劇場公開日 2025年11月8日

「以って他山の石とすべし」ネタニヤフ調書 汚職と戦争 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 以って他山の石とすべし

2025年11月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

世界を震撼させているイスラエルとパレスチナの紛争=戦争――その“根源”を探る、極めて見応えのあるドキュメンタリーでした。ここでいう“根源”とは、旧約聖書の記述にまで遡るような千年単位の話でも、19世紀後半に勃興したシオニズム運動といった百年単位の話でもありません。20世紀末から現代にかけて、イスラエル政界の頂点に君臨し続けるベンヤミン・ネタニヤフ首相の〈汚職疑惑〉と〈戦争〉の密接な関係を描いた作品でした。

この件は日本でも報じられており、断片的に知っている部分もありましたが、改めて全体像を観ると驚愕の連続でした。ネタニヤフ首相は2019年、自らの汚職疑惑で起訴されています。しかし“国家の緊急事態”を理由に裁判は繰り返し延期され、6年経った今も結審していないのが実情です。

その起訴内容を、本作では次のように伝えていました。
①『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』『ボヘミアン・ラプソディ』などを手がけた映画プロデューサー、アーノン・ミルチャンらから葉巻やシャンパンなどの高価な贈り物を受け取り、見返りに税制優遇や米国ビザでの便宜を図ったこと
②イスラエルの大手紙「イェディオット・アハロノット」に対し、競合紙の流通制限と引き換えに自らに好意的な報道をさせようと画策したこと(実現はせず)
③通信大手ベゼック社の報道内容や人事に不当な介入を行い、見返りに同社オーナーに約5億ドルの利益を齎したこと

驚いたのは、これらの事件をめぐる警察の取り調べ映像――実に1,000時間にも及ぶ記録が、“情報提供者”から製作総指揮アレックス・ギブニーにリークされたことです。その膨大な映像をもとに、ギブニーとアレクシス・ブルーム監督らが検証を重ね、一本のドキュメンタリーとしてまとめ上げたのです。そこにはネタニヤフ本人はもちろん、贈賄側のアーノン・ミルチャン、そして疑惑の中心とも言えるサラ・ネタニヤフ夫人が次々と登場しました。
特に印象的だったのはサラ夫人。取り調べで激しく反論する彼女ですが、実際にはミルチャンから高級シャンパンや宝飾品をせしめた張本人。四半世紀にわたりイスラエルのトップに君臨するネタニヤフは、善悪を別として“天才政治家”と言って過言ではないと思いますが、唯一頭の上がらない存在がこのサラ夫人だと描かれていました。その背景には、彼が首相就任前に犯した不倫スキャンダルがあるとのことで、個人的な出来事が巡り巡って国政、さらには世界情勢にまで影響を与えるという歴史の皮肉を感じずにはいられません。
また、権力者の妻が公的な権限を持たずとも、あたかも権力者のように振る舞う――という構図は世界共通なのだと改めて感じました。ネタニヤフ夫妻の姿に、安倍元首相夫妻の姿を想起した人も少なくなかったのではないでしょうか。

現在のイスラエルの政治状況も示唆に富んでいました。前述の通りネタニヤフは2019年に起訴され、一時は首相の座を離れましたが、2022年に第6次政権を樹立。その際、ヨルダン川西岸地区の併合を企む極右政党と連立を組むに至りました。本作では「パレスチナ人はいない」と語る極右党首の衝撃的な発言も紹介されています。彼らの目的は西岸地区の併合であり、ネタニヤフの汚職などには興味がない。だからこその利害一致による連立なのです。
イスラエル国会(クネセト)は完全比例代表制を採用しており、わずかな得票でも議席を獲得できるため多党化が進んでいます。実際、ネタニヤフ率いる第1党リクードですら全120議席中32議席(約27%)に過ぎません。日本でも多党化傾向が指摘されていますが、昨年の衆院選で大敗した自民党ですら全465議席中191議席(約41%)を占めており、比例代表のみの制度の難しさを実感させられます。

さらに衝撃的だったのは、ネタニヤフがかつてハマスに資金援助を行っていたという事実です。これは西岸地区を支配する穏健派ファタハの力を削ぎ、ハマスを“パレスチナの代表”に押し上げるための策略だったとのこと。カタール経由で渡った数百万ドルが、2023年のハマス蜂起時の武器調達に使われたというのだから皮肉なものです。取り調べ中、ネタニヤフが映画『ゴッドファーザー』のセリフ「友は近くに、敵はもっと近くに」を引用する場面もありました。彼にとってハマスは“コントロール可能な敵”だと信じていたのでしょう。

そして極めつけは、自らの裁判を引き延ばすためなら戦争の長期化すら厭わないネタニヤフが、最高裁判所の“弱体化”を計画していたという事実。これは、西岸地区併合が違憲とされることを恐れる極右政党の思惑とも一致しており、“司法改革”の名の下に裁判所の権限を削ごうとしているのです。
アメリカではトランプ前大統領が自らに有利な人物を最高裁判事に任命し、日本でも安倍元首相が検事総長の定年延長を画策した例がありました(結果は失敗しましたが)。三権分立とは、権力の集中を防ぐための近代民主主義の根幹です。その仕組みが揺らぎつつあるイスラエルの現状は、まさに“他山の石”とすべきもの――そして、日本も決して無関係ではないことを痛感させられる作品でした。

そんな訳で、本作の評価は★4.6とします。

鶏
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