アダムの原罪のレビュー・感想・評価
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約80分の臨場感と職業倫理を超えた葛藤に呑み込まれる
映画が始まるや否や我々の視点は病院の小児科病棟へ放り込まれる。リアルタイムにも等しい目線と描写で時を刻む本作は、栄養失調により入院を余儀なくされた4歳児を巡って、母親、医師、看護師、ソーシャルワーカーらが四つどもえの攻防を繰り広げるという内容。誰もが少年を救いたい一心なのは間違いない。だが、母親の行動には明らかな問題があり、一方、その意向を無視して強制的に対処しようとする医師側にも問題がありそうだ。結局、本作は社会の縮図のような限定空間で、制度や規則を越えてなすべきことを成そうとする看護師の立ち振る舞いに焦点が当てられてる。ダルテンヌ作品を彷彿とさせるカメラワークによって、その映像は必要最小限の描写で驚くほど的確に状況を伝え、なおかつ独特の臨場感が全体を覆う。なぜこれほど懸命に心を寄せられるのか。突き放されても決して諦めず、母親と同じ目線と歩調で寄り添おうとする姿に静かな感動がほとばしる。
危うい母性愛、看護を超える慈愛。衝突の先は闇か光か
邦題がミスリード気味なのは、聖書がらみの含意を強調しすぎたせいか。脚本も書いたローラ・ワンデル監督によると、アダムの名は旧約聖書に登場する最初の人間から取ったもので、特定の人物ではなく“私たちすべて”を指す。また、「医師であれ、責任者であれ、判事であれ、それぞれが子どもにとっての最善を考えている」が、「心の奥底で、それを自身に影響する何かを守る口実として利用している」。フランス語の原題「L'Interet d'Adam」、英題「Adam's Interest」はともに「アダムのために」の意味で、「アダムのためになることは人類のためになる」との意図を込めたという。
つまり、登場人物の4歳児アダムに固有の罪があるわけではない。それなのに邦題に引っ張られて「この男児の罪って何?」と考えながら観ると、「結局彼の罪って何だったの?」ともやもやが残るかも。まあ語感としては、直訳の「アダムのために」より「アダムの原罪」のほうがインパクトが強いのは認めるけれど。
ともあれ、ワンデル監督はデビュー作「Playground 校庭」に続き、観客を自然に登場人物に没入させるのが巧い。今作では大病院の小児科センターの看護師長ルシー(レア・ドリュッケール)が主要な視点人物になり、幼い患者とその家族のため人一倍献身的に働く感覚を観る側も疑似体験する。乳幼児を育てるのに苦労した経験がある方なら、シングルマザーのレベッカ(アナマリア・ヴァルトロメイ)により感情移入するだろうか。観客の想像力を信頼しているのもワンデル監督の美徳だろう。説明的な台詞も映像も極力排し、目の前で起きていることと、人物らの少ない言葉のやりとりや表情で、「自分がその立場ならどうする」と考えることを促す。
レベッカが息子を愛する気持ちは疑いようがないものの、かたくなで偏狭で危なっかしい。アダムを思って与えている流動食のせいで栄養失調なのに、指摘されても改めようとしない。そんな母子に根気強く対応を続けるルシーだが、彼女の献身ぶりが病院システムの枠内で割り当てられた看護の域を超えそうになると、こちらも何やら不安要素に思えてくる。他者を救う慈愛の心が暴走して、職を失ってしまうのでは、あるいは自らの心が削られてしまうのでは?
そんな2人がぶつかった先にどんな未来が待っているのかは、ぜひ本編で確かめてほしいが、つつましやかなエンディングもまたワンデル監督らしい。
医療現場のリソース不足を可視化する問題提起と、それでも献身的な働きで人々の命を守っている医療従事者への敬意と感謝が込められているのは、今年3月に日本公開された「ナースコール」と共通する。そうしたエッセンシャルワーカーたちの大切さとありがたさは、コロナ禍を経て広く再認識されたはずだし、彼女ら彼らを題材にした社会派映画が増えているのなら啓発効果の意味でも良い傾向だと思う。
ずっと間違えている
『ナースコール』の小児病棟版でした.こんばんわ三遊亭呼延灼です.
では,タイトルの「アダム」とは誰か.母親の間違った育児方針が原因で栄養失調に陥り骨折,入院している三歳児さんでございます.付き添いの母親が病院食はアダム君の体に良くないと勝手な判断.当然ながら病院も役所もそんな理屈は通しませんし,アダム君保護のために親権剥奪すら視野に入れます.
一方で,小児病棟の看護師長さんは,アダム君親子に職務範囲を超えたレベルで肩入れし・・・
自身の権利意識だけが肥大化した母親の姿を観ていますと,大袈裟な話「あぁこうやって移民の主張する権利を聞き続けた結果が,今のフランスなんだなぁ」としみじみいたします.
とあることから,病室に立てこもるアダムかーちゃん.個室ならともかく,アダム君の奥には幼女患者がおられます.もし立てこもり中に幼女の体調が悪化したら,アダムかーちゃんはどうしたんでしょう.さらに驚く事は,アダムかーちゃんを説得させるために看護師長さんは同室患者を移動させます.これがアダム君の病状に伴う処置なら納得もしますが,ただの毒親の我が儘の結果なんだから,幼女親は不公平感に関して病院を訴えてもいいんじゃないでしょうか.さらにさらに看護師長さんの肩入れは強くなっていって,かーちゃんがアダム君を連れ出そうとする事件が発生し,かーちゃんは階段で転倒します.アダム君には怪我はありませんでしたが,私が病棟責任者ならこの時点で師長さんを懲戒処分するし,アダム君親子は強制退院でございます.
看護師長さんは度々自分のお子さんに電話されてましたが,もし子供が「おかあさんは私よりも病院の子供が大切なんだよね」ってグレたらどうされたんでしょう.夜の街に徘徊するようになってお薬に手を出す.ODで緊急搬送されましたが,そこは母親勤める病院でしたってのは,また別の話です.
にしても『アダムの原罪』なんてタイトルは,まるでアダム君が生まれてきたこと自体が罪みたいに聞こえるじゃあーりませんか.ちなみにGrokさんに原題の邦訳をお願いしたところ『アダムのため』との返答でございました.うん,そりゃそのタイトルになりますわな.
ホントに救いたい人
ママといたい。でも死にたくない。
いきなり、怪我をした男の子と 母親が 病室にいるシーンから始まる 。そして 子供を守るためにと 公的権力が介入しようとしている。 予備知識もなく見てる側は 一体何が起きてるんだ と思いながら…。 こういうのを没入型作品と言うらしいが、 フライヤーなどにもある以下のことぐらいは 知ってみた方が 分かりやすいと思う。 日本の保険制度とかなり違うので 。
とある病院の小児科センターに、左腕を骨折した4歳の男の子アダムが入院する。栄養失調で痩せこけた彼は発育が遅れており、骨がもろくなっている。裁判所は移民でシングルマザーのレベッカがアダムに適切な食事を与えていないと判断し、彼女の面会を制限する命令を下す…。
終わり方も 「えっこんなとこで終わっちゃうの。」 という感じがした。それは、今後この男の子が、どうなっていくかという所には焦点が当てて無いからだと思う。
ママといたい、でもしにたくない
アダムの発した「ママといたい、でもしにたくない」にグサっときた。
ママが好きでずっといっしょにいたいけれど、アダム自身が不健康(栄養失調)で
体調が悪化しているのは本人も気づいているからこその率直な言葉であろう。
ママ=レベッカは移民と思われ、シングルマザーとして彼女なりに真摯に
アダムの育児に向き合っていたに違いない。
それがわかる看護師長のルシーはレベッカに寄り添う。
それが病院や施設といった社会のルールにはそぐわない。
社会のルールに縛られてはこの親子は幸せになれない。
それがルシーを突き動かし、レベッカに寄り添おうとするのだ。
医者も施設も悪くない、アダムの父親は今の家族があり、それが大事なのもわかるが、
父親が子の面倒を見てこなかったことを責めるレベッカの気持ちもわかる。
だからルシーは放っておけないのだ。
それはラストショットまで一貫して描かれている。
映像的にはルシーを後方から映し出しカメラもルシーの歩行に合わせて揺れる。
このリアリティが病院の現場の緊迫感と絶え間ないルシーの多忙さを観客に
率直に伝えている。
それにしてもルシーを演じた主演レア・ドリュッケールと、
レベッカを演じたアナマリア・バルトロメイの演技は素晴らしすぎるし、
『Playground 校庭』の監督ローラ・ワンデルはやはり只者ではない。
そしてさすがのダルデンヌ兄弟による製作。
実にヘビー級なテーマで色々と考えさせながらも、
映画としての出来が素晴らしく、本作でも唸ってしまうほど。
今後もローラ・ワンデル監督には注目していく。
ズレてる方がいい?(この邦題以外)
病院の病室。おそらく東欧系移民のシングルマザー、レベッカが前腕骨折の4歳児にひっついている。子どもは病院食を提供されているが、レベッカの病的な医療不信?が伝染し、食べても戻してしまう状態なため栄養摂取に重大な問題が起きている模様。チューブでの流動食等に置換えするも妨害行為があるため裁判所命令でレベッカの接見の制限措置を得たが、最低限の面会時間内に病院の努力の痕を元の黙阿弥にしてしまう由々しい事態。
そもそも病院にいる理由は何か?と思ってみていると、どうも病気はないようだ。つまり、栄養失調、発育不全。原因は貧困なのだろう。元旦那は今でも12時間労働でへとへとな限界ワーキングクラス。レベッカは離婚に直面してか若しくはそれ以前から現実を受け入れられない病理にあり、息子も母親の顔やメンツを潰せなく同調してしまう悪循環から抜けられない模様。
この状況へ看護師長が表情には出さずに奮い立つ。粘りに粘る。最後の二人のほぼ無言のようなやりとりには吸い込まれた。この師長さん、最後までレベッカに自分がシングルマザーて言わへんかった。
ほんとうにこの監督はリアルな演出が得意で、取材量が尋常でないとか、前作を通じても一目瞭然なものがある。こういう実に優秀な能力で作られた、ベルギーの一触即発系映画はベルギーチョコを越えて馴染んできました。日本は日本で一触即発なのだが、やっぱり移民難民の観点からは摩擦の強さが向こうが上かなと。
まあまったく上手く言える自信がないことを持ちだすと、ソ連崩壊前に産婦人科のナースや助産婦の倫理崩壊が起きて、それを国家崩壊の予兆として捉え、最も早くにソ連崩壊を唱えた学者の本を読んだことがある。仮に給料が止まっても最も長く仕事を続けるかもしれない現場職が耐えられなくなったら、というファイナリーなデッドラインを考えるときに、妊婦に寄り添う助産チームはそうしたイメージに合致する現場をもつ職業だろう。
レベッカは妊婦ではないが、そうしたソ連崩壊の話を思い出してしまう。どれだけ負荷が強くリターンがなくても目の前にいる母子を見捨てておけない世界、個人的境地があることで、もしかしたら国や世界ごと?救っている瞬間もあったり。
言い換えれば、システムが追い付かないゾーンはスーパーな個人がバックアップしつつ進んできたのが人類ではないかという問いかけを感じました。それが止まったら終わりは近い、かも、とか。
どこの国にせよなんの職業にせよ、そういう奇特にして普遍の何億秒もの瞬間に一度も手を貸さないで言う不平は、ちょっとだけ早いんじゃないか…なんて言ったら、はいアウト~?やっぱ上手く言えないでした…
監督は搾取されても個人しか埋められないものは個人が頑張るべきだとか、そういう今の時代において後ろ向きなことを言おうとした訳ではないだろう。その解釈は完全に私の錯誤なんでしょう。でもそう思っちゃったのは事実なので、ちょっとだけ書き留めときます。話がずれてるし、俺ごときが誰に何を言ってんだっていう話になってしまいましたが。
あと、邦題決めてる人へ一言。あきらめないで!
個人の病と社会の病巣
腕を骨折した男の子が病院に運び込まれて来ました。母親が「家の物以外は食べたら危険」と子供に信じ込ませて来た為に栄養失調状態である事が原因と分かります。適正な食事を摂らせようとしても、子供も母親を信じているので直ぐに嘔吐してしまいます。この母親に妙な信仰でもあるのかと思いきや、彼女は移民のシングルマザーでギリギリの条件で暮らしている為、かなりパニック状態です。病院側は、付き添って来た母親を子供から離して病院から追い出せと迫ります。しかし、そうすると彼女は子供の親権を失いかねません。そこで看護師長のルシーは一体どうすればよいのかという物語です。
これは息詰まるお話でした。劇伴(音楽)は殆どなく、全てのシーンにルシーが登場し彼女視線で物語は展開します。「それは問題だけれど、でもこういう事情もある」「それももっともだけれど、こうは出来ないか」様々な問題を前に最善の決断を迫られます。
結局は、病院は個人の病を治す事は出来ても、その病を生んでいる社会の治療までは出来ないと言う事なのです。これは恐らく世界中の医療の問題なのでしょう。きつい作品でした。
ただ、折角の上質の映画なのに邦題が難ありです。原題は、この少年の名前「アダム」に因んで "L'Intérêt d'Adam" です。「アダムの利益に」「アダムの為に」という程度の意味でしょう。ところが、このアダムと言う名前から「アダムとイブ」を連想したのでしょうが、「アダムの原罪」などという邦題が付いてしまいました。この少年には何ら罪はなく、彼が原罪を背負っているのだとしたら本作の登場人物は全員が同じ原罪を負っています。雰囲気だけでいい加減な邦題を付けるのは「罪」が深いと思います。
アダムの「死にたくない」が印象に残った!!
邦題が『アダムの原罪』だったので、キリスト教的なテーマを扱った小難しい映画かと思っていた。しかし実際は、フランスの公立病院の小児科で起きた一晩の出来事を描いた佳作だった。上映時間も2時間を超える作品が多いなか、本作は82分と短め。「もう少し長くてもよかったのに」と思えるほど、中身の詰まった作品だった。
主人公は、看護師長のルーシー、移民でシングルマザーのレベッカ、そして一人息子のアダム。原題の『L'Intérêt d'Adam』は、直訳すれば「アダムの利益」だが、児童福祉の文脈では「アダムの最善の利益」を意味する。こちらのほうが作品の内容をよく表しているように思う。
フランスでも児童虐待やネグレクトは深刻な社会問題となっている。映画では、行政はアダムの命を守るため母子を引き離そうとする。一方、ルーシーは「アダムにとって何が最善なのか」という視点に立ち、母親レベッカをも支えようとする。ときには少しおせっかいにも見えるが、その粘り強い説得によって、レベッカは出口の見えない迷路のような現状を抜け出し、アダムを取り戻すため女性支援施設へ入る決意を固める。
ラストは、その決意を見せたところで唐突に終わるため、「えっ、これで終わりなのか」と感じた。しかし、あれはレベッカが再出発への第一歩を踏み出したことを示す場面と受け取れば、あの終わり方にも納得できた。
もう一つ印象に残ったのは、アダム自身が「死にたくない」という意思をはっきり示す場面だ。それまで大人たちの判断に委ねられていたアダムが、自らの言葉で生きる意思を伝えたことで、この映画は救いのある作品になったように思う。
タイトルなし(ネタバレ)
とある病院の小児科センター。
ルシー(レア・ドリュッケール)は、そこの看護師長。
忙しくて、てんてこまいなのはいつものことだ。
ルシーが気になっているのは4歳児のアダム。
左腕を骨折がきっかけなのだが、栄養失調で骨が脆くなっていた。
栄養補給用のチューブを外したところ。
アダムの母親は移民のシングルマザー、レベッカ(アナマリア・ヴァルトロメイ)。
ネグレットではないが、レベッカは自分が作る食事以外は害が多いと考えており、アダムもレベッカの考え方に染まってしまっている。
結果、アダムは入院後も食事を摂らなかった。
裁判所はレベッカに対して、アダムとの面会も制限し、問題行動があれば、親権の剝奪も考えている・・・
小児科病棟の看護師長ルシーを中心にして描かれるが、焦点はシングルマザーと幼子アダムに当てられた物語。
ダルデンヌ兄弟が製作で、彼らの初期作品を思わせる作品。
今春公開の『ナースコール』を思い出す向きもあろうかと思う。
たしかに、物語はルシー中心に進んでいく。
が、最後の最後に、視点をレベッカに切り替えて、断ち切るように描く幕切れ。
それが鮮やか。
心情の変化で断ち切る映画として、ダルデンヌ兄弟監督『ロゼッタ』を思い出した。
レベッカのの心情が変化するのは、直前の幼子アダムの一言。
ここでは書かないでおくことにします。
「オーバーワーク」と「オーバーインボルブメント(過剰関与)」
1.はじめに:ローラ・ワンデル監督との相性
❶1984年ベルギー生まれのローラ・ワンデルは、16歳で大長編映画『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(注1)に衝撃を受け、ベルギーの視聴覚芸術院(IAD)で映画製作を学ぶ。卒業制作の短編(2007)が世界各地の映画祭に出品。3本目となる短編(2014)がカンヌ国際映画祭の短編コンペティション部門に選ばれ、その際にリュック・ダルデンヌとの交流が始まる。⻑編映画デビュー作『Playground/校庭(2021)』がカンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され、国際批評家連盟賞を受賞。BFIロンドン映画祭サザーランド賞、マグリット賞など、世界中の映画祭を席巻し、アカデミー賞国際⻑編映画賞ショートリストにも選出された。ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌを製作に迎えた⻑編第2作の本作は、カンヌ国際映画祭批評家週間のオープニング作品に選ばれ、ベルギー版アカデミー賞と称されるルネ賞(マグリット賞から2026年より改称)では最優秀作品賞、最優秀監督賞、脚本賞を含む、6部門ノミネートを果たした。広範な調査とフィールドワークに基づいて映画を構築することを特徴とする。(公式サイト)
❷ローラ・ワンデルの長編は2作共日本で公開され、リアルタイムで観ている。相性は良好。
①『Playground/校庭(2021ベルギー)』 2025.03公開・鑑賞 85点
②『アダムの原罪(2025ベルギー・仏)』 2026.06公開・鑑賞 85点。本作。
(注1)『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』
Jeanne Dielman, 23, quai du Commerce, 1080 Bruxelles
①1975年ベルギー・仏合作のドラマ。日本公開:2022年(映画祭)。3時間超(201分)の大長編。監督・脚本:シャンタル・アケルマン、主演:デルフィーヌ・セリッグ。女性主人公ジャンヌ・ディルマンの3日間の生活が描かれている。すべての場面は固定カメラによるワンカットで、シーン内はリアルタイムで撮影されている。公開当初は批評家から賛否両論の評価を受けたが、ヨーロッパで注目を集め、後にカルト的な人気を博し、現在では史上最高の映画の一つとされている。スローシネマの代表作であると同時に、フェミニスト映画の代表作とも評されている。2000年にヴィレッジ・ヴォイス誌が行った批評家投票では、20世紀で19番目に偉大な映画に選ばれた。2022年に英国映画協会の雑誌「サイト・アンド・サウンド」が発表した10年ごとの批評家投票では1位を獲得した(Wikipedia)。
②オリジナルのフランス語版が無料サイトで閲覧できる。字幕なし:画質上。
2.マイレビュー◆◆◆ネタバレ注意
❶相性:上。
★「オーバーワーク」と「オーバーインボルブメント(過剰関与)」。
➋時代:現代。
❸舞台:ベルギーの公立イザラ病院(架空)の小児科センターに働く看護師長・ルシーの1日。
❹主な登場人物:
①ルシー(レア・ドリュッケール)
本作の主人公で、小児科センターの看護師長。自身もシングルマザーとして子供を育てている。有能だが、食事や休息をまともに取れないほど超多忙。そんな中で、アダムとレベッカを助けようと過剰関与していく。
②レベッカ(アナマリア・ヴァルトロメイ)
移民のシングルマザー。周囲から孤立しており、息子アダムを過剰に盲愛している。
③アダム(ジュール・デルサール)
左腕を骨折して入院してきた4歳の男の子。母親レベッカしか信じない。病院食を食べないために鼻からチューブを通して栄養を入れている。
④ナイーム(アレックス・デスカス)
小児科センターの部長。ルシーの上司。黒人。規則を守り守らせる立場にあり、ルシーに「一線を超えるな」と釘をさす。
⑤ダニエル(ローラン・カペリュート)
レベッカの元夫。再婚して新たな子がいる。
❺あらすじ:
①イザラ病院の小児科センターに、4歳のアダムが左腕の骨折で入院する。栄養失調で痩せこけたアダムは発育が遅れており、骨がもろくなっている。原因は、移民でシングルマザーのレベッカが「腹痛を起こすから」という理由で、自分が作ったもの以外の食事をアダムに与えないためだった。
②裁判所は、レベッカの面会を制限する命令を下す。
③自身もシングルマザーである看護師長ルシーは、息子と引き離され親権を失うことを恐れるレベッカに寄り添おうとするが、レベッカの軽率な行動と、上司・ナイームや同僚からのプレッシャーにより追い詰められていく。
④レベッカは、強引にアダムを連れ出すが、追ってきたルシーの目の前で階段から落ちて怪我をしてしまう。
⑤レベッカの元夫でアダムの父親のダニエルが呼ばれるが、再婚して妻と子供がいるダニエルは12時間仕事をして面倒をみることは無理だと言う。
⑥裁判所はレベッカとアダムを強制的に引き離す禁止令を発令する。
⑦納得できないルシーは、上司や裁判所の調査官と掛け合うが了承されない。
⑧八方塞がりの中、アダムがレベッカに、「ママといたい。でも死ぬのは嫌だ」と言う。これを機に、レベッカはアダムの元を離れる。
⑨ルシーはレベッカを車で送り、女性支援の施設に連れて行こうとする。レベッカは抵抗して車を降りるが、冷静に考え直してルシーに従う決意をする。
❻考察:
①ある公立病院の小児科センターで働く看護師長・ルシーの1日を、ドキュメンタリータッチ追った作品。
②3月に公開された『ナースコール(2026瑞西・独)』は、『本作』と共通点がある。共に看護師が主役で、
ⓐ前者は、人手不足の公立病院の満床病棟で、プロ意識の高い献身的な看護師に降りかかる激務と不測のトラブルをドキュメンタリータッチで追った作品で、看護師の「オーバーワーク」がテーマ。
ⓑ本作は、看護師の「オーバーワーク」に加えて「オーバーインボルブメント(過剰関与)」がテーマで、移民で人間不信のシングルマザーと4歳の息子が対象。
③食事も休息も取れないほどの過酷な労働(ローラ・ワンデル監督インタビューより):
ⓐローラ・ワンデル監督は、何ヶ月も実際のベルギーの公立病院に通い詰めて取材を行った。そこで目にした「常に何かに追われ、自分の健康を後回しにして働く看護師たち」の過酷な日常をそのまま映画に落とし込んでいる。
ⓑ「慢性的な人手不足」と「オーバーワーク」は、日本の医療現場でも問題になっているが、ベルギーやスイスでは更に深刻なようである。
④看護師の私生活の犠牲:
ⓐルシー自身もシングルマザーであり、子育てという責任を負っている。しかし、慢性的な激務によって、自分の子どもと向き合う時間すら削られて、精神的・体力的に限界を迎えている。
ⓑルシーがレベッカ親子に過剰関与をしていく背景には、そんな事情があると思われる。
⑤公立病院と私立病院の格差
看護師同士の会話で、「私立病院なら、給与が高くゆとりがあるが、庶民は行けない」と語られていた。富裕層はゆとりのある私立病院で手厚いケアを受けられる一方、お金のない庶民やレベッカのような移民は、過酷な労働環境で疲弊した公立病院に頼るしかないのだ。しかも、公立病院は、ルシーのような現場の医療従事者の自己犠牲や、限界を超えた善意によって成り立っているという現実は深刻である。
⑥ルールを守ることは常に正しいのか?
ⓐ世の中に完璧なルールなどない。どれだけ慎重に作られたルールにも、不備や漏れがある。だからこそ、「このルールが存在する理由は何か?」と問わなければならないのだ。
ⓑ時と場合によっては、ルールを守ることが、「そのルールを守ることで得られる状態」から遠のくこともある。
ⓒ本作で描かれているのは、ⓑの状況であり、当事者によって判断が異なってくる。それが本作の見所になっている。★下記⑦ⓑ
⑦タイトルの意味:
ⓐ原題(仏語)「L'intérêt d'Adam/アダムの関心、アダムの最善の利益」、英題「Adam's Sake/アダムの目的、利益/アダムのために」、邦題「アダムの原罪」。
ⓑ皆が「アダムのために」と行動した結果、アダムは更に追いつめられ、命の危機に瀕する結果になってしまう。
㋑母レベッカ:「アダムのために」、病院の毒になる食事は与えない。「私の愛が正義だ」。
㋺看護師長ルシー:「アダムのために」、母親の愛から引き離すべきではない。「規則を破ってでも寄り添うことが正義だ」。
㋩病院・裁判所:「アダムのために」、母親を引き離して適切な食事を与えるべき。「規則に従うことが正義だ」。
ⓒ誰もが悪意を持っていない、皆が「正義=善」を目指している。そして自分の正義を信じて暴走してしまう。
ⓓキリスト教における「原罪」とは、アダムとイヴが、神に禁じられた「善悪を知る実(知恵の実)」を食べ、「神の教
えではなく、自分たちの知恵で善悪を判断しようとしたこと」から始まる。
ⓔ「聖書のアダムが犯した罪が、すべての子孫(人類)に受け継がれていく」ように、「親(レベッカ)の問題が、子(アダム)へ受け継がれてしまっている」結果になっている。子供は親を選べず、親の教育や環境(原罪)を最初から背負わされて生きるしかないのだ。
ⓕ本作における「原罪」とは、4歳のアダム自身が犯した罪ではなく、取り巻く大人たちの「何が正しい(善)か、何が間違っている(悪)かは、自分が一番分かっている」という慢心を指していると思われる。その結果、すべての登場人物の「善意」がすれ違い、誰もがアダムを救いきれなかった悲劇になっているのだ。
❼まとめ
①公立病院に於ける「慢性的な人手不足」と「オーバーワーク」、そして「オーバーインボルブメント」の問題を世に問うた、ローラ・ワンデル監督のメッセージはしっかり伝わった。
②タイトルに込められた患者・看護師・病院・裁判所の夫々が尊重するルールの相違の問題も理解出来た。
③ただ、最も重要な問題の解決に関するヒントがない点が惜しまれる。本作のように、個人の献身的な努力だけではどうにもならないという問題の指摘だけでなく、チームやグループとして組織化して取り組む必要があるという視点が欲しかった。
❽謝辞:
本稿は、上記❺と❻でGoogle-AIの情報を参考にした。ここに記して感謝の意を表したい。
客観的事実に基づき…
栄養失調の疑いがある子どもとシングルマザーをどうにかしてあげたいと奔走する看護士の物語。
終始、BGMもなくエンタメ性を排除した、厳しい現実が淡々と映されていく。
深刻な状況にある少年アダムと母親レベッカを離さなくてはならないが、どうやら虐待が行われているわけでもなく、思い込みの激しいレベッカの偏愛が問題の模様。
よって、この親子は確かに愛し合っており、それだけに事がやっかいに…。
普通に考えてレベッカがヤバすぎるし、ワタクシでも病院と同じ判断をしただろうな…。
とは言え、アダムに言う事を聞いてもらうためにはレベッカに側に居てもらわないと…というのもまぁ確かに。しかし、肝心のレベッカに理解がないからね…難しい。
ルシーの行動が全て正しいとは思わないけど、全て規定通りに…で何もかも上手くいくとは限らんし、それぞれの正義と凝り固まった思想の中で互いを尊重することの難しさをまざまざと見せつけられた作品だった。
そしてどうでも良いが、自分も子どもの頃はただそれっぽい制服着てるだけで、警備員も警察だって思い込んでいたなぁ〜なんてことを思い出した(笑)
なぜ邦題が「アダムの利益/関心(L'intérêt d'Adam)」じゃなかったか
キリスト教に疎い私でも、「アダムの原罪」という邦題から、医療現場の複雑さを描いた映画だとは想像できなかった。原題は『L'intérêt d'Adam』(アダムの利益/関心)英題は『Adam's Sake』(アダムのために)
しかし観終わってみると、このタイトルはアダムという個人の話ではなく、「すべての人間の『よかれと思って』という傲慢さ」という普遍的なテーマを指しているのだと気づかされた。
「自分の与えるもの以外を食べると腹痛を起こす」この母の言葉に、母のどんな原因や意図があるのか。
過去のトラウマか。周囲から受けた差別や嫌がらせか。信条や宗教上の理由か。あるいは、命に関わるような経験があったのか。
劇中でその詳細が語られることはない。
しかし、母の与えるものしか食べたことのない子供が、急に違うものを摂取すれば腹痛を起こすのは自然なこと。
慣れないものを消化できない身体的な問題か、母を信じるがゆえのプラシーボ効果か、あるいは強い不安による消化不良かもしれない。
傾聴なしに、信頼なしに、正しさだけを押し付けても、状況はひどくなる。
孤立する母はさらに孤立し、異常者扱いされ、排除される。
人員不足と多忙が、スタッフの余裕を奪い、寄り添った医療を遠ざけてしまう。
もっとも、描かれていないだけで、十分な傾聴や対話があったのかもしれない。
母親にも語りたくない事情があったのかもしれない。
ただ、「親が子供を洗脳した」というセリフが引っかかった。
この作品は、その「わからなさ」ごと観客に突きつけてくる。
最後にアダムが言うひと言に、優しさと残酷さが混在し、母の心を大きく動かした。
作中ではフランス語が話されていたが、多言語・多文化が交錯するベルギー社会という背景を思うと、言葉の壁や文化的な隔たりも、実社会の根底に流れているように感じた。
誰も「誰かを苦しめよう」と思って行動しているわけではない。ただ、「良かれと思って」とる行動が、誰かを追い詰め、傷つけ、取り返しのない事態を招くことがある。
『アダムの原罪』とは、アダムの罪ではなく、「”他者を思う自分の正しさ”を疑えなくなる。」そんな人間の普遍的な弱さを指しているのかもしれない。
note(YouKhy)でも書いています。
スタンドプレイは実を結ばない
4歳の子供を栄養失調が原因で骨折させた美人のシングルマザーに病院組織のシステムを混乱させてまで肩入れするシングルマザーのベテラン看護師。
小児科病棟は大変なのはわかる。
高度のチームワークが必要。
ベテランなのに😩
最初の設定が無理ゲーなのに、あのぶつ切りのエンディングはないわ。
ただただストレスフルな映画でわたしゃオカンムリ。
母親と看護師がアダムを挟んで、共依存というわけでもない。
二人ともアタマおかしいんじゃないか?
アダムの父親。一夫多妻?
他にも出てくる患児と家族が移民や難民みたいで、フランスやベルギー、オランダは大変だ。
日本もああなる日は近いと思うと余計に憂鬱。
高◯政権の人たちはこの映画を観て、今から政策をよく練っておいたほうがいい。
無理ゲーな法律作って、現場任せにするのはやめてほしい。
アダムの原罪っていう邦題もわけがわからん💢
アダムはいかにも悪魔っ子だった。
普通の貧しい子供は病院のごはんのほうが好きなんじゃないの?
少なくともわたしはそうだった。
寄り添って受け入れて待つ
看護師ルシーがシングルマザー親子に寄り添って、受け入れて、時間をかけて待つ姿は素晴らしい。
その一方で感情で動き,一患者にそこまで時間をかけて特別扱いすることは果たしてその親子の為になるのか?
忙しい救急病院で、感情的になってたら救える他の命は救えない。
他の看護師や医師との連携って大事で、自分の感情で突き進んで、その親子の為って自分に言い聞かせてるけど、本当は自分の体験で「あの時、寄り添って頼れる人がいたら…」って言う後悔から来ているのかがわからなかった。
ルシー仕事中に電話しているのは施設?子供を誰かに預けてる?飲んでいる薬は???
母親が子供に愛情をかけている方法が,間違っていて世間の常識では虐待になる。
あの母親は自分が与える食事以外が汚染されているように思い始めたのは何がきっかけ?自分は食べてるのよね?
1人で育てて大変なのはわかるけど、食事与えないと死ぬのはわかるはずなのに。
あれだけ約束破って食事はゴミ箱に捨てて、勝手にシャワー浴びさせて、一緒に居たいと泣き喚く若い母親。
ルシーが連れて行った施設で更生できるとは思えないけど、ルシーはそこで立ち直って【寄り添える看護師】になったのかな。
人を救うことに対する正義は?
圧倒的な近距離で俳優を描く手法は前作Playgroundと変わらず。今回の舞台は病院。そして映画はとある1日に凝縮される。栄養失調で腕を骨折し入院する子供アダムとその母親。そして小児科病棟の看護師長。映画はこの3者を中心に描かれる。
同じ病棟の様々な親と子供の関係性が描かれ、家庭内の問題がそのまま病室まで及び結果患者の処置以上に看護の業務が拡がる。様々な局面に対応することになれば自ずと看護は相対的に短時間で終わらさざるを得ない。
そんな背景の中、とある母が不安定の親子にフォーカス。
親と子を引き離す法律を受け入れられない母親。不安定な母親を支えようと本来の行義務を超えて支える看護師長。その葛藤が短い時間にとてつもない速さで描かれる。
立場からするとすべてが肯定されるものの、役割や立場を考えると決して肯定されるはずもない現実。
そもそもの原因が分からないから判断しづらい
『ナースコール』の様相を呈しているけれど、実際にはもっと深刻。
とにかくレベッカとルシーの相性が悪い。
レベッカは「私は悪くない」を拗らせすぎて、自分の行動を客観視できていないし、周りからの心象を悪くしている。ルシーはレベッカに肩入れしすぎて、クビにならないか心配になるほど事態を悪化させている。
他の看護チームや調査士たちも、それぞれアダムが健康に育つことを考えてはいるのだけど、上手く噛み合わないのがもどかしい。
まだ4歳のアダムには、ママが世界のすべてだから、洗脳というには大袈裟かもしれないけれど、拒食もママに従った結果。共依存のような状態。
この先どうなっていくのか、フランス映画らしい終わり方だけど正直なところ、改善されるとは思えない。アダムの一言があってあの態度だしなぁ。
79分と短い映画なのに、結構しんどい。
看護師ひとりの善意に頼る、薄氷のセーフティネット
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