喝采

劇場公開日:2026年1月9日

喝采

解説・あらすじ

ブロードウェイの伝説的な女優マリアン・セルデスをモデルに、キャリア終焉の危機に直面した大女優が最後の舞台に挑む姿を描いたドラマ。

ブロードウェイの第一線で活躍してきた大女優リリアン・ホールは、チェーホフの戯曲「桜の園」の公演を間近に控えていたが、稽古中に突然言葉を失うアクシデントに見舞われ、医師から認知症だと告げられてしまう。それは彼女にとって引退勧告にも等しい、あまりにも残酷な現実だった。人生のすべてを舞台に捧げてきたリリアンは、病気の事実を自らの胸の奥に押しとどめたまま「桜の園」をやり遂げることを決意する。病状は悪化の一途をたどり、現実と妄想の境界さえも曖昧になっていくなか、最期になるであろう舞台のためにすべてをかけるリリアンだったが……。

「トッツィー」などの名優ジェシカ・ラングが主人公リリアンを熱演し、リリアンを支え続けるアシスタントのイーディスを「ミザリー」のキャシー・ベイツ、隣人で元芸術家のタイを「007」シリーズのピアース・ブロスナン、リリアンの娘マーガレットをテレビドラマ「アメリカン・ホラー・ストーリー」シリーズのリリー・レーブがそれぞれ演じた。監督は「ナイト・ウォッチャー」「ポワゾン」のマイケル・クリストファー。

2024年製作/110分/PG12/アメリカ
原題または英題:The Great Lillian Hall
配給:彩プロ
劇場公開日:2026年1月9日

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映画レビュー

4.5 羨ましい人生の幕引きと人間関係に嫉妬した美しい一作。

2026年2月12日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

知的

幸せ

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popo2

4.0 主人公のキャリアと内面が「桜の園」とリンクする

2026年1月26日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

記憶をテーマにした映画は無数に存在するが、本作が丹念に紡ぐのは、認知症を患ったベテラン舞台女優の物語だ。チェーホフ作「桜の園」公演にむけてリハーサルが進む中、ジェシカ・ラング演じる主人公はさすがの貫禄を見せる一方、ひとたび忘却に見舞われるや、舞台上の安定はすぐさま別物へ転じていく。その落差が実にスリリング。しかしこれは伝説的女優をモデルとしているだけあり、焦点があたるのはあくまで彼女の”生き様”だ。これまでの半生。プロフェッショナリズム。亡くした夫の幻影。アシスタントとの絆。娘との関係性。あらゆるものが込み上げてはふっと消える。その物語構造そのものが彼女にとっての内的「桜の園」であるかのよう。ラングの優雅な存在感とアシスタント役キャシー・ベイツのサバサバした演技による巧みな緩急も見逃せない一要素。さすが名女優の二人。でも実は、キャリア的にベイツの方が生え抜きの舞台出身者なのも面白いところ。

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牛津厚信

3.0 周囲の温かさに包まれた女優としての矜持

2026年9月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

<映画のことば>
時には迷子になったけど。
イーディスが支えた。
他の俳優たちも待ってくれた。
ギリギリまで追い詰められたけど、母は魔法のように戻ってきて、舞台に立った。
私の母、名優リリアン・ホール

とどのつまり、わが子にここまでの感銘を与えられる母親というものは、やはりすごいものなのでしょう。
そして彼女の舞台女優としての矜持の高さに流した、愛娘・マーガレットの涙が、本作のすべてを物語るように、評論子には思われました。

自身が女優であるという「現実」よりも、今は亡き最愛の夫カールソンとの邂逅という「妄想」に限りなく傾倒してゆく往年の大女優リリアン・ホール―。

そんな渦中にもあって舞台女優としての彼女の矜持を、その最後の舞台(?)で支えたのは、常に身の回りで、もう25年も彼女を見守っていたという彼女のホール家の家政婦でもあり、行方不明の彼女を献身的に捜し、そして最後の舞台では「陰アナ」として彼女を助けたイーディスを始め、この舞台の演出家だったデヴィッド、プロデューサー(?)だった人生ジェーン、彼女の代役=スタンバイとして舞台袖に控えていてくれた女優のヘイリー・ベメル、そしてリリアンの隣人で気のおけない男友達のタイなど、罹患した彼女を支えた周囲の人々の「温かさ」であったことも、一点の疑いを容れる余地はないこととも、評論子は受け止めます。

「身体的な死」としての悪性新生物(がん)などとの対置から、「精神的な死」とも称される本作でリリアン・ホールが罹患した、この疾患―。

本作は、毎月末の定例の会合に参加するために市外に出かけた折に、その地元のミニシアターで鑑賞したものの、なかなかレビューを書きかねていた一本でしたけれども。

改めて思い起こせば、本作も、別作品『安楽死特区』(2025年/129分/日本/高橋伴明監督)の鑑賞をきっかけとして、最近に鑑賞している「終末医療映画」「死生観映画(安楽死映画)」の一本(第三弾)だったのかも知れないと、評論子は考え、主としてその観点からのレビューとなりました。

そして、その観点から本作を評すると、「人生と芸術への讃歌~フィナーレこそが人生」という本作のトレーラーのキャッチコピーには、偽りがなかったものとも思いました。

充分な佳作だったとも、評論子は思いました。本作も。

(追記)
つい先日、近隣市の主催で開催された「性の多様性の理解促進セミナー」を受講する機会がありました。
その折に、講師から、コミュニケーションの「足し算」というお話がありました。
そのお話の趣旨としては、この話題を回避するという「引き算」ではなく、積極的に共感し、気づくという周囲の受け止めが大切という趣旨と、評論子は受け止めました。

本作でも、リリアン・ホールの周囲は(必ずしも具体的な疾患名は知らされていなかったとしても)、彼女の「ハンディキャップ」に気づいて共感し、彼女を、いわば包み込むような「足し算」のコミュニケーションで接していたものと、評論子は理解しました。

おそらくは、周囲の「温かさ」は、そのことに由来するものとも、評論子は考えました。

(追記)
リリアンは、エンゲージリングを外していなかったのですね。
夫のカールソンの没後も。
彼と彼女との関係は、夫と妻だったことの他、演出家と女優でもあり、彼・彼女らが身命を賭する場所でもあった舞台という、いわば戦場で、共に戦った「戦友」でもあったことでしょう。
(実の娘すら、すっかり「蚊帳(かや)の外」に置かれ―しかし、その点は両親からは必ずしも愛されてはいなかったという彼女の生い立ちにも縁由があってのことのようではありそうですけれども―ふたりの間には、割って入ることはできなかったとか)

彼の没後も、幻覚に現れるほどに、彼女が彼を想い続けていたことは、その一点からも明白と言うべきでしょう。
(舞台楽屋の彼女の化粧台にも、彼の写真があった)

そして「鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)」とは、こういう夫婦関係を指して言う言葉なのだろうとも、評論子は思います。

(その実、そこまで妻を支えることのできた夫でもなかった評論子には、正直、忸怩たる思いも禁ずることができません)

(追記)
<映画のことば>
荒れるわよ。シートベルトを締めて。

戯曲の世界にはまったく不案内な評論子の理解なので、とんでもない思い違いかも知れないのですけれども。

本作のリリアン・ホールが演じようとしていた作品は、チェーホフ作の「桜の園」。
それは、離れ離れだった家族が再会したのも束の間、没落貴族がその邸宅の処分を余儀なくされる物語とのこと、住み慣れた住居内を追われる家族の悲哀を描いた作品だったと、評論子は理解します。

そして、往年のベテラン舞台女優が、いわば「住み慣れた」舞台―幻を作る場所とも彼女自身も言うその舞台―彼女がその舞台で芝居を通じて真実を追い求め続けた場所を、病を得て、去る物語―。

両者の「対置」も、本作では鮮やかだったとも、評論子は思いました。

(追記)
前記したところと少しく重複しますけれども。
本作では、ジェシカ・ラングが演ずるリリアン・ホールもさることながら、何といっても、陽になり陰になり、文字通りに主演の彼女を助け、支えた助演女優:キャシー・ベイツの演技が光っていたと、評論子は思いました。

前記のとおり、愛娘・マーガレットの滂沱(ぼうだ)の涙を誘ったリリアン・ホールの最後の、渾身の舞台も、イーディスとしての彼女の演技(サポート)あってこそ。

「助演があってこその主演」―。
彼女の助演が光っての本作と言い直しても、問題がなかったものと、評論子は思います。

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talkie

4.0 ジェシカ・ラングさんの演技がもう

2026年4月27日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

ジェシカ・ラングさんの演技が全ての作品。リアルな幻視が特徴のレビー小体型認知症の切ない表現が素晴らしかった。隣のジジイがやけにカッコいいと思ったら元007じゃないですか。

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wcitbn?