キングス&クイーン

劇場公開日:2006年6月17日

解説・あらすじ

約5年ぶりとなるデプレシャン監督の新作は悲劇と喜劇を行き来しながら、一組の自由奔放な男女とその周辺を描く2部構成のコメディドラマ。パリで画廊を営むノラは、死別した夫との間の子供エリアスを自分の父親のところに預けているが、その父親がガンで余命幾ばくも無いことを知る。そこで、ノラは1年前まで同棲していた恋人イスマエルにエリアスを養子にしてもらおうと頼みに行くが……。

2004年製作/150分/フランス
原題または英題:Rois et Reine
配給:boid
劇場公開日:2006年6月17日

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映画レビュー

2.0 ごく親(ちかし)い人間関係を描き切った点では良作

2026年5月13日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

評論子に言わせれば、「恋愛上級者に贈る「パートナーの選び方」(本作のトレーラーのキャッチフレーズ)とか、「キャリアウーマンと不器用な男たちが織り成す上質な大人のラブストーリー」(前同)といったような「甘ったるい」作品ではなく、むしろ本作は、「父性愛に恵まれなかった男運の悪い女が、三度目の恋愛に、何とか自身の浮沈を賭けようとするファム・ファタール(悪女)の物語」とでもキャッチするのが相応しい一本かとも、思ってしまいました。本作を観終わって。評論子は。
(その意味では、余談ですが、同じく精神科病院の入院患者同士だったとはいえ、イエスバルとアリエルとの関係性の方が、よっぽど「大人のラブストーリー」としては出来上がっていたようにも、評論子には思われます。)

以上の次第で、本作では中心的な登場人物として描かれているノラには少しも共感したり、感情移入したりはできなかった評論子ではありましたけれども。
しかし、映画作品としては、大人の男女の愛憎関係の、あり得べきひとつの局面を見事に活写した一本だったとも思います。

本作は、別作品『映画を愛する君へ』が素晴らしかったアルノー・デプレシャン監督の手になる作品として鑑賞することにしたものでしたけれども。
そして、邦題は、ちょっと気取った言い方になっていますが、平易に言い直せば、「ノラと彼女をめぐる三人の男たち」くらいの意味合いなのだろうとも思いますけれども。

その実、夫婦、親子などのごく親い人間関係を描き切るという点では、評論子には、そのような作品を数多く世に問うているヨアキム・トリアー監督を彷彿とさせる作品として、まずまずは良作と評しておくのが適切な一本だったとも、評論子は思います。

(追記)
実のわが子・エリアスを、なんとか、彼女の前夫だった(前夫だったに過ぎないというべきか?)イスマエル・ヴュイヤールの養子にしようとノラが画策したことは、彼女がジャン・ジャックとの再婚に当たって、「厄介払い」をしようとしたとしか、評論子には思われませんでした。
一人息子のエリアスを、亡夫ピエールと同じコトレル姓にするために、物分かりの悪い(?)お役所と折衝するなど「大変な苦労をした」と、彼女は言いつつも。
そしてまた、エリアスをイスマエルの養子に出そうとする理由が、私(ノラ)が亡きあとには、エリアスな身寄りがなくなってしまうからと、もっともらしい理屈を構えたとしても。

そこに、否むしろ、そんな理由をもっともらしく並べ立てるからこそ「利己的な性格」という、ノラの本性を、赤裸々にそこに見てしまったように、評論子には思われました。

そして、ジャン・ジャックとの再婚に当たっても、彼の富はその「魅力のひとつ」とはいうものの、上記のような事情に照らせば、それが「魅力の全部」というのが、実は偽らない彼女の本心だったのではないかと、思ってしまいそうです。
(我ながら「下衆の勘繰り」だとは思いつつも。)

これが私の「新しいシアワセ」(本作のトレーラーでのキャッチフレーズ)とはいうものの、結局のところ、根本がそんな利己的な動機であってみれば、「ジャン・ジャックとの再婚生活も、結局はうまく行くんかいな。」と思ってしまったのも、独り評論子だけではなかったことと思います。

(追記)
<映画のことば>
あの頃、(君の)ママと僕はすごく愛し合った。
それで、君に会えたんだ。
前にも言ったけど、人生で僕が自慢するのは、君と会えたこと。

前掲の本作のトレーラーのキャッチフレーズについて、少しだけ弁護をしておくとすれば…。

それは、エピローグになってから描かれるイスマエルとエリアスとの関係性(正確にいえば、イスマエルと(エリアスを通じた)ノラとの関係性)を指してのキャッチフレーズでしょうか。

イスマエルはといえば、ちょっと個性的な故か、周囲からは変人扱いされた末に、「第三入院」の憂き目にまで遭ってしまうのですけれども。

しかし、往時のイスマエルのノラに対する愛情は、本当に、心の底からのもので(他方のノラがそう受け取っていたかどうかはさて措くとしても)「上質な大人のラブストーリー」だったことは、疑いがないようです。

それは、後記するような温かなヴュイヤール家に育ったイスマエルの「家族としての温かさ」の発露でもあったことと、評論子は思います。

(追記)
<映画のことば>
今の私は、静められないお前への怒りでいっぱいだ。
ずたずたの体だが、お前の反逆に、怒りを覚える。
誇り高くさせたのは私の罪だろう。
お前の自尊心が好きだった。
お前の高慢さは辛らつな虚栄心に変わり、愚かな気取りを見せるようになった。
お前は、辛らつさで、いっぱいだ。
私と似てるよ。
やはり、親子だな。

父親は、娘が最初に出会うもっとも身近な男性(異性)であるとも言われますけれども。
それだけに、娘が父親との間でどういう関係性をどれだけ築けたかということは、彼女の結婚観ーもっと踏み込んで言ってしまえば、彼女の結婚運にも大きく影響すると、評論子は考えます。
(飽くまでも評論子の主観的な意見ではありますけれども)

そして、ノラと父親・ルイとの関係性の悪さ、ということでは、父の編集者・ヴィラーグから、推敲用にと手渡されたルイ執筆の随想(?)である「孤独な騎士」の原稿の彼女にとっては「不愉快な部分」を勝手に破いて、燃やしてしまったという一事からも、明らかでしょう。

他方では、もともとイスマエルはヴュイヤール家には養子として入ったとのことですので、必然的に「血を分けた実姉」ということでは、なさそうなのですけれども。

そして、更に14歳の頃から引き取って育てていたシモンを新たに養子に迎えようとするなど、ひょっとすると、姉を除いた他の二人の子供も養子であって、ヴュイヤール夫妻の実の子ではなかったのかも知れませんけれども。

しかし、実の子でありながら、片や心の奥底のどこかでは愛し合っていない…どころか憎み合っているとすら言えそうなルイとノラとの親子と、片や血縁関係になくても、実の関係か、あるいはそれ以上の関係を築いているヴュイヤール家の親子―。

その違いは、自分の店に強盗に押し入った若者まで、あたかも自分の実の子を諭すかのように諭してしまうような、父親としてのヴュイヤールの包容力にあったのだろうと思ったのも、独り評論子だけではなかったことと、思いました。

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talkie

2.0 泣けなかった

2019年7月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 6年間一緒に過ごしたイスマエルはヴィオラ奏者。しかし身内の誰かが謀って精神病院送りにさせられた。徐々に本当に自分が精神病なのではないかと疑い始める恐怖感を描きつつ、元妻がエリアスを引き取ってほしいと訴えてきたりと入院させられても忙しい。病院内でも心を許せる女性もできるが、そんな簡単にはベッドインしない。彼がまともであると確信したのがこのあたりからだったのですが、150分もの長尺ではダレてきてしまった。

 一方、ノラの父親がガンに冒され、死期が迫っている。彼を預けてあった寄宿舎から連れ戻し、イスマエルの元へ向かう緊張感のあるシーン。コミカルな部分も多いけど、笑いづらい内容だった。

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kossy