958年12月ですから完成予想図で作ったのでしよう

あと電話がご近所さんの電話のある店からの呼び出しです
当時は電話が個人宅にはまだまだ普及してないのです
大昔の映画で電話番号の後ろに(呼)とかついているのを見ますがこれのことです

さてお話しは、天体Rが地球との衝突コースにあるとパイラ人という宇宙人が円盤で地球に飛来して警告してくれるというものです
衝突すれば人類は滅亡するが、地球上の全ての核兵器をそれにぶつければ破壊可能であり、人類滅亡を回避出来るというのです

当時は核開発競争の真っ盛り
1952年には米国が、1953年にはソ連が水爆を完成させます
1954年はあの「ゴジラ」のモチーフになるビキニ環礁での水爆実験があります
この状況を受けて本作公開の前年の1955年には有名な「ラッセル=アインシュタイン宣言」が行われます
イギリスの哲学者ラッセル、物理学者アインシュタイン他11名の一流科学者が連名で核兵器の廃絶と科学の平和利用を訴えた宣言です

本作はその宣言の精神にのっとって製作された作品と言えるでしよう

高度の知性を有する宇宙人からの警告とは、この科学者の宣言の暗喩であるという訳です

「妖星ゴラス」は1962年公開です
おそらく本作が原型だと思います
ゴラスが赤色矮星なのは本作が由来かと思います

地球が他天体が衝突する映画は3パターンあります
1. 諦めて少数でも宇宙に逃れる
2. 地球ごと衝突コースから逃げる
3. 他天体を破壊する

1 は1951年の「地球最後の日」
2はご存知「妖星ゴラス」
3は本作と1979年の「メテオ」、1998年の「ディープ・インパクト」と「アルマゲドン」です

実は4つ目があって、それが玉突き作戦です
ロケットを高速で他天体にぶつけて衝突コースから軌道を少しずらすという作戦です
2022年9月実際にNASAが小惑星で実験して成功したそうです
我々はもうSF映画の領域に足を踏み入れかけているようです

円盤騒ぎ
どこかの国の人工衛星では?
某国の新兵器か?
なにやら謎の気球騒ぎに似ています

調査の為に超小型ロケットが登場します
東大糸川教授のペンシルロケットです
1956年4月に初発射実験に成功しています
日本の宇宙開発の始祖です
日本のロケット開発は全てここから始まったのです

世界初の人工衛星のスプートニク1号の打ち上げは1957年10月のことですから、本作公開の1年9ヶ月後です
アメリカはまだ計画段階でした

日本は人工衛星どころかあのようなおもちゃのようなロケットでしたが、それでも宇宙開発競争に負けずに取り組んでいる光景が本作に紹介されます

やがて天変地異が起こりはじめ、人々の避難がはじまります
防空頭巾、ゲートル巻きの姿です
自衛隊も発足は1954年7月なので、チラリと登場します

特撮は的場徹
この人の名前は特撮ファンならばお馴染みのはず
後にウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブン、怪奇大作戦、怪傑ブースカ、宇宙猿人ゴリの特撮を担当しているのですから

1920年生まれですから、円谷英二の19歳も下です
ちなみに円谷の一番弟子の有川貞昌は1925年生まれですから、的場よりさらに5歳下です
中野昭慶は1935年生まれになります

この人は大映の特撮の基礎を作ったといって良い人です
もともと日活の多摩撮影所の技術部が振り出し、その後合併があり大映の社員となります

1946年に戦争から復員して大映東京撮影所の特撮課に配属され実質的に彼が切り盛りすることになります
それが的場の特撮のキャリアの原点です

円谷英二との接点は、円谷が大映の嘱託として、1949年の「虹男」と「透明人間あらわる」他2本を撮ったときだと思われます
円谷が東宝から離れていたときのことです
この時に円谷から直接特撮の指導を受けたのです
円谷は48歳、的場は29歳でした

1965年には円谷特技プロダクションに請われて移籍します
ウルトラシリーズの始動に向けた人材強化だったわけです
その実力はその後の作品が証明しています
なにより本作の特撮の高いレベルが円谷英二をしてこの人を招くしかないと思わせたのです

マットペイントの効果的な使用、巨大望遠鏡の美術セットの本物にしかみえない重量感や質感の表現
潮汐作用による天変地異、ビルの損壊のミニチュアワーク
どれもこれも素晴らしい!

洪水は1950年のジェーン台風の大阪の大洪水の記録映像かと思わせるほど
赤色矮星のX接近による大気の高温化の表現もなかなかです

宇宙人のパイラ人はヒトデ型で中心に大きな目玉があります
デザインは大阪万博で太陽の塔をつくることになる岡本太郎です

2022年に開催された大規模な岡本太郎展で実物のデッサンを見ました
大変感激しました
大阪のあと、東京、愛知と巡回展も行われご覧になった方も多かろうと思います

なかなかインパクトのある姿です
クローズアップのシーンではウレタンのような素材で作られていて立派に実在感がでています
さすがに多数が登場するシーンは布切れを縫い合わせたいものを被っただけのショボいものですが照明を暗くしてバレにくくしています

それにしても1956年はなんて素晴らしい年なのでしょうか!
1月は本作で幕をあけ、12月は「空の大怪獣ラドン」で締めくくられたのです
どちらもカラー作品なのです
1956年は日本の特撮のカラー化元年だったのです

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あき240