劇場公開日 2007年6月9日

「映画と奇術の類似性について」プレステージ f(unction)さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0映画と奇術の類似性について

2020年10月3日
iPhoneアプリから投稿

知的

寝られる

ノーランが見出しているのは、映画と奇術との類似性だ。
観客はありのままを見つめるのだが、ありのままのことは起こっておらず、複雑な事実があり、何を見せ何を見せないかを操作する仕掛人がいる。
仕掛人は「ありのまま」に隠された真実を知っているが、真実を知らない観客には「ありのまま」がもっともらしく思える。(観客は夢を見に来ているから、無知に留まる。無知=観察、探求、情報の不足。掘り下げの不足。)

観客は複雑な事実を知らずに、"ありのまま"を見ようとする。
映画とは現実世界の被写体をカメラで撮影したものであるが、撮影の行為を確認するのではなく、スクリーンを見るに留まる。提供されたものを見る。

コインは瞬間移動していないし、重力の方向が変わったのではなくカメラの固定された筒が回転するのに合わせてスタントしている。
瞬間移動していないのに瞬間移動していたいと願う心とそれを信じさせる技術、重力の方向は変化していないのに重力の方向が変化すると思える文脈へと誘導する演出。
→『インセプション』

仮面(装い)と、誘導と、真実。
→『ダークナイト』

【映画はどうして嘘じゃないの?】
映画はどうして「嘘」だと断罪されないの?
・人は見た目重視だから
・不都合な嘘ではないから(不利益をもたらさないから)
・事実(史実)と異なることを吹聴しているわけではないから

実際に起こり得ないことなのに、もてはやされる"嘘"はどうして?
→視覚優位?

・要望/想像力/期待と結びつくから

(書きかけです)

f(unction)