劇場公開日 2002年2月16日

マルホランド・ドライブ : インタビュー

2010年6月25日更新

マルホランド・ドライブ
ローラ・エレナ・ハリング独占インタビュー

「僕のかわりにこの映画を解釈しないでくれ」って約束させられたのよ

編集部

──「マルホランド・ドライブ」の主題を一言で言うと何だと思いますか?

「私は夢と幻想の物語だと思うわ。夢というのはハリウッド的なドリームと人々が眠りながら見る夢、両方の意味でね。夢と現実、その両方がこの映画の中にはあると思う。私がはじめて観た時は、前半がダイアンの夢だと思った。だけど、ダイアンに殺されかかったカミーラの夢という人もいるの。映画のラストで、カミーラを殺すためにダイアンは殺し屋を雇うでしょ? それで殺されかけたカミーラが昏睡状態の中で見る夢、って。あるいは監督役のアダム・ケシャーの夢、という人もいるわ。アダムが思い描く善と悪、男性的な面、女性的な面。それを2人の女性が象徴している、という解釈ね。本当にいろんな解釈があるわ。千差万別よ」

──どうやら、夢というのはリンチが持っていた確かなテーマのようですが、誰の夢かは観客の解釈に委ねられているということでしょうか?

「ええ、そう思うわ。何度もこの映画を観て私が得た解釈は誰かの夢なんだろうということ。でも、デビッド本人は決して自分の口から『これは夢を描いた』とか『このシーンは夢だ』と言ったことはないわ。だから、もしかしたら違うかもしれない。デビッドには『僕のかわりにこの映画を解釈しないでくれ』って約束させられたの。『この映画のどの部分がTVシリーズの時に撮影したもので、どの部分が映画用に撮られたものかも言わないで』とも言われたわ。彼は常に自分の映画を謎に包んでおきたい人だから」

──前半が夢、後半が現実という解釈がもし確かなら、クラブ・シレンシオののシーンは一体どういう位置づけになると思いますか?

「皆はどう思ってるの?」

──夢から覚めようとしている瞬間、という人もいますが。

「いい解釈ね。あのシーンは映画のターニング・ポイント。クラブ・シレンシオに行く直前、リタはうわ言のように『シレンシオ、シレンシオ』と言ってるでしょ? リタはいろんな苦悩を抱えていて、おびえていて、恐怖や不安で頭がいっぱいになっていて、寝ている時もその不安が頭から離れない。そういうリタが自分自身に、穏やかな気持ちになるように『静寂、静寂』と言い聞かせているという意味もあるんじゃないかと思ってる」

──クラブの魔術師が言う「すべてはまやかしだ」というセリフは、映画のテーマであると思いますか?

「うーん、“人生”を象徴していると思うわ。夜、寝ながら夢を見ているとき、その瞬間はそれが現実よね。今、起きている時の現実というのはどこかに消えてしまっている。もしかしたら、起きているこの瞬間が夢で、寝ている時の方が現実なのかもしれない。そうじゃないって誰が言い切れる?」

──この映画を観ると、誰もが多くの疑問や謎を抱えて家に帰ります。日常生活に戻ってからも、ふとした瞬間に映画のことをつい考えてしまうような、不思議な魅力がありますね。

「家で朝ご飯を食べている時でも、家族から突然『ところで、あのシーンはどういう意味なの?』とか『これはどういうことなの?』って質問攻めにあうの(笑)。ほんとうにたくさんの人がこの映画にとり憑かれてるわ。幽霊が家に取り憑くようにね。観た人のまわりに取り憑いてしまって離れないの。みんな、どこに行っても何をしていても、『マルホランド・ドライブ』に取り憑かれてしまってるのよ」

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